史記 / 斉太公世家
懿公公子為りし時、丙戎の父と猟し、獲を争ひて勝たず、即位するに及び、丙戎の父の足を断ち、而して丙戎をして仆せしむ。庸職の妻好し、公之を宮に内れ、庸職をして驂乗せしむ。二人浴し、戯る。職曰、断足の子と。戎曰、妻を奪ふ者と。二人俱に此の言を病み、乃ち怨む。公と竹中に游ぶを謀り、二人懿公を車上に弒し、竹中に棄てて亡げ去る。
書き下し
懿公公子為りし時、丙戎の父と猟し、獲を争ひて勝たず、即位するに及び、丙戎の父の足を断ち、而して丙戎をして仆せしむ。庸職の妻好し、公之を宮に内れ、庸職をして驂乗せしむ。二人浴し、戯る。職曰く、「断足の子」と。戎曰く、「妻を奪ふ者」と。二人俱に此の言を病み、乃ち怨む。公と竹中に游ぶを謀り、二人懿公を車上に弒し、竹中に棄てて亡げ去る。
現代語訳
「地位にまかせて人を辱め、深く傷つければ、その恨みは、いつか自らに、致命的な報いとなって返る」——斉の懿公の、非道な仕打ちが招いた最期を描いた一段です。斉の懿公は、公子(まだ君主でない、王族)であった頃、丙戎(へいじゅう)の父と、狩りで、獲物を争って、負けたことがありました。ただ、それだけの、些細な恨みです。ところが、懿公は、(君主となる)その地位に就くや、(積年の恨みを晴らすため、)丙戎の父の、足を切断するという、むごい仕打ちをし、しかも、その息子の丙戎を、(あろうことか、)自分の御者として、そばに仕えさせたのです。相手を辱め、屈辱を、日々、味わわせ続けました。また、庸職(ようしょく)という家臣の妻が、美しかったので、懿公は、その妻を、(力ずくで)自分の後宮に取り込み、夫である庸職を、(何食わぬ顔で、)自分の車の、陪乗(同乗者)として、仕えさせました。これもまた、相手への、耐えがたい辱めです。地位にまかせて、二人の男を、深く傷つけ、屈辱を与え続けたのです。そして、ある日——この、父を辱められた丙戎と、妻を奪われた庸職の、二人が、水浴びをしながら、ふざけ合っていたとき、口論になりました。庸職が「足を切られた者の子め」と言えば、丙戎は「妻を奪われた者め」と言い返す。互いの、最も深い傷を、えぐり合ったのです。二人は、この言葉で、(改めて、懿公への恨みを、)痛切に思い起こし、深く、恨みを、募らせました。そして、ついに、二人は共謀して、懿公が竹林で遊んだ隙に、その車上で、懿公を、殺害したのです。地位にまかせた、非道な辱めが、致命的な報いとなって、返ってきたのです。ここに、人を辱めることについての教訓があります。第一に、地位や権力にまかせて、人を辱め、深く傷つければ、その恨みは、消えることなく、いつか、自らに、致命的な報いとなって、返ってくるということ。懿公の、二人の男への辱めが、彼の命を、奪った。恨みは、蓄積し、機会を待って、爆発する。第二に、些細な恨み(狩りの勝ち負け)を、地位を得てから、大きな報復(足切り)で晴らすことの、愚かさと危うさ。権力を、私的な恨みを晴らすために、使ってはならない。第三に、人の、最も深い傷(辱め)は、決して忘れられず、屈辱を与え続けられた者は、必ず、報復の機会を、うかがうということ。組織やリーダーの立場で、地位や権力にまかせて人を辱め深く傷つければ致命的な報いが返ると知ること、些細な恨みを権力で晴らす愚かさを自覚すること、そして人に与えた屈辱は決して忘れられず報復を招くと理解すること——懿公の最期は、人を辱めることの恐ろしい報いを、痛烈に教えます。