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史記 / 天官書

是日光明,聽都邑人民之聲。聲宮,則歳善,吉;商,則有兵;徴,旱;羽,水;角,歳惡。或從正月旦比數雨。率日食一升,至七升而極;過之,不占。數至十二日,日直其月,占水旱。爲其環千里内占,則爲天下候,竟正月。月所離列宿,日、風、雲,占其國。然必察太歳所在。在金,穰;水,毀;木,飢;火,旱。此其大經也。正月上甲,風從東方,宜蠶;風從西方,若旦黃雲,惡。冬至短極,縣土炭,炭動,鹿解角,蘭根出,泉水躍,略以知日至,要決晷景。歳星所在,五穀逢昌。其對爲衝,歳乃有殃。太史公曰:自初生民以來,世主曷嘗不暦日月星辰?及至五家、三代,紹而明之,内冠帶,外夷狄,分中國爲十有二州,仰則觀象於天,俯則法類於地。天則有日月,地則有陰陽。天有五星,地有五行。天則有列宿,地則有州域。三光者,陰陽之精,氣本在地,而聖人統理之。幽厲以往,尚矣。所見天變,皆國殊窟穴,家占物怪,以合時應,其文圖籍禨祥不法。是以孔子論六經,紀異而説不書。至天道命,不傳;傳其人,不待告;告非其人,雖言不著。昔之傳天數者:髙辛之前,重、黎;於唐、虞,羲、和;有夏,昆吾;殷商,巫咸;周室,史佚、萇弘;於宋,子韋;鄭則裨竈;在齊,甘公;楚,唐眛;趙,尹皋;魏,石申。

新字:是日光明,聴都邑人民之声。声宮,則歳善,吉;商,則有兵;徴,旱;羽,水;角,歳悪。或従正月旦比数雨。率日食一升,至七升而極;過之,不占。数至十二日,日直其月,占水旱。為其環千里内占,則為天下候,竟正月。月所離列宿,日、風、雲,占其国。然必察太歳所在。在金,穰;水,毀;木,飢;火,旱。此其大経也。正月上甲,風従東方,宜蠶;風従西方,若旦黄雲,悪。冬至短極,県土炭,炭動,鹿解角,蘭根出,泉水躍,略以知日至,要決晷景。歳星所在,五穀逢昌。其対為衝,歳乃有殃。太史公曰:自初生民以来,世主曷嘗不暦日月星辰?及至五家、三代,紹而明之,内冠帯,外夷狄,分中国為十有二州,仰則観象於天,俯則法類於地。天則有日月,地則有陰陽。天有五星,地有五行。天則有列宿,地則有州域。三光者,陰陽之精,気本在地,而聖人統理之。幽厲以往,尚矣。所見天変,皆国殊窟穴,家占物怪,以合時応,其文図籍禨祥不法。是以孔子論六経,紀異而説不書。至天道命,不伝;伝其人,不待告;告非其人,雖言不著。昔之伝天数者:高辛之前,重、黎;於唐、虞,羲、和;有夏,昆吾;殷商,巫咸;周室,史佚、萇弘;於宋,子韋;鄭則裨竈;在斉,甘公;楚,唐眛;趙,尹皋;魏,石申。

書き下し

是の日光明なれば、都邑人民の声を聴く。声宮なれば、則ち歳善く、吉なり。商なれば、則ち兵有り。徴なれば、旱。羽なれば、水。角なれば、歳悪し。或いは正月の旦より比べて雨を数ふ。率ね日に食一升、七升に至りて極まる。之に過ぐれば、占はず。数へて十二日に至れば、日は其の月に直る、水旱を占ふ。其の環りて千里の内の為に占へば、則ち天下の候と為す、正月を竟ふ。月の離る所の列宿、日・風・雲にて、其の国を占ふ。然れども必ず太歳の在る所を察す。金に在れば、穣る。水なれば、毀る。木なれば、飢う。火なれば、旱す。此れ其の大経なり。正月の上甲に、風東方よりすれば、蚕に宜し。風西方よりし、若しくは旦に黄雲あれば、悪し。冬至は短きこと極まる、土と炭とを県けて、炭動き、鹿角を解き、蘭根出で、泉水躍れば、略ぼ以て日至を知る、要は晷景に決す。歳星の在る所は、五穀逢昌す。其の対を衝と為す、歳乃ち殃有り。太史公曰く、初めて民を生じてより以来、世主曷ぞ嘗て日月星辰を暦せざらんや。五家・三代に及至びて、紹ぎて之を明らかにし、冠帯を内にし、夷狄を外にし、中国を分かちて十有二州と為し、仰いでは則ち象を天に観、俯しては則ち類を地に法る。天には則ち日月有り、地には則ち陰陽有り。天には五星有り、地には五行有り。天には則ち列宿有り、地には則ち州域有り。三光とは、陰陽の精なり、気の本は地に在り、而して聖人之を統理す。幽・厲より以往は、尚し。見る所の天変は、皆国ごとに窟穴を殊にし、家ごとに物怪を占ひ、以て時応に合はす、其の文・図籍・禨祥は法らず。是を以て孔子六経を論ずるに、異を紀して説は書かず。天道命に至りては、伝へず。其の人に伝ふるは、告ぐるを待たず。其の人に非ざるに告ぐれば、言ふと雖も著れず。昔の天数を伝ふる者は、高辛の前は、重・黎。唐・虞に於いては、羲・和。有夏は、昆吾。殷商は、巫咸。周室は、史佚・萇弘。宋に於いては、子韋。鄭は則ち裨竈。斉に在りては、甘公。楚は、唐眛。趙は、尹皋。魏は、石申。

現代語訳

この日(元旦)が晴れて明るければ、都や町の人々の声を聴く。声が宮の音であればその年は良く吉であり、商の音なら戦があり、徴の音なら日照り、羽の音なら洪水、角の音なら悪い年である。あるいは正月元旦から順に雨の日を数える。おおよそ一日につき一人の食糧一升(の収穫)とし、七升で極まる。それを過ぎれば占わない。数えて十二日に至るまで、一日をその月に当てて、洪水や日照りを占う。周囲千里の内について占えば、それは天下の兆しとなり、正月いっぱいまで(観測を)続ける。月がかかる星宿、そして太陽・風・雲によってその国を占う。しかし必ず太歳(歳陰)のある位置を観察する。太歳が金(西)にあれば豊作、水(北)なら損なわれ、木(東)なら飢饉、火(南)なら日照りとなる。これがその大原則である。正月最初の甲の日に、風が東から吹けば養蚕に良い。風が西から吹いたり、明け方に黄色い雲が出たりすれば悪い。冬至は昼の短さが極まる日で、土と炭を(天秤の両端に)懸けておくと炭の側が動き、鹿が角を落とし、蘭の根が出て、泉の水が躍り上がる。これでおおよそ冬至を知ることができるが、決め手は日時計の影の長さである。歳星のある方角は五穀が豊かに栄える。その反対の方角を衝といい、その年は災いがある。太史公は言う。民が生まれて以来、世の君主で、日・月・星辰を暦に定めなかった者がいただろうか。五帝と三代に至って、それを受け継いで明らかにし、冠帯の国(中国)を内とし、夷狄を外とし、中国を分けて十二州とし、仰いでは天に象を観察し、俯しては地に類を法とした。天には日月があり、地には陰陽がある。天には五星があり、地には五行がある。天には星宿があり、地には州がある。日・月・星の三光は陰陽の精であり、その気のもとは地にあって、聖人がこれを統べ治めたのである。幽王・厲王より前のことははるかに古い。そのころ見られた天変は、みな国ごとに観測の拠り所を異にし、家ごとに怪異を占い、それを時々の出来事に当てはめていたので、その文章・図籍・吉凶の占いには規範がなかった。だから孔子は六経を論じたとき、異変は記録しても、その解釈は書かなかった。天の道と天命に至っては伝えなかった。伝えるべき人には、告げるまでもなく伝わる。伝えるべきでない人に告げても、言ったところで明らかにはならない。昔の天の数(天文暦数)を伝えた者は、高辛以前は重と黎、唐・虞の時代は羲と和、夏では昆吾、殷では巫咸、周王室では史佚と萇弘、宋では子韋、鄭では裨竈、斉では甘公、楚では唐眛、趙では尹皋、魏では石申であった。

解説

年の豊凶を占う方法の続きと、天官書のまとめとなる「太史公曰」の始まりです。元旦に都の人々の声の調子が五音のどれに当たるかで一年を占う、正月の雨の日数で収穫を占う、といった民間の占法が紹介されています。冬至を知るには、土と炭を天秤に懸けたり鹿の角が落ちるのを見たりする方法もあるが、決め手は日時計の影だと述べているのは、最終的には正確な測定を重視する姿勢として注目されます。後半で司馬遷は、天の日月・五星・列宿が地の陰陽・五行・州に対応するという考えを示しつつ、古い時代の天変の記録は国や家ごとにばらばらで規範がなかったと指摘し、孔子も異変を記録するだけで解釈は書かなかったと述べます。そして重・黎から石申まで、天文を伝えた人々の系譜を挙げています。記録と解釈を分けるという孔子の態度は、事実と意見を分けて報告する今の仕事の基本にも通じます。

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