孫子 / 作戦篇
不盡知用兵之害者,則不能盡知用兵之利也。
新字:不尽知用兵之害者,則不能尽知用兵之利也。
書き下し
兵を用うるの害を尽く知らざる者は、兵を用うるの利を尽く知ること能わず。
現代語訳
戦争の害を知らなければ、利もわからない。
解説
作戦篇で、孫子の思考の型が凝縮された一節です。戦争がもたらす「害」を知り尽くしていない者は、その「利」を本当に活かすことはできない、と説きます。利を語る前に、まず害を徹底的に見よ——プラス面に飛びつく前に、コスト・リスク・副作用を直視せよ、というのです。害を深く理解している者だけが、利を安全に取りにいける。仕事でも、新規事業や大型投資の「うまくいったとき」ばかりを描く計画は危ういものです。失敗したときの損失、続けるコスト、撤退の難しさといった負の側面を見切ってこそ、大胆な一手を安心して打てます。悲観ではなく、害を先に見据える現実主義。ダウンサイドを知る者が、アップサイドを掴む——バランスの取れた意思決定の要諦です。
この章句が説くこと
利害リスク
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