孫子 / 九地篇
我可以往,彼可以來者,為交地;
新字:我可以往,彼可以来者,為交地;
書き下し
我以て往く可く、彼以て来たる可き者を、交地と為す。
現代語訳
自分も行くことができ、相手も来ることができる場所を、交地という。
解説
第四の地。双方に通行の自由がある場所である。争地が価値の対称性だったのに対して、交地は移動の対称性を言っている。自分が入れる場所には相手も入れる。当たり前のようだが、忘れられやすい事実だ。参入障壁の低い市場がこれにあたる。自社が簡単に始められた事業は、他社も簡単に始められる。始めやすさは魅力に見えるが、同じ理由で守りにくい。孫子は交地では分断されるなと言う。つながりを断たれることが最大の危険だからだ。事業でも、参入が容易な領域では、供給網や顧客との接点を切られる形で崩される。押さえるべきは陣地ではなく、線である。始めやすい市場に入るときほど、何が自分の線なのかを先に決めておく必要がある。
この章句が説くこと
交地往来参入障壁市場対称分断
関連する章句
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