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史記 / 封禅書

上有所幸王夫人,夫人卒,少翁以方蓋夜致王夫人及灶鬼之貌云,天子自帷中望見焉。於是乃拜少翁為文成將軍,賞賜甚多,以客禮禮之。文成言曰:「上即欲與神通,宮室被服非象神,神物不至。」乃作畫雲氣車,及各以勝日駕車辟惡鬼。又作甘泉宮,中為臺室,畫天、地、太一諸鬼神,而置祭具以致天神。居歲餘,其方益衰,神不至。乃為帛書以飯牛,詳不知,言曰此牛腹中有奇。殺視得書,書言甚怪。天子識其手書,問其人,果是偽書,於是誅文成將軍,隱之。其後則又作柏梁、銅柱、承露僊人掌之屬矣。文成死明年,天子病鼎湖甚,巫醫無所不致,不愈。游水發根言上郡有巫,病而鬼神下之。上召置祠之甘泉。及病,使人問神君。神君言曰:「天子無憂病。病少愈,彊與我會甘泉。」於是病愈,遂起,幸甘泉,病良已。大赦,置壽宮神君。壽宮神君最貴者太一,其佐曰大禁、司命之屬,皆從之。非可得見,聞其言,言與人音等。時去時來,來則風肅然。居室帷中。時晝言,然常以夜。天子祓,然後入。因巫為主人,關飲食。所以言,行下。又置壽宮、北宮,張羽旗,設供具,以禮神君。神君所言,上使人受書其言,命之曰「畫法」。其所語,世俗之所知也,無絕殊者,而天子心獨喜。

新字:上有所幸王夫人,夫人卒,少翁以方蓋夜致王夫人及灶鬼之貌云,天子自帷中望見焉。於是乃拝少翁為文成将軍,賞賜甚多,以客礼礼之。文成言曰:「上即欲与神通,宮室被服非象神,神物不至。」乃作画雲気車,及各以勝日駕車辟悪鬼。又作甘泉宮,中為台室,画天、地、太一諸鬼神,而置祭具以致天神。居歳余,其方益衰,神不至。乃為帛書以飯牛,詳不知,言曰此牛腹中有奇。殺視得書,書言甚怪。天子識其手書,問其人,果是偽書,於是誅文成将軍,隠之。其後則又作柏梁、銅柱、承露僊人掌之属矣。文成死明年,天子病鼎湖甚,巫医無所不致,不愈。游水発根言上郡有巫,病而鬼神下之。上召置祠之甘泉。及病,使人問神君。神君言曰:「天子無憂病。病少愈,彊与我会甘泉。」於是病愈,遂起,幸甘泉,病良已。大赦,置寿宮神君。寿宮神君最貴者太一,其佐曰大禁、司命之属,皆従之。非可得見,聞其言,言与人音等。時去時来,来則風粛然。居室帷中。時昼言,然常以夜。天子祓,然後入。因巫為主人,関飲食。所以言,行下。又置寿宮、北宮,張羽旗,設供具,以礼神君。神君所言,上使人受書其言,命之曰「画法」。其所語,世俗之所知也,無絶殊者,而天子心独喜。

書き下し

上に幸する所の王夫人有り。夫人卒す。少翁、方を以て蓋し夜に王夫人及び灶鬼の貌を致すと云ふ。天子、帷中より望み見る。是に於て乃ち少翁を拝して文成将軍と為し、賞賜甚だ多く、客礼を以て之を礼す。文成言ひて曰く、「上即し神と通ぜんと欲するも、宮室・被服、神に象るに非ざれば、神物至らず」と。乃ち画雲気の車を作り、及び各々勝日を以て車に駕して悪鬼を辟く。又甘泉宮を作り、中に台室を為り、天・地・太一の諸鬼神を画き、而して祭具を置きて以て天神を致す。居ること歳余にして、其の方益々衰へ、神至らず。乃ち帛書を為りて以て牛に飯はせ、詳りて知らずとして、言ひて曰く、此の牛の腹中に奇有りと。殺して視れば書を得、書の言甚だ怪し。天子其の手書を識り、其の人に問へば、果して是れ偽書なり。是に於て文成将軍を誅し、之を隠す。其の後則ち又柏梁・銅柱・承露僊人掌の属を作る。文成死して明年、天子鼎湖に病むこと甚だしく、巫医致さざる所無きも、愈えず。游水発根、上郡に巫有り、病みて鬼神之に下ると言ふ。上召して之を甘泉に置きて祠る。病むに及び、人をして神君に問はしむ。神君言ひて曰く、「天子、病を憂ふる無かれ。病少しく愈えなば、彊ひて我と甘泉に会せよ」と。是に於て病愈え、遂に起ちて甘泉に幸し、病良に已ゆ。大赦し、寿宮の神君を置く。寿宮の神君の最も貴き者は太一、其の佐を大禁・司命の属と曰ひ、皆之に従ふ。得て見る可きに非ず、其の言を聞くに、言は人の音と等し。時に去り時に来り、来れば則ち風粛然たり。室の帷中に居る。時に昼に言ふも、然れども常に夜を以てす。天子祓ひて、然る後に入る。巫に因りて主人と為し、飲食を関る。言ふ所は、行ひて下す。又寿宮・北宮を置き、羽旗を張り、供具を設けて、以て神君を礼す。神君の言ふ所は、上人をして其の言を受書せしめ、之を命じて「画法」と曰ふ。其の語る所は、世俗の知る所にして、絶殊なる者無し。而るに天子の心独り喜ぶ。

現代語訳

天子の寵愛する王夫人がいたが、夫人は亡くなった。少翁は方術によって夜に王夫人と竈の神の姿を呼び出したといい、天子はとばりの中からそれを遠く眺めた。そこで少翁を文成将軍に任じ、賞賜はたいへん多く、客人としての礼をもって遇した。文成将軍は言った。「陛下がもし神と通じたいのであれば、宮殿も衣服も神にかたどったものでなければ、神は来ない」。そこで雲気を描いた車を作り、また五行の相勝の日に合わせてそれぞれの色の車に乗って悪鬼を避けた。さらに甘泉宮を造り、中に高殿を設けて天・地・太一などの鬼神を描き、祭具を置いて天の神を招こうとした。一年余りたつと、その方術はますます効き目がなくなり、神は来なかった。そこで文成将軍は絹に書いた文書を牛に食べさせ、知らないふりをして、この牛の腹の中に不思議なものがあると言った。牛を殺して見ると文書が出てきたが、その内容はたいへん奇怪であった。天子はその筆跡に見覚えがあり、その者を問いただすと、はたして偽りの文書であった。そこで文成将軍を誅殺し、このことを隠した。その後、また柏梁台・銅柱・承露仙人掌(露を受ける仙人の手の像)などを造った。文成将軍が死んだ翌年、天子は鼎湖宮で重い病にかかり、巫も医者も呼べる限り呼んだが治らなかった。游水発根(ゆうすいはつこん)という者が、上郡に巫がいて、病にかかって鬼神がその身に降りていると言った。天子はその巫を呼び寄せ、甘泉宮に置いて祭らせた。病気になると、人を遣わして神君に尋ねさせた。神君は言った。「天子よ、病を心配することはない。病が少しよくなったら、無理をしてでも甘泉で私に会え」。すると病は癒え、天子は起き上がって甘泉宮に行き、病はすっかり治った。大赦を行い、寿宮に神君を祭った。寿宮の神君で最も尊いのは太一で、その補佐は大禁・司命などといい、みな太一に従っている。その姿は見ることができないが、声は聞こえ、その声は人の声と同じである。去ったり来たりし、来るときは風がさっと吹く。部屋のとばりの中にいる。昼に話すこともあるが、たいていは夜である。天子はお祓いをしてから中に入る。巫を仲立ちの主人とし、飲食の世話をさせる。神君の言うことは、巫を通して伝えられる。さらに寿宮と北宮を設け、羽の旗を張り、供え物を並べて神君を祭った。神君の言うことは、天子が人に書き取らせ、それを「画法」と名づけた。その語ることは世間の誰もが知っていることばかりで、特別なことは何もなかった。それでも天子だけは心から喜んだ。

解説

少翁(文成将軍)の降霊術と、その破綻が描かれます。亡き王夫人の姿を夜のとばり越しに見せて武帝の心をつかみましたが、一年たっても神は現れず、追い詰められた少翁は自分で書いた文書を牛に食べさせる細工をして、筆跡から見破られました。武帝は彼を誅したものの、そのことを隠し、神仙への傾倒はやめません。病が治ったのを上郡の巫の神君のおかげだと信じ、その言葉を「画法」として書き取らせます。司馬遷は「世間の誰もが知っていることばかりで、特別なことは何もなかった。それでも天子だけは心から喜んだ」と結んでおり、ここに彼の批判がはっきり表れています。悲しみや不安を抱えた人は、ありふれた言葉にも特別な意味を読み込んでしまいます。自分が何を信じたがっているのかを知ることが、判断を誤らない第一歩です。

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