史記 / 斉太公世家
明日,武王立于社,群公奉明水,衛康叔封布采席,師尚父牽牲,史佚策祝,以告神討紂之罪。散鹿臺之錢,發鉅橋之粟,以振貧民。封比干墓,釋箕子囚。遷九鼎,修周政,與天下更始。師尚父謀居多。於是武王已平商而王天下,封師尚父於齊營丘。東就國,道宿行遲。逆旅之人曰:「吾聞時難得而易失。客寢甚安,殆非就國者也。」太公聞之,夜衣而行,犁明至國。萊侯來伐,與之爭營丘。營丘邊萊。萊人,夷也,會紂之亂而周初定,未能集遠方,是以與太公爭國。
新字:明日,武王立于社,群公奉明水,衛康叔封布采席,師尚父牽牲,史佚策祝,以告神討紂之罪。散鹿台之銭,発鉅橋之粟,以振貧民。封比干墓,釈箕子囚。遷九鼎,修周政,与天下更始。師尚父謀居多。於是武王已平商而王天下,封師尚父於斉営丘。東就国,道宿行遅。逆旅之人曰:「吾聞時難得而易失。客寝甚安,殆非就国者也。」太公聞之,夜衣而行,犁明至国。萊侯来伐,与之争営丘。営丘辺萊。萊人,夷也,会紂之乱而周初定,未能集遠方,是以与太公争国。
書き下し
明日、武王社に立つ。群公明水を奉じ、衛の康叔封、采席を布き、師尚父牲を牽き、史佚策祝して、以て神に紂の罪を討つを告ぐ。鹿台の銭を散じ、鉅橋の粟を発して、以て貧民を振ふ。比干の墓に封し、箕子の囚を釈く。九鼎を遷し、周の政を修め、天下と更始す。師尚父の謀多きに居る。是に於て武王已に商を平げて天下に王たり。師尚父を斉の営丘に封ず。東して国に就くに、道に宿りて行くこと遅し。逆旅の人曰く、「吾聞く、時は得難くして失ひ易しと。客の寝ぬること甚だ安し。殆ど国に就く者に非ざるなり」と。太公之を聞き、夜衣て行き、犁明に国に至る。萊侯来り伐ち、之と営丘を争ふ。営丘は萊に辺す。萊人は夷なり。紂の乱にして周初めて定まり、未だ遠方を集むる能はざるに会す。是を以て太公と国を争ふ。
現代語訳
翌日、武王は社(土地神の祭壇)の前に立った。群臣は明水(祭に用いる清らかな水)を捧げ、衛の康叔封は色鮮やかな敷物を敷き、師尚父(太公)は犠牲の牛を引き、史官の佚(いつ)が祝詞を読み上げて、紂の罪を討ったことを神に報告した。鹿台に蓄えられていた銭を分け与え、鉅橋の倉の穀物を出して、貧しい民を救済した。比干の墓に土を盛って祭り、捕らえられていた箕子を釈放した。九鼎を周に移し、周の政治を整え、天下とともに新しく始めた。これには師尚父の計略が多く関わっていた。こうして武王は殷を平定して天下の王となった。師尚父を斉の営丘(えいきゅう)に封じた。太公は東へ向かって封国に赴いたが、途中で宿に泊まってはゆっくり進んでいた。宿屋の主人が言った。「時は得がたく失いやすいと聞いている。お客さんはずいぶん安らかに寝ておられる。とても封国に赴く人とは思えない」。太公はこれを聞くと、夜のうちに衣服を着て出発し、夜明けに封国に着いた。すると萊侯が攻めてきて、太公と営丘を争った。営丘は萊と境を接していた。萊の人は東夷である。ちょうど紂の乱の後で周が天下を平定したばかりであり、まだ遠方までまとめきれていなかったので、太公と国を争ったのである。
解説
関連する章句
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史記 斉太公世家或ひと曰く、太公は博聞にして、嘗て紂に事ふ。紂無道なれば、之を去る。諸侯に游説するも、遇ふ所無く、而して卒に西のかた周の西伯に帰すと。或ひと曰く、呂尚は処士にして、海浜に隠る。周の西伯、羑里に拘へらる。散宜生・閎夭、素より知りて呂尚を招く。呂尚も亦曰く、「吾聞く、西伯は賢にして、又善く老を養ふと。盍ぞ往かざる」と。三人の者、西伯の為に美女・奇物を求め、之を紂に献じて、以て西伯を贖ふ。西伯出づるを得て、国に反ると。呂尚の周に事ふる所以を言ふこと異なると雖も、然れども之を要するに文・武の師たり。周の西伯昌の羑里を脱して帰るや、呂尚と陰かに謀りて徳を修め以て商の政を傾く。其の事は兵権と奇計と多し。故に後世の兵及び周の陰権を言ふ者は皆太公を宗として本謀と為す。周の西伯、政平らかにして、虞・芮の訟を断ずるに及びて、詩人、西伯の命を受くるを称して文王と曰ふ。崇・密須・犬夷を伐ち、大いに豊邑を作る。天下三分して、其の二周に帰する者は、太公の謀計多きに居る。文王崩じ、武王即位す。九年、文王の業を修めんと欲し、東伐して以て諸侯の集まるや否やを観る。師行くに、師尚父、左に黄鉞を杖き、右に白旄を把りて以て誓ひて曰く、「蒼兕蒼兕、爾の衆庶を総べ、爾の舟楫を与へよ。後れて至る者は斬らん」と。遂に盟津に至る。諸侯期せずして会する者八百諸侯。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「未だ可ならず」と。師を還し、太公と此の太誓を作る。居ること二年、紂、王子比干を殺し、箕子を囚ふ。武王将に紂を伐たんとし、亀兆を卜するに、吉ならず、風雨暴かに至る。群公尽く懼る。唯太公のみ彊ひて之を武王に勧め、武王是に於て遂に行く。十一年正月甲子、牧野に誓ひ、商の紂を伐つ。紂の師敗績す。紂反り走りて鹿台に登る。遂に追ひて紂を斬る。
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史記 周本紀是に於て武王再拝稽首して、曰く、「大命を膺け更め、殷を革め、天の明命を受く」と。武王又再拝稽首して、乃ち出づ。商紂の子禄父に殷の余民を封ず。武王殷の初めて定まりて未だ集まらざるが為に、乃ち其の弟管叔鮮・蔡叔度をして禄父を相けて殷を治めしむ。已にして召公に命じて箕子の囚を釈かしむ。畢公に命じて百姓の囚を釈き、商容の閭を表せしむ。南宮括に命じて鹿台の財を散じ、鉅橋の粟を発し、以て貧弱の萌隷を振はしむ。南宮括・史佚に命じて九鼎保玉を展べしむ。閎夭に命じて比干の墓を封ぜしむ。宗祝に命じて軍に享祠せしむ。乃ち兵を罷めて西に帰る。行きて狩し、政事を記し、武成を作る。諸侯を封じ、宗彝を班賜し、分殷之器物を作る。武王先聖王を追思し、乃ち神農の後を焦に、黄帝の後を祝に、帝堯の後を薊に、帝舜の後を陳に、大禹の後を杞に褒封す。是に於て功臣謀士を封じ、而して師尚父を首封と為す。尚父を営丘に封じ、斉と曰ふ。弟周公旦を曲阜に封じ、魯と曰ふ。召公奭を燕に封ず。弟叔鮮を管に、弟叔度を蔡に封ず。余は各次を以て封を受く。武王九牧の君を徴し、豳の阜に登りて、以て商邑を望む。
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史記 周本紀明年、犬戎を伐つ。明年、密須を伐つ。明年、耆国を敗る。殷の祖伊之を聞き、懼れて、以て帝紂に告ぐ。紂曰く、「天命有らずや。是れ何をか能く為さん」と。明年、邘を伐つ。明年、崇侯虎を伐つ。而して豊邑を作り、岐下より徙りて豊に都す。明年、西伯崩じ、太子発立つ。是を武王と為す。西伯蓋し即位五十年。其の羑里に囚はるるや、蓋し易の八卦を益して六十四卦と為す。詩人西伯を道ふに、蓋し命を受けし年に王を称して虞・芮の訟を断ずと。後十年にして崩じ、謚して文王と為す。法度を改め、正朔を制す。古公を追尊して太王と為し、公季を王季と為す。蓋し王の瑞は太王より興る。武王即位し、太公望を師と為し、周公旦を輔と為し、召公・畢公の徒王を左右し、師として文王の緒業を修む。九年、武王上りて畢に祭る。東のかた兵を観し、盟津に至る。文王の木主を為り、載するに車を以てし、中軍とす。武王自ら太子発と称し、文王を奉じて以て伐つと言ひ、敢へて自ら専らにせず。乃ち司馬・司徒・司空・諸節に告ぐ、「斉栗せよ、信なるかな。予無知なれども、先祖に徳臣有るを以て、小子先功を受け、畢く賞罰を立て、以て其の功を定めん」と。遂に師を興す。師尚父号して曰く、「爾の衆庶を総べ、爾の舟楫を与にせよ。後れて至る者は斬らん」と。武王河を渡り、中流にして、白魚躍りて王の舟中に入る。武王俯して取りて以て祭る。既に渡るに、火有りて上より下に復り、王屋に至りて、流れて烏と為る。其の色赤く、其の声魄なりと云ふ。是の時、諸侯期せずして盟津に会する者八百諸侯。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「女未だ天命を知らず、未だ可ならず」と。乃ち師を還して帰る。居ること二年、紂の昏乱暴虐滋甚だしく、王子比干を殺し、箕子を囚ふと聞く。太師疵・少師彊其の楽器を抱きて周に奔る。
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尚書・武成惟れ一月壬辰、旁死魄、越(ここ)に翼日癸巳、王朝に周より歩み、于(ゆ)きて商を征伐す。厥の四月哉生明、王商より来り豊に至る。乃ち武を偃(ふ)せて文を修む。馬を華山の陽に帰し、牛を桃林の野に放ち、天下に服せざるを示す。丁未、周廟に祀る、邦甸・侯・衛、駿(すみや)かに奔走し、豆籩を執る。越に三日庚戌、柴望して大いに武の成るを告ぐ。既生魄、庶邦の冢君、百工と暨に、命を周に受く。王若(かく)のごとく曰く、「嗚呼(ああ)、群后よ、惟れ先王邦を建て土を啓く。公劉克く前烈を篤くし、大王に至りて、肇めて王跡を基し、王季其れ王家に勤む。我が文考文王、克く厥の勛を成し、誕いに天命を膺(う)け、以て方夏を撫す。大邦は其の力を畏れ、小邦は其の徳を懐く。惟れ九年、大統未だ集(な)らず。予小子其れ厥の志を承く。商の罪を厎(いた)し、皇天后土、過ぐる所の名山大川に告げて、曰く、『惟れ有道の曾孫周王発、将に大いに商を正すこと有らんとす』と。今商王受無道にして、天物を暴殄し、烝民を害虐し、天下逋逃の主と為り、淵藪に萃(あつ)まる。予小子既に仁人を獲たり、敢て祇みて上帝を承け、以て乱略を遏(とど)めん。華夏蛮貊、率ひ俾(したが)はざる罔く、天の成命を恭しむ。肆に予東征して、厥の士女を綏んず。惟れ其の士女、厥の玄黄を篚(ひ)にして、我が周王を昭らかにす。天休震動し、用て我が大邑周に附く。惟れ爾神有り、尚はくは克く予を相け、以て兆民を済ひ、神の羞を作すこと無かれ。」既に戊午、師孟津を逾え、癸亥、商の郊に陳し、天の休命を俟つ。甲子昧爽、受其の旅を率ゐること林の若く、牧野に会す。我が師に敵する有る罔く、前徒戈を倒にし、後を攻めて以て北(に)ぐ、血流れて杵を漂はす。一たび戎衣して、天下大いに定まる。乃ち商の政を反し、政旧に由る。箕子の囚を釈き、比干の墓に封し、商容の閭に式す。鹿台の財を散じ、鉅橋の粟を発す。大いに四海に賚(たま)ひて、万姓悦服す。爵を列ぬること惟れ五、土を分かつこと惟れ三。官を建つること惟れ賢、事に位すること惟れ能。民の五教を重んじ、惟れ食・喪・祭。信を惇くし義を明らかにし、徳を崇び功に報い、垂拱して天下治まる。
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史記 殷本紀周の武王遂に紂の頭を斬り、之を大白旗に県く。妲己を殺す。箕子の囚を釈き、比干の墓を封じ、商容の閭を表す。紂の子武庚禄父を封じて、以て殷の祀を続がしめ、盤庚の政を修行せしむ。殷の民大いに説ぶ。是に於て周の武王天子と為る。其の後世帝号を貶して、号して王と為す。而して殷の後を封じて諸侯と為し、周に属せしむ。周の武王崩じ、武庚管叔・蔡叔と乱を作す。成王周公に命じて之を誅せしめ、而して微子を宋に立て、以て殷の後を続がしむ。太史公曰く、余頌を以て契の事を次で、成湯より以来は、書・詩に采る。契は子姓為り、其の後分封せられ、国を以て姓と為す。殷氏・来氏・宋氏・空桐氏・稚氏・北殷氏・目夷氏有り。孔子曰く、殷の路車を善しと為し、而して色は白を尚ぶと。
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史記 管蔡世家文王崩じて発立つに及ぶ。是を武王と為す。伯邑考既已に前に卒す。武王已に殷の紂に克ち、天下を平らげ、功臣昆弟を封ず。是に於て叔鮮を管に封じ、叔度を蔡に封ず。二人、紂の子武庚禄父に相として、殷の遺民を治む。叔旦を魯に封じて周に相たらしめ、周公と為す。叔振鐸を曹に封じ、叔武を成に封じ、叔処を霍に封ず。康叔封・冉季載は皆少くして、未だ封を得ず。
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