史記 / 河渠書
太史公曰:余南登廬山,觀禹疏九江,遂至于會稽太湟,上姑蘇,望五湖;東闚洛汭、大邳,迎河,行淮、泗、濟、漯洛渠;西瞻蜀之岷山及離碓;北自龍門至于朔方。曰:甚哉,水之為利害也!余從負薪塞宣房,悲瓠子之詩而作河渠書。
新字:太史公曰:余南登廬山,観禹疏九江,遂至于会稽太湟,上姑蘇,望五湖;東闚洛汭、大邳,迎河,行淮、泗、済、漯洛渠;西瞻蜀之岷山及離碓;北自竜門至于朔方。曰:甚哉,水之為利害也!余従負薪塞宣房,悲瓠子之詩而作河渠書。
書き下し
太史公曰く、余、南のかた廬山に登り、禹の九江を疏せしを観、遂に会稽の太湟に至り、姑蘇に上りて五湖を望む。東のかた洛汭・大邳を闚ひ、河を迎へ、淮・泗・済・漯・洛の渠を行く。西のかた蜀の岷山及び離碓を瞻る。北のかた龍門より朔方に至る。曰く、甚だしいかな、水の利害を為すや。余、薪を負ひて宣房を塞ぐに従ひ、瓠子の詩を悲しみて河渠書を作る。
現代語訳
太史公(司馬遷)は言う。私は南は廬山に登って禹が九江の流れを通した跡を見、さらに会稽の太湟まで行き、姑蘇台に登って五湖を眺めた。東は洛水の合流点や大邳山を見て、黄河をさかのぼり、淮水・泗水・済水・漯水・洛水の水路をたどった。西は蜀の岷山と離碓を見上げた。北は龍門から朔方まで行った。そして思うのだ。水がもたらす利益と害は、なんと大きいことかと。私は薪を背負って宣房の決壊をふさぐ工事に加わり、瓠子の歌に心を痛めて、この河渠書を作ったのである。
解説
河渠書を締めくくる「太史公曰」、つまり司馬遷自身の言葉です。南は廬山・会稽、東は淮水や泗水、西は蜀の岷山、北は龍門から朔方まで、彼が若い頃から実際に歩いた水の跡が並べられます。司馬遷は各地を旅して自分の目で確かめたことで知られ、その実地の経験がこの書の土台になっています。さらに、自らも武帝に従って薪を背負い、宣房の決壊をふさぐ工事に加わったと書いています。瓠子の歌を悲しんで河渠書を書いたという結びには、治水が単なる技術の記録ではなく、民の暮らしを左右する政治そのものだという思いが込められています。自分で現場を歩き、手を動かした人の言葉には重みがあります。書類だけで語るのではなく、一次情報に当たる姿勢の大切さがよく分かる一節です。
関連する章句
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史記 太史公自序二十にして南のかた江・淮に游び、会稽に上り、禹穴を探り、九疑を闚ひ、沅・湘に浮かぶ。北のかた汶・泗を渉り、業を斉・魯の都に講じ、孔子の遺風を観、鄒・嶧に郷射す。鄱・薛・彭城に戹困し、梁・楚を過ぎて以て帰る。是に於いて遷仕へて郎中と為り、使ひを奉じて西のかた巴・蜀以南を征し、南のかた邛・笮・昆明を略し、還りて命を報ず。是の歳、天子始めて漢家の封を建つ。而して太史公周南に留滞し、与に事に従ふを得ず。故に発憤して且に卒せんとす。而して子の遷適々使ひより反り、父に河洛の間に見ゆ。
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史記 太史公自序且つ士賢能にして用ひられざるは、国を有つ者の恥なり。主上明聖にして徳布聞せざるは、有司の過ちなり。且つ余嘗て其の官を掌る。明聖盛徳を廃して載せず、功臣世家賢大夫の業を滅して述べず、先人の言ふ所を墮とさば、罪焉より大なるは莫し。余の所謂故事を述べ、其の世伝を整斉するは、所謂作るに非ざるなり。而るに君之を春秋に比するは、謬りなり」と。是に於いて其の文を論次す。
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史記 河渠書夏書に曰く、禹、洪水を抑ふること十三年、家を過ぐるも門に入らず。陸行には車に載り、水行には舟に載り、泥行には毳を蹈み、山行には橋に即く。以て九州を別ち、山に随ひて川を浚ひ、土に任せて貢を作す。九道を通じ、九沢を陂し、九山を度る。然れども河菑衍溢し、中国を害すること尤も甚だし。唯是れを務と為す。故に河を道くこと積石より龍門を歴、南して華陰に到り、東して砥柱に下り、孟津・雒汭に及び、大邳に至る。是に於て禹以為へらく、河の従りて来る所の者高く、水湍悍にして、以て平地を行き難く、数々敗を為すと。乃ち二渠もて以て其の河を引く。北して之を高地に載せ、降水を過ぎ、大陸に至り、播して九河と為し、同じて逆河と為し、勃海に入る。九川既に疏し、九沢既に灑ぎ、諸夏艾安にして、功三代に施す。是より後、滎陽の下より河を引きて東南して鴻溝と為し、以て宋・鄭・陳・蔡・曹・衛に通じ、済・汝・淮・泗と会す。楚に于ては、西方は則ち渠を漢水・雲夢の野に通じ、東方は則ち鴻溝を江淮の間に通ず。呉に於ては、則ち渠を三江・五湖に通ず。斉に於ては、則ち菑・済の間に通ず。蜀に於ては、蜀の守冰、離碓を鑿ち、沫水の害を辟け、二江を成都の中に穿つ。此の渠皆舟を行る可く、余り有れば則ち用て溉浸し、百姓其の利を饗く。過ぐる所に至りては、往往にして其の水を引き、益々用て田疇に溉ぐの渠、万億を以て計ふ。然れども数ふるに足る莫し。西門豹、漳水を引きて鄴に溉ぎ、以て魏の河内を富ます。而して韓、秦の好んで事を興すを聞き、之を罷れしめ、東伐せしむる毋からんと欲す。乃ち水工鄭国をして間して秦に説かしめ、涇水を鑿ちて中山の西より瓠口に邸らしめて渠と為し、北山に并ひて東して洛に注ぐこと三百余里、以て田に溉がんと欲せしむ。中ごろ作りて覚る。秦、鄭国を殺さんと欲す。鄭国曰く、「始め臣は間を為せり。然れども渠成らば亦秦の利なり」と。秦以て然りと為し、卒に渠を就さしむ。
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史記 河渠書五千頃は故尽く河壖の棄地にして、民、其の中に茭牧するのみ。今之に溉田せば、度るに穀二百万石以上を得可し。穀は渭より上り、関中と異なる無く、而して砥柱の東は復た漕する無かる可し」と。天子以て然りと為し、卒数万人を発して渠田を作る。数歳にして、河移徙し、渠利あらず、則ち田する者種を償ふ能はず。之を久しくして、河東の渠田廃れ、越人に予へ、少府をして以て稍入と為さしむ。其の後、人の上書して褒斜の道及び漕の事を通ぜんと欲する有り、御史大夫張湯に下す。湯、其の事を問ひ、因りて言ふ、「蜀に抵るに故道よりす。故道は阪多く、回遠なり。今、褒斜の道を穿たば、阪少なく、近きこと四百里。而して褒水は沔に通じ、斜水は渭に通ず、皆以て船漕を行ふ可し。漕は南陽より沔を上りて褒に入り、褒の水の絶ゆるより斜に至るまで、間百余里、車を以て転じ、斜より下りて渭に下る。此の如くせば、漢中の穀致す可く、山東は沔よりして限り無く、砥柱の漕より便なり。且つ褒斜の材木・竹箭の饒かなること、巴蜀に擬す」と。天子以て然りと為し、湯の子卬を拝して漢中の守と為し、数万人を発して褒斜の道五百余里を作る。道果して便にして近し。而れども水湍石にして、漕す可からず。其の後、荘熊羆言ふ、「臨晋の民、洛を穿ちて以て重泉以東の万余頃の故鹵地に溉がんことを願ふ。誠に水を得ば、畝ごとに十石ならしむ可し」と。是に於て為に卒万余人を発して渠を穿ち、徴より洛水を引きて商顔山の下に至る。岸善く崩る。乃ち井を鑿つこと、深き者四十余丈。往往に井を為り、井の下相通じて水を行る。水穨れて以て商顔を絶ち、東のかた山嶺に至るまで十余里の間なり。井渠の生ずること此より始まる。渠を穿ちて龍骨を得、故に名づけて龍首渠と曰ふ。之を作ること十余歳、渠頗る通ずるも、猶ほ未だ其の饒を得ず。河、瓠子に決せし後より二十余歳、歳因りて以て数々登らず、而して梁・楚の地尤も甚だし。
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史記 太史公自序太史公李陵の禍に遭ひ、縲紲に幽せらる。乃ち喟然として嘆じて曰く、「是れ余の罪なるかな、身毀たれて用ゐられず」と。退きて深く惟ひて曰く、「昔西伯羑里に拘せられて、周易を演べ、孔子陳蔡に戹しみて、春秋を作り、屈原放逐せられて、離騒を著し、左丘明を失ひて、厥に国語有り、孫子臏脚せられて、兵法を論じ、不韋蜀に遷されて、世に呂覧を伝へ、韓非秦に囚はれて、説難・孤憤あり。詩三百篇、大抵賢聖発憤の為に作る所なり。此の人皆意に鬱結する所有り、其の道を通ずるを得ず、故に往事を述べて、来者を思ふ」と。
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