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史記 / 斉太公世家

孝公元年三月,宋襄公率諸侯兵送齊太子昭而伐齊。齊人恐,殺其君無詭。齊人將立太子昭,四公子之徒攻太子,太子走宋,宋遂與齊人四公子戰。五月,宋敗齊四公子師而立太子昭,是為齊孝公。宋以桓公與管仲屬之太子,故來征之。以亂故,八月乃葬齊桓公。六年春,齊伐宋,以其不同盟于齊也。夏,宋襄公卒。七年,晉文公立。十年,孝公卒,孝公弟潘因衛公子開方殺孝公子而立潘,是為昭公。昭公,桓公子也,其母曰葛嬴。昭公元年,晉文公敗楚於城濮,而會諸侯踐土,朝周,天子使晉稱伯。六年,翟侵齊。晉文公卒。秦兵敗於殽。十二年,秦穆公卒。十九年五月,昭公卒,子舍立為齊君。捨之母無寵於昭公,國人莫畏。昭公之弟商人以桓公死爭立而不得,陰交賢士,附愛百姓,百姓說。及昭公卒,子舍立,孤弱,即與眾十月即墓上弒齊君舍,而商人自立,是為懿公。懿公,桓公子也,其母曰密姬。

新字:孝公元年三月,宋襄公率諸侯兵送斉太子昭而伐斉。斉人恐,殺其君無詭。斉人将立太子昭,四公子之徒攻太子,太子走宋,宋遂与斉人四公子戦。五月,宋敗斉四公子師而立太子昭,是為斉孝公。宋以桓公与管仲属之太子,故来征之。以乱故,八月乃葬斉桓公。六年春,斉伐宋,以其不同盟于斉也。夏,宋襄公卒。七年,晋文公立。十年,孝公卒,孝公弟潘因衛公子開方殺孝公子而立潘,是為昭公。昭公,桓公子也,其母曰葛嬴。昭公元年,晋文公敗楚於城濮,而会諸侯践土,朝周,天子使晋称伯。六年,翟侵斉。晋文公卒。秦兵敗於殽。十二年,秦穆公卒。十九年五月,昭公卒,子舎立為斉君。捨之母無寵於昭公,国人莫畏。昭公之弟商人以桓公死争立而不得,陰交賢士,附愛百姓,百姓説。及昭公卒,子舎立,孤弱,即与衆十月即墓上弒斉君舎,而商人自立,是為懿公。懿公,桓公子也,其母曰密姫。

書き下し

孝公の元年三月、宋の襄公、諸侯の兵を率ゐて斉の太子昭を送りて斉を伐つ。斉人恐れ、其の君無詭を殺す。斉人将に太子昭を立てんとす。四公子の徒、太子を攻む。太子、宋に走る。宋遂に斉人の四公子と戦ふ。五月、宋、斉の四公子の師を敗りて太子昭を立つ。是れを斉の孝公と為す。宋は桓公と管仲の之に太子を属せしを以て、故に来りて之を征す。乱の故を以て、八月に乃ち斉の桓公を葬る。六年春、斉、宋を伐つ。其の斉に同盟せざるを以てなり。夏、宋の襄公卒す。七年、晋の文公立つ。十年、孝公卒す。孝公の弟潘、衛の公子開方に因りて孝公の子を殺して潘を立つ。是れを昭公と為す。昭公は桓公の子なり。其の母を葛嬴と曰ふ。昭公の元年、晋の文公、楚を城濮に敗り、而して諸侯を践土に会し、周に朝す。天子、晋をして伯を称せしむ。六年、翟、斉を侵す。晋の文公卒す。秦の兵、殽に敗る。十二年、秦の穆公卒す。十九年五月、昭公卒し、子の舎立ちて斉君と為る。舎の母は昭公に寵無く、国人畏るる莫し。昭公の弟商人、桓公の死するを以て立たんことを争ひて得ず、陰かに賢士に交はり、百姓を附愛す。百姓説ぶ。昭公卒し、子の舎立つに及び、孤弱なり。即ち衆と十月に墓の上に即きて斉君舎を弑して、商人自ら立つ。是れを懿公と為す。懿公は桓公の子なり。其の母を密姫と曰ふ。

現代語訳

孝公の元年三月、宋の襄公は諸侯の兵を率いて斉の太子昭を送り届け、斉を討った。斉の人々は恐れて、君主の無詭を殺した。斉の人々は太子昭を立てようとしたが、四人の公子の一派が太子を攻めたので、太子は宋に逃げた。宋はそこで斉の四公子と戦った。五月、宋は斉の四公子の軍を破って太子昭を立てた。これが斉の孝公である。宋は、桓公と管仲が太子を託していたので、やって来て斉を征したのである。乱が続いたため、八月になってようやく斉の桓公を葬った。六年の春、斉は宋を討った。宋が斉と同盟しなかったからである。夏、宋の襄公が亡くなった。七年、晋の文公が即位した。十年、孝公が亡くなった。孝公の弟の潘は、衛の公子開方の力を借りて孝公の子を殺し、自ら立った。これが昭公である。昭公は桓公の子で、その母を葛嬴という。昭公の元年、晋の文公は城濮で楚を破り、諸侯を践土に集めて周に朝見した。天子は晋に覇者を名乗らせた。六年、翟が斉に侵入した。晋の文公が亡くなった。秦の軍が殽で敗れた。十二年、秦の穆公が亡くなった。十九年五月、昭公が亡くなり、子の舎が立って斉の君主となった。舎の母は昭公に寵愛されておらず、国の人々は舎を恐れなかった。昭公の弟の商人は、桓公が亡くなったときに位を争って得られなかったので、ひそかに優れた人物と交わり、民に恩を施して手なずけていた。民は喜んだ。昭公が亡くなり子の舎が立つと、舎は孤立して弱かった。そこで商人は仲間とともに十月、(昭公の)墓のそばで斉の君主舎を殺し、自ら立った。これが懿公である。懿公は桓公の子で、その母を密姫という。

解説

桓公の死後、斉では桓公の子たちの間で君主の座の奪い合いが続きます。無詭は殺され、太子昭は宋の襄公の後押しでようやく即位し、混乱のため桓公の葬儀は死後十か月も遅れました。覇者の遺体が長く放置されたという事実は、後継者を定めきれなかった代償の重さを物語ります。孝公の死後は、弟の潘が管仲の警告した開方の力を借りて孝公の子を殺して即位し、その子の舎も叔父の商人に殺されました。商人は位を得られなかった後、ひそかに人材と交わり民に恩を施して時を待っていたのです。この間、覇者の地位は晋の文公に移り、斉はもはや中原の中心ではなくなりました。後継者を一本化しなかったことが、何代にもわたる争いと国力の低下を招いたのです。事業承継の失敗が組織に与える傷の深さを考えさせられます。

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