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史記 / 斉太公世家

景公立,以崔杼為右相,慶封為左相。二相恐亂起,乃與國人盟曰:「不與崔慶者死!」晏子仰天曰:「嬰所不唯忠於君利社稷者是從!」不肯盟。慶封欲殺晏子,崔杼曰:「忠臣也,捨之。」齊太史書曰「崔杼弒莊公」,崔杼殺之。其弟復書,崔杼復殺之。少弟復書,崔杼乃捨之。景公元年,初,崔杼生子成及彊,其母死,取東郭女,生明。東郭女使其前夫子無咎與其弟偃相崔氏。成有罪,二相急治之,立明為太子。成請老於崔杼,崔杼許之,二相弗聽,曰:「崔,宗邑,不可。」成、彊怒,告慶封。慶封與崔杼有郤,欲其敗也。成、彊殺無咎、偃於崔杼家,家皆奔亡。崔杼怒,無人,使一宦者御,見慶封。慶封曰:「請為子誅之。」使崔杼仇盧蒲嫳攻崔氏,殺成、彊,盡滅崔氏,崔杼婦自殺。崔杼毋歸,亦自殺。慶封為相國,專權。三年十月,慶封出獵。初,慶封已殺崔杼,益驕,嗜酒好獵,不聽政令。慶舍用政,已有內郤。田文子謂桓子曰:「亂將作。」田、鮑、高、欒氏相與謀慶氏。慶舍發甲圍慶封宮,四家徒共擊破之。慶封還,不得入,奔魯。齊人讓魯,封奔吳。吳與之朱方,聚其族而居之,富於在齊。其秋,齊人徙葬莊公,僇崔杼尸於市以說眾。九年,景公使晏嬰之晉,與叔向私語曰:「齊政卒歸田氏。

新字:景公立,以崔杼為右相,慶封為左相。二相恐乱起,乃与国人盟曰:「不与崔慶者死!」晏子仰天曰:「嬰所不唯忠於君利社稷者是従!」不肯盟。慶封欲殺晏子,崔杼曰:「忠臣也,捨之。」斉太史書曰「崔杼弒荘公」,崔杼殺之。其弟復書,崔杼復殺之。少弟復書,崔杼乃捨之。景公元年,初,崔杼生子成及彊,其母死,取東郭女,生明。東郭女使其前夫子無咎与其弟偃相崔氏。成有罪,二相急治之,立明為太子。成請老於崔杼,崔杼許之,二相弗聴,曰:「崔,宗邑,不可。」成、彊怒,告慶封。慶封与崔杼有郤,欲其敗也。成、彊殺無咎、偃於崔杼家,家皆奔亡。崔杼怒,無人,使一宦者御,見慶封。慶封曰:「請為子誅之。」使崔杼仇盧蒲嫳攻崔氏,殺成、彊,尽滅崔氏,崔杼婦自殺。崔杼毋帰,亦自殺。慶封為相国,専権。三年十月,慶封出猟。初,慶封已殺崔杼,益驕,嗜酒好猟,不聴政令。慶舎用政,已有内郤。田文子謂桓子曰:「乱将作。」田、鮑、高、欒氏相与謀慶氏。慶舎発甲囲慶封宮,四家徒共撃破之。慶封還,不得入,奔魯。斉人譲魯,封奔呉。呉与之朱方,聚其族而居之,富於在斉。其秋,斉人徙葬荘公,僇崔杼尸於市以説衆。九年,景公使晏嬰之晋,与叔向私語曰:「斉政卒帰田氏。

書き下し

景公立ち、崔杼を以て右相と為し、慶封を左相と為す。二相、乱の起らんことを恐れ、乃ち国人と盟ひて曰く、「崔・慶に与せざる者は死せん」と。晏子天を仰ぎて曰く、「嬰の唯君に忠にして社稷を利する者に是れ従はざる所の者有らば」と。盟ふを肯ぜず。慶封、晏子を殺さんと欲す。崔杼曰く、「忠臣なり、之を舎け」と。斉の太史書して曰く「崔杼、荘公を弑す」と。崔杼之を殺す。其の弟復た書す。崔杼復た之を殺す。少弟復た書す。崔杼乃ち之を舎く。景公の元年、初め、崔杼、子成及び彊を生む。其の母死し、東郭の女を取りて、明を生む。東郭の女、其の前夫の子無咎と其の弟偃とをして崔氏に相たらしむ。成に罪有り、二相急に之を治め、明を立てて太子と為す。成、崔に老せんことを請ふ。崔杼之を許すも、二相聴かずして、曰く、「崔は宗邑なり、不可なり」と。成・彊怒り、慶封に告ぐ。慶封、崔杼と郤有り、其の敗れんことを欲す。成・彊、無咎・偃を崔杼の家に殺す。家皆奔亡す。崔杼怒るも、人無く、一宦者をして御せしめて、慶封に見ゆ。慶封曰く、「請ふ子の為に之を誅せん」と。崔杼の仇盧蒲嫳をして崔氏を攻めしめ、成・彊を殺し、尽く崔氏を滅す。崔杼の婦自殺す。崔杼帰る毋く、亦自殺す。慶封、相国と為り、権を専らにす。三年十月、慶封出でて猟す。初め、慶封已に崔杼を殺し、益々驕り、酒を嗜み猟を好み、政令を聴かず。慶舎、政を用ひ、已に内に郤有り。田文子、桓子に謂ひて曰く、「乱将に作らんとす」と。田・鮑・高・欒氏、相与に慶氏を謀る。慶舎、甲を発して慶封の宮を囲む。四家の徒共に撃ちて之を破る。慶封還るも、入るを得ず、魯に奔る。斉人、魯を譲む。封、呉に奔る。呉、之に朱方を与へ、其の族を聚めて之に居らしむ。斉に在りしより富めり。其の秋、斉人、荘公を徙し葬り、崔杼の尸を市に僇して以て衆に説ぶ。九年、景公、晏嬰をして晋に之かしむ。叔向と私語して曰く、「斉の政は卒に田氏に帰せん。

現代語訳

景公が立つと、崔杼を右相、慶封を左相とした。二人の宰相は乱が起こることを恐れ、国の人々と盟約を結ばせて言った。「崔氏・慶氏に味方しない者は死ぬ」。晏子(晏嬰)は天を仰いで言った。「私、嬰は、ただ君に忠実で国家に利益をもたらす者にだけ従う。もしそうでない者に従うことがあれば(神よ罰したまえ)」。そして崔氏・慶氏に従うという盟約には加わらなかった。慶封は晏子を殺そうとしたが、崔杼は言った。「忠臣である。放っておけ」。斉の太史(記録官)は「崔杼が荘公を弑した」と書いた。崔杼は太史を殺した。その弟がまた同じことを書いた。崔杼はまたこれを殺した。末の弟がまた同じことを書いた。崔杼はついにこれを殺さなかった。景公の元年のこと。これより先、崔杼は子の成と彊をもうけたが、その母が死ぬと東郭氏の娘を娶り、明をもうけた。東郭氏の娘は、前夫との間の子の無咎とその弟の偃に崔氏の家政を取り仕切らせた。成に罪があったので、二人の家宰(無咎と偃)は厳しく取り調べ、明を跡継ぎとした。成は崔の邑に隠居したいと願い、崔杼はこれを許したが、二人の家宰は聞き入れず、「崔は宗家の邑である。いけない」と言った。成と彊は怒り、慶封に訴えた。慶封は崔杼と仲が悪く、崔氏が滅びることを望んでいた。成と彊は崔杼の家で無咎と偃を殺した。崔家の者はみな逃げ散った。崔杼は怒ったが、手の者がおらず、宦官一人に車を御させて慶封に会いに行った。慶封は言った。「あなたのために彼らを誅殺しよう」。そして崔杼の仇である盧蒲嫳(ろほへい)に崔氏を攻めさせ、成と彊を殺し、崔氏をことごとく滅ぼした。崔杼の妻は自殺した。崔杼は帰る家もなく、自らも自殺した。慶封は相国となり、権力を独占した。三年の十月、慶封は狩りに出た。これより先、慶封は崔杼を死に追いやるとますます驕り、酒を好み狩りを好んで、政令に耳を傾けなかった。子の慶舎が政治を執ったが、すでに一族の内部には不和があった。田文子は(子の)桓子に言った。「乱が起ころうとしている」。田氏・鮑氏・高氏・欒氏はともに慶氏を倒そうと謀った。慶舎は兵を出して慶封の宮殿を守らせたが、四家の手勢がともに攻撃してこれを破った。慶封は帰ってきたが中に入れず、魯に逃げた。斉の人々は魯を責めた。慶封は呉に逃げた。呉は朱方の地を与え、一族を集めてそこに住まわせた。慶封は斉にいたときよりも裕福になった。その秋、斉の人々は荘公の遺体を改葬し、崔杼の遺体を市場でさらして人々の心を晴らした。九年、景公は晏嬰を晋に遣わした。晏嬰は叔向とひそかに話し合って言った。「斉の政権は、いずれ田氏のものになるだろう。

解説

崔杼と慶封が権力を握った後の斉の姿です。二人は「崔・慶に従わない者は死ぬ」という盟約を国人に強いますが、晏嬰だけは「君に忠実で国家に利する者にだけ従う」と誓って加わりませんでした。さらに有名なのが斉の太史の兄弟です。「崔杼、荘公を弑す」と書いた太史が殺されると弟が同じことを書き、それも殺されると末の弟がまた書いて、ついに崔杼も手を出せなくなりました。権力に屈せず事実を記録し続けたこの話は、史官の鑑として語り継がれています。その崔杼は家庭内の後継争いに付け込まれて慶封に一族を滅ぼされ、自殺に追い込まれます。慶封もまた驕って政治を顧みず、田・鮑・高・欒の四家に追われました。力で縛った盟約は長続きせず、事実を記す者の筆は殺しても止められない。司馬遷自身の信念が重なる段です。

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