孫子 / 勢篇
勢如彍弩,節如發機。
新字:勢如彍弩,節如発機。
書き下し
勢は彍弩の如く、節は発機の如し。
現代語訳
勢いとは、弩(いしゆみ)をいっぱいに引き絞った状態のようであり、その一撃の節(タイミング)とは、引き金を引いて矢を放つ瞬間のようである。
解説
勢篇で、「勢」と「節」の関係を、弩(大型の弓)に例えて鮮やかに示した名句です。「勢」とは、弩を限界まで引き絞り、放てば凄まじい威力を生む、ためられたエネルギー。「節」とは、その張り詰めた力を、ここぞという一点で解き放つタイミングです。力を蓄えることと、それを一瞬で爆発させること——この二つが揃ってはじめて、最小の動きで最大の効果が生まれる、というのです。仕事でも、日頃から力(準備・態勢・機運)を十分にためておき、ここという好機の一点で一気に放つ。だらだら力を使うのではなく、絞り込んで、決定的な瞬間に集中投下する。ためる勢いと、放つタイミング。その組み合わせの妙を、この一節は教えます。
この章句が説くこと
勢利害動機勢と節力をためる操作
関連する章句
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『韓非子』姦劫弒臣第十四夫れ君臣は骨肉の親有るに非ず。正直の道以て利を得べくんば、則ち臣力を尽くして以て主に事ふ。正直の道以て安きを得べからずんば、則ち臣私を行ひて以て上に干む。明主は之を知る。故に利害の道を設けて、以て天下に示すのみ。夫れ是を以て人主口づから百官に教へず、目づから姦邪を索めずと雖も、而も国已に治まる。人主は、目離婁の若くして乃ち明と為すに非ず、耳師曠の若くして乃ち聡と為すに非ず。目必ず其の数に任ぜずして、目を待ちて以て明と為せば、見る所の者少なし、弊はれざるの術に非ざるなり。耳必ず其の勢に因らずして、耳を待ちて以て聡と為せば、聞く所の者寡し、欺かれざるの道に非ざるなり。
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孫子・虚実篇能く敵をして自ら至らしむる者は、之を利すればなり。能く敵をして至るを得ざらしむる者は、之を害すればなり。
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『管子』明法解明主上位に在り、必治の勢有れば、則ち羣臣敢えて非を為さず。是の故に羣臣の敢えて主を欺かざるは、主を愛するに非ざるなり、主の威勢を畏るるを以てなり。百姓の爭いて用いらるるは、主を愛するを以てするに非ざるなり、主の法令を畏るるを以てなり。故に明主は必勝の數を操りて、以て必用の民を治め、必尊の勢に處りて、以て必服の臣を制す。故に令行われ禁止まり、主尊くして臣卑し。故に明法に曰く、「君を尊び臣を卑しむは、親を計るに非ず、勢を以て勝つなり」と。明主の治むるや、爵祿を縣けて以て其の民を勸む、民の上に利有り、故に主之を使う有り。刑罰を立てて以て其の下を威す、下の上に畏るる有り、故に主之を牧する有り。故に爵祿無ければ則ち主民を勸むる無く、刑罰無ければ則ち主衆を威す無し。故に人臣の理を行い命を奉ずるは、主を愛するを以てするに非ず、且つ以て利に就きて害を避くるなり。百官の法を奉じて姦無きは、主を愛するを以てするに非ず、爵祿を愛して罰を避けんと欲すればなり。故に明法に曰く、「百官職を論ずるは、惠に非ず、刑罰必なればなり」と。
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