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史記 / 天官書

夫天運,三十歳一小變,百年中變,五百載大變;三大變一紀,三紀而大備:此其大數也。爲國者必貴三五。上下各千歳,然後天人之際續備。太史公推古天變,未有可考於今者。蓋略以春秋二百四十二年之間,日蝕三十六,彗星三見,宋襄公時星隕如雨。天子微,諸侯力政,五伯代興,更爲主命,自是之後,衆暴寡,大併小。秦、楚、呉、越,夷狄也,爲彊伯。田氏簒齊,三家分晉,並爲戰國。爭於攻取,兵革更起,城邑數屠,因以飢饉疾疫焦苦,臣主共憂患,其察禨祥候星氣尤急。近世十二諸侯七國相王,言從衡者繼踵,而皋、唐、甘、石因時務論其書傳,故其占驗凌雜米鹽。二十八舍主十二州,斗秉兼之,所從來久矣。秦之疆也,候在太白,占於狼、弧。呉、楚之疆,候在熒惑,占於鳥衡。燕、齊之疆,候在辰星,占於虚、危。宋、鄭之疆,候在歳星,占於房、心。晉之疆,亦候在辰星,占於參罰。及秦併呑三晉、燕、代,自河山以南者中國。中國於四海内則在東南,爲陽;陽則日、歳星、熒惑、塡星;占於街南,畢主之。其西北則胡、貉、月氏諸衣旃裘引弓之民,爲陰;陰則月、太白、辰星;占於街北,昴主之。故中國山川東北流,其維,首在隴、蜀,尾沒於勃、碣。

新字:夫天運,三十歳一小変,百年中変,五百載大変;三大変一紀,三紀而大備:此其大数也。為国者必貴三五。上下各千歳,然後天人之際続備。太史公推古天変,未有可考於今者。蓋略以春秋二百四十二年之間,日蝕三十六,彗星三見,宋襄公時星隕如雨。天子微,諸侯力政,五伯代興,更為主命,自是之後,衆暴寡,大併小。秦、楚、呉、越,夷狄也,為彊伯。田氏簒斉,三家分晋,並為戦国。争於攻取,兵革更起,城邑数屠,因以飢饉疾疫焦苦,臣主共憂患,其察禨祥候星気尤急。近世十二諸侯七国相王,言従衡者継踵,而皋、唐、甘、石因時務論其書伝,故其占験凌雑米塩。二十八舎主十二州,斗秉兼之,所従来久矣。秦之疆也,候在太白,占於狼、弧。呉、楚之疆,候在熒惑,占於鳥衡。燕、斉之疆,候在辰星,占於虚、危。宋、鄭之疆,候在歳星,占於房、心。晋之疆,亦候在辰星,占於参罰。及秦併呑三晋、燕、代,自河山以南者中国。中国於四海内則在東南,為陽;陽則日、歳星、熒惑、塡星;占於街南,畢主之。其西北則胡、貉、月氏諸衣旃裘引弓之民,為陰;陰則月、太白、辰星;占於街北,昴主之。故中国山川東北流,其維,首在隴、蜀,尾没於勃、碣。

書き下し

夫れ天の運は、三十歳にして一たび小変し、百年にして中変し、五百載にして大変す。三大変を一紀とし、三紀にして大いに備はる。此れ其の大数なり。国を為むる者は必ず三五を貴ぶ。上下各々千歳にして、然る後に天人の際続き備はる。太史公、古の天変を推すに、未だ今に考ふべき者有らず。蓋し略ぼ春秋二百四十二年の間を以てすれば、日蝕三十六、彗星三たび見はれ、宋の襄公の時に星隕つること雨の如し。天子微にして、諸侯力政し、五伯代々興り、更々命を主る。是より後、衆は寡を暴し、大は小を併す。秦・楚・呉・越は、夷狄なり、彊伯と為る。田氏斉を簒ひ、三家晋を分かち、並びに戦国と為る。攻取を争ひ、兵革更々起こり、城邑数々屠られ、因りて飢饉疾疫焦苦を以てし、臣主共に憂患し、其の禨祥を察し星気を候ふこと尤も急なり。近世十二諸侯七国相王とし、従衡を言ふ者踵を継ぎ、而して皋・唐・甘・石、時務に因りて其の書伝を論ず、故に其の占験は凌雑米塩たり。二十八舎は十二州を主り、斗秉之を兼ぬ、従りて来たる所久し。秦の疆は、候は太白に在り、狼・弧に占ふ。呉・楚の疆は、候は熒惑に在り、鳥衡に占ふ。燕・斉の疆は、候は辰星に在り、虚・危に占ふ。宋・鄭の疆は、候は歳星に在り、房・心に占ふ。晋の疆は、亦候は辰星に在り、参罰に占ふ。秦の三晋・燕・代を併呑するに及び、河山より以南の者は中国なり。中国は四海の内に於いては則ち東南に在り、陽と為す。陽は則ち日・歳星・熒惑・塡星なり。街の南に占ひ、畢之を主る。其の西北は則ち胡・貉・月氏の諸々の旃裘を衣て弓を引くの民、陰と為す。陰は則ち月・太白・辰星なり。街の北に占ひ、昴之を主る。故に中国の山川は東北に流れ、其の維は、首は隴・蜀に在り、尾は勃・碣に没す。

現代語訳

そもそも天の運行は、三十年で一度小さく変わり、百年で中程度に変わり、五百年で大きく変わる。三度の大変を一紀とし、三紀で大いに備わる。これがその大数である。国を治める者は必ず三と五(三十年・五百年の周期)を重んじる。前後それぞれ千年を見通して、はじめて天と人との関わりが連続して備わる。太史公は古の天変を推し量ってみたが、今日に照らして確かめられるものはなかった。おおよそ『春秋』の二百四十二年の間について言えば、日食が三十六回、彗星が三回現れ、宋の襄公の時には星が雨のように降った。天子は衰え、諸侯は力で政治を行い、五人の覇者が次々と興り、かわるがわる天下の命を握った。これより後、多数が少数を虐げ、大国が小国を併合した。秦・楚・呉・越は夷狄であったが、強い覇者となった。田氏は斉を奪い、三家は晋を分け、並んで戦国となった。攻め取ることを争い、戦がかわるがわる起こり、町はたびたび皆殺しにされ、それによって飢饉・疫病・苦難が生じ、臣下も君主も共に憂い悩み、吉凶の兆しを調べ星や雲気を観測することがとりわけ急務となった。近世になると、十二諸侯と七国が互いに王を称し、合従連衡を説く者が次々と現れ、尹皋・唐眛・甘公・石申らが時務に応じてその書物を論じた。そのためその占いの験しは、米と塩のように細々と入り乱れたものとなった。二十八宿は十二州をつかさどり、北斗の柄がそれを兼ねる。その由来は古い。秦の領域は、観測は太白に置き、狼星・弧星で占う。呉・楚の領域は、観測は熒惑に置き、鳥衡(柳宿のあたり)で占う。燕・斉の領域は、観測は辰星に置き、虚宿・危宿で占う。宋・鄭の領域は、観測は歳星に置き、房宿・心宿で占う。晋の領域も、観測は辰星に置き、参宿の罰星で占う。秦が三晋・燕・代を併呑すると、黄河と華山より南が中国となった。中国は四海の内では東南にあり、陽である。陽は太陽・歳星・熒惑・塡星であり、天街の南で占い、畢宿がこれをつかさどる。その西北は胡・貉・月氏など、毛織物や皮衣を着て弓を引く民で、陰である。陰は月・太白・辰星であり、天街の北で占い、昴宿がこれをつかさどる。だから中国の山や川は東北へと流れ、その大筋は、頭が隴・蜀にあり、尾は勃海・碣石に没している。

解説

天官書の太史公曰の続きで、司馬遷の歴史観と天文観がよく表れた一節です。天の運行は三十年で小さく、百年で中ほどに、五百年で大きく変わるという周期観を示し、国を治める者は前後千年を見通して天と人の関係を考えるべきだと説きます。一方で、古の天変のうち今日確かめられるものはないと率直に認め、『春秋』の時代に日食三十六回、彗星三回が記録されていることを挙げています。戦国時代には戦乱が続いて人々が兆しにすがり、占いが細々と入り乱れたと、占いの乱立をやや冷ややかに見ている点も印象的です。後半は、秦は金星、呉・楚は火星というように国ごとに見るべき星を割り当て、中国を陽、北方の遊牧民を陰とする世界観を語っています。不安な時代ほど占いが乱立するという観察は、根拠の乏しい予測に振り回されがちな今の私たちへの戒めとしても読めます。

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