史記 / 三代世表
契生而賢,堯立爲司徒,姓之曰子氏。子者茲;茲,益大也。詩人美而頌之曰「殷社芒芒,天命玄鳥,降而生商」。商者質,殷號也。文王之先爲后稷,后稷亦無父而生。后稷母爲姜嫄,出見大人蹟而履踐之,知於身,則生后稷。姜嫄以爲無父,賤而弃之道中,牛羊避不踐也。抱之山中,山者養之。又捐之大澤,鳥覆席食之。姜嫄怪之,於是知其天子,乃取長之。堯知其賢才,立以爲大農,姓之曰姬氏。姬者,本也。詩人美而頌之曰「厥初生民」,深修益成,而道后稷之始也。』孔子曰:『昔者堯命契爲子氏,爲有湯也。命后稷爲姬氏,爲有文王也。大王命季歷,明天瑞也。太伯之吳,遂生源也。』天命難言,非聖人莫能見。舜、禹、契、后稷皆黃帝子孫也。黃帝策天命而治天下,德澤深後世,故其子孫皆復立爲天子,是天之報有德也。人不知,以爲氾從布衣匹夫起耳。夫布衣匹夫安能無故而起王天下乎?其有天命然。」「黃帝後世何王天下之久遠邪?」曰:「傳云天下之君王爲萬夫之黔首請贖民之命者帝,有福萬世。黃帝是也。五政明則修禮義,因天時舉兵征伐而利者王,有福千世。蜀王,黃帝後世也,至今在漢西南五千里,常來朝降,輸獻於漢,非以其先之有德,澤流後世邪?
新字:契生而賢,堯立為司徒,姓之曰子氏。子者茲;茲,益大也。詩人美而頌之曰「殷社芒芒,天命玄鳥,降而生商」。商者質,殷号也。文王之先為后稷,后稷亦無父而生。后稷母為姜嫄,出見大人跡而履践之,知於身,則生后稷。姜嫄以為無父,賤而弃之道中,牛羊避不践也。抱之山中,山者養之。又捐之大沢,鳥覆席食之。姜嫄怪之,於是知其天子,乃取長之。堯知其賢才,立以為大農,姓之曰姫氏。姫者,本也。詩人美而頌之曰「厥初生民」,深修益成,而道后稷之始也。』孔子曰:『昔者堯命契為子氏,為有湯也。命后稷為姫氏,為有文王也。大王命季歴,明天瑞也。太伯之呉,遂生源也。』天命難言,非聖人莫能見。舜、禹、契、后稷皆黄帝子孫也。黄帝策天命而治天下,徳沢深後世,故其子孫皆復立為天子,是天之報有徳也。人不知,以為氾従布衣匹夫起耳。夫布衣匹夫安能無故而起王天下乎?其有天命然。」「黄帝後世何王天下之久遠邪?」曰:「伝云天下之君王為万夫之黔首請贖民之命者帝,有福万世。黄帝是也。五政明則修礼義,因天時舉兵征伐而利者王,有福千世。蜀王,黄帝後世也,至今在漢西南五千里,常来朝降,輸献於漢,非以其先之有徳,沢流後世邪?
書き下し
契生まれて賢なり、堯立てて司徒と為し、之に姓して子氏と曰ふ。子とは茲なり。茲は益々大なるなり。詩人美めて之を頌して曰く「殷社芒芒たり、天、玄鳥に命じ、降りて商を生ましむ」と。商とは質なり、殷の号なり。文王の先は后稷為り、后稷も亦父無くして生まる。后稷の母は姜嫄為り、出でて大人の蹟を見て之を履み践み、身に知ありて、則ち后稷を生む。姜嫄以て父無しと為し、賤しみて之を道中に棄つるに、牛羊避けて践まず。之を山中に抱けば、山者之を養ふ。又之を大沢に捐つれば、鳥覆ひ席きて之に食はしむ。姜嫄之を怪しみ、是に於いて其の天子なるを知り、乃ち取りて之を長ず。堯其の賢才を知り、立てて以て大農と為し、之に姓して姫氏と曰ふ。姫とは本なり。詩人美めて之を頌して「厥の初め民を生む」と曰ひ、深く修め益々成し、而して后稷の始めを道ふなり。』孔子曰く、『昔者堯、契に命じて子氏と為すは、湯有るが為なり。后稷に命じて姫氏と為すは、文王有るが為なり。大王の季歴に命ずるは、天瑞を明らかにするなり。太伯の呉に之くは、遂に源を生ずるなり』と。天命は言ひ難し、聖人に非ざれば能く見る莫し。舜・禹・契・后稷は皆黄帝の子孫なり。黄帝、天命を策して天下を治め、徳沢後世に深し、故に其の子孫皆復た立ちて天子と為る、是れ天の有徳に報ゆるなり。人知らず、以為へらく氾く布衣匹夫より起こるのみと。夫れ布衣匹夫、安んぞ能く故無くして起こりて天下に王たらんや。其れ天命有りて然るなり」と。「黄帝の後世、何ぞ天下に王たることの久遠なるや」と。曰く、「伝に云ふ、天下の君王、万夫の黔首の為に民の命を贖はんことを請ふ者は帝たり、福有ること万世。黄帝是れなり。五政明らかなれば則ち礼義を修め、天の時に因りて兵を挙げて征伐して利ある者は王たり、福有ること千世。蜀王は黄帝の後世なり、今に至るまで漢の西南五千里に在り、常に来りて朝降し、漢に輸献す、其の先の徳有りて、沢の後世に流るるを以てするに非ずや。
現代語訳
契は生まれながらに賢く、堯は彼を司徒(教化をつかさどる官)に任じ、子という姓を与えた。子とは「茲」であり、茲とはますます大きくなるという意味である。詩人はこれを讃えて「殷の国土は広々と、天は玄鳥(燕)に命じ、降りて商の祖を生ませた」と歌った。商とは質実の意で、殷の国号である。文王の祖先は后稷で、后稷もまた父なしに生まれた。后稷の母は姜嫄といい、外出して巨人の足跡を見つけてそれを踏み、身ごもったと気づいて后稷を生んだ。姜嫄は父のない子だとして卑しみ、道の真ん中に捨てたが、牛や羊は避けて踏まなかった。山の中に抱いていくと、山の人が養った。さらに大きな沢に捨てると、鳥が翼で覆い敷いて餌を与えた。姜嫄は不思議に思い、そこで天の子であると悟り、引き取って育てた。堯はその賢才を知って大農(農事の長官)に任じ、姫という姓を与えた。姫とは「本」の意である。詩人はこれを讃えて「そもそも民を生んだのは」と歌い、深く修め、ますます成し遂げたことを述べて、后稷の始まりを語ったのである。』孔子はこう言った。『昔、堯が契に子氏を名のらせたのは、(その子孫に)湯王が出るからである。后稷に姫氏を名のらせたのは、文王が出るからである。大王(古公亶父)が季歴を後継に命じたのは、天の瑞兆を明らかにするためである。太伯が呉に去ったのは、そこに(呉という)新たな源を生むためである。』天命は言葉にしがたく、聖人でなければ見抜けない。舜・禹・契・后稷はみな黄帝の子孫である。黄帝は天命を受けて天下を治め、その徳の恵みは後世まで深かった。だからその子孫はみな再び立って天子となった。これは天が徳ある者に報いたのである。人々はそれを知らず、ただ無位無官の庶民から身を起こしただけだと思っている。しかし無位無官の庶民が、何のわけもなく身を起こして天下の王になれるだろうか。そこには天命があってそうなるのだ。」(張夫子が)「黄帝の子孫は、どうしてこれほど長く天下の王であり続けるのですか」と問うと、(褚先生は)言った。「伝にこうある。天下の君主で、万民のために民の命を救おうと願う者は帝となり、その福は万世に及ぶ。黄帝がそれである。五つの政治が明らかであれば礼義を修め、天の時にしたがって兵を挙げ、征伐して利を得る者は王となり、その福は千世に及ぶ。蜀王は黄帝の子孫で、いまも漢の西南五千里にあり、常に来朝して降伏し、漢に貢ぎ物を納めている。これは祖先に徳があり、その恵みが後世に流れているからではないか。
解説
関連する章句
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史記 三代世表太史公曰く、五帝・三代の記は尚し。殷より以前は諸侯得て譜すべからず、周以来は乃ち頗る著すべし。孔子、史文に因りて春秋を次し、元年を紀し、時日月を正す、蓋し其れ詳らかなるかな。尚書を序するに至りては則ち略にして、年月無し。或いは頗る有れども、然れども多く闕けて、録すべからず。故に疑はしきは則ち疑はしきを伝ふ、蓋し其の慎みなり。余、諜記を読むに、黄帝以来皆年数有り。其の暦譜諜の終始五徳の伝を稽ふるに、古文咸同じからず、乖異す。夫子の其の年月を論次せざる、豈に虚ならんや。是に於いて五帝繋諜・尚書を以て世紀の黄帝以来共和に訖るまでを集めて世表を為る。禹より桀に至るまで十七世、黄帝より桀に至るまで二十世。殷湯、夏氏に代はる、黄帝より湯に至るまで十七世。湯より紂に至るまで二十九世、黄帝より紂に至るまで四十六世。周の武王、殷に代はる、黄帝より武王に至るまで十九世。張夫子、褚先生に問ひて曰く、「詩に言ふ、契・后稷は皆父無くして生まると。今諸の伝記を案ずるに咸父有りと言ひ、父は皆黄帝の子なり。詩と謬ること無きを得んや」と。褚先生曰く、「然らず。詩に契は卵に生まれ、后稷は人の迹よりすと言ふは、其の天命精誠の意有るを見さんと欲するのみ。鬼神は自ら成る能はず、人を須ちて生まる、奈何ぞ父無くして生まれんや。一は父有りと言ひ、一は父無しと言ふ、信は以て信を伝へ、疑は以て疑を伝ふ、故に両つながら之を言ふ。堯、契・稷の皆賢人にして天の生む所なるを知る、故に契を七十里に封じ、後十余世にして湯に至り、天下に王たり。堯、后稷の子孫の後に王たるを知るなり、故に益して之を百里に封じ、其の後世且に千歳ならんとして、文王に至りて天下を有つ。詩伝に曰く、『湯の先は契為り、父無くして生まる。契の母、姉妹と玄丘の水に浴す、燕の卵を銜へて之を堕とす有り、契の母得て、故に之を含み、誤りて之を呑み、即ち契を生む。
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史記 殷本紀殷の契は、母を簡狄と曰ふ。有娀氏の女にして、帝嚳の次妃為り。三人行きて浴し、玄鳥の其の卵を墮とすを見る。簡狄取りて之を呑み、因りて孕みて契を生む。契長じて禹を佐けて水を治めて功有り。帝舜乃ち契に命じて曰く、「百姓親しまず、五品訓はず。汝司徒と為りて敬みて五教を敷け。五教は寛に在り」と。商に封じ、姓を子氏と賜ふ。契は唐・虞・大禹の際に興り、功業百姓に著はれ、百姓以て平らかなり。契卒し、子昭明立つ。昭明卒し、子相土立つ。相土卒し、子昌若立つ。昌若卒し、子曹圉立つ。曹圉卒し、子冥立つ。冥卒し、子振立つ。振卒し、子微立つ。微卒し、子報丁立つ。報丁卒し、子報乙立つ。報乙卒し、子報丙立つ。報丙卒し、子主壬立つ。主壬卒し、子主癸立つ。主癸卒し、子天乙立つ。是を成湯と為す。成湯は、契より湯に至るまで八たび遷る。湯始めて亳に居り、先王に従ひて居り、帝誥を作る。湯諸侯を征す。葛伯祀らず、湯始めて之を伐つ。
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史記 周本紀周の后稷は、名を棄とす。其の母は有邰氏の女にして、姜原と曰ふ。姜原は帝嚳の元妃為り。姜原野に出で、巨人の跡を見、心忻然として説び、之を践まんと欲す。之を践みて身動くこと孕める者の如し。期に居りて子を生む。以て不祥と為し、之を隘巷に棄つるに、馬牛の過ぐる者皆辟けて践まず。徙して之を林中に置くに、適山林に人多きに会ひ、之を遷す。而して渠中の氷上に棄つるに、飛鳥其の翼を以て之を覆薦す。姜原以て神と為し、遂に収めて之を養長す。初め之を棄てんと欲す、因りて名づけて棄と曰ふ。棄児為りし時、屹として巨人の志の如し。其の游戯するや、好んで麻・菽を種樹し、麻・菽美なり。成人と為るに及び、遂に耕農を好み、地の宜しきを相し、穀に宜しき者は焉に稼穡す。民皆之に法則す。帝堯之を聞き、棄を挙げて農師と為す。天下其の利を得て、功有り。帝舜曰く、「棄、黎民始めて饑う。爾后稷となりて時に百穀を播け」と。棄を邰に封じ、号して后稷と曰ひ、別に姫氏を姓とす。后稷の興るは、陶唐・虞・夏の際に在り、皆令徳有り。后稷卒し、子不窋立つ。不窋の末年、夏后氏の政衰へ、稷を去りて務めず。不窋以て其の官を失ひて戎狄の間に犇る。不窋卒し、子鞠立つ。鞠卒し、子公劉立つ。公劉戎狄の間に在りと雖も、復た后稷の業を修め、耕種を務め、地宜を行ひ、漆・沮より渭を度り、材用を取る。行く者に資有り、居る者に畜積有り、民其の慶に頼る。百姓之を懐ひ、多く徙りて保帰す。周道の興ること此より始まる。故に詩人歌楽して其の徳を思ふ。公劉卒し、子慶節立ち、豳に国す。慶節卒し、子皇仆立つ。皇仆卒し、子差弗立つ。差弗卒し、子毀隃立つ。毀隃卒し、子公非立つ。公非卒し、子高圉立つ。高圉卒し、子亜圉立つ。亜圉卒し、子公叔祖類立つ。公叔祖類卒し、子古公亶父立つ。
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