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史記 / 孝武本紀

封廣丈二尺,高九尺,其下則有玉牒書,書祕。禮畢,天子獨與侍中奉車子侯上泰山,亦有封。其事皆禁。明日,下陰道。丙辰,禪泰山下阯東北肅然山,如祭后土禮。天子皆親拜見,衣上黃而盡用樂焉。江淮閒一茅三脊為神藉。五色土益雜封。縱遠方奇獸蜚禽及白雉諸物,頗以加祠。兕旄牛犀象之屬弗用。皆至泰山然後去。封禪祠,其夜若有光,晝有白雲起封中。天子從封禪還,坐明堂,群臣更上壽。於是制詔御史:「朕以眇眇之身承至尊,兢兢焉懼弗任。維德菲薄,不明于禮樂。修祀泰一,若有象景光,屑如有望,依依震於怪物,欲止不敢,遂登封泰山,至於梁父,而後禪肅然。自新,嘉與士大夫更始,賜民百戶牛一酒十石,加年八十孤寡布帛二匹。復博、奉高、蛇丘、歷城,毋出今年租稅。其赦天下,如乙卯赦令。行所過毋有復作。事在二年前,皆勿聽治。」又下詔曰:「古者天子五載一巡狩,用事泰山,諸侯有朝宿地。其令諸侯各治邸泰山下。」天子既已封禪泰山,無風雨菑,而方士更言蓬萊諸神山若將可得,於是上欣然庶幾遇之,乃復東至海上望,冀遇蓬萊焉。奉車子侯暴病,一日死。上乃遂去,并海上,北至碣石,巡自遼西,歷北邊至九原。

新字:封広丈二尺,高九尺,其下則有玉牒書,書秘。礼畢,天子独与侍中奉車子侯上泰山,亦有封。其事皆禁。明日,下陰道。丙辰,禅泰山下阯東北粛然山,如祭后土礼。天子皆親拝見,衣上黄而尽用楽焉。江淮閒一茅三脊為神藉。五色土益雑封。縦遠方奇獣蜚禽及白雉諸物,頗以加祠。兕旄牛犀象之属弗用。皆至泰山然後去。封禅祠,其夜若有光,昼有白雲起封中。天子従封禅還,坐明堂,群臣更上寿。於是制詔御史:「朕以眇眇之身承至尊,兢兢焉懼弗任。維徳菲薄,不明于礼楽。修祀泰一,若有象景光,屑如有望,依依震於怪物,欲止不敢,遂登封泰山,至於梁父,而後禅粛然。自新,嘉与士大夫更始,賜民百戸牛一酒十石,加年八十孤寡布帛二匹。復博、奉高、蛇丘、歴城,毋出今年租税。其赦天下,如乙卯赦令。行所過毋有復作。事在二年前,皆勿聴治。」又下詔曰:「古者天子五載一巡狩,用事泰山,諸侯有朝宿地。其令諸侯各治邸泰山下。」天子既已封禅泰山,無風雨菑,而方士更言蓬萊諸神山若将可得,於是上欣然庶幾遇之,乃復東至海上望,冀遇蓬萊焉。奉車子侯暴病,一日死。上乃遂去,并海上,北至碣石,巡自遼西,歴北辺至九原。

書き下し

封は広さ丈二尺、高さ九尺、其の下には則ち玉牒の書有り、書は秘す。礼畢り、天子独り侍中奉車の子侯と泰山に上り、亦封有り。其の事皆禁ず。明日、陰道を下る。丙辰、泰山の下阯の東北の粛然山に禅すること、后土を祭るの礼の如くす。天子皆親ら拝見し、衣は黄を上びて尽く楽を用ゐる。江淮の間の一茅三脊を神藉と為す。五色の土をもて益々雑へて封ず。遠方の奇獣蜚禽及び白雉の諸物を縦ち、頗る以て祠に加ふ。兕旄牛犀象の属は用ゐず。皆泰山に至りて然る後に去る。封禅の祠、其の夜光有るが若く、昼白雲の封中より起こる有り。天子封禅より還り、明堂に坐す、群臣更々寿を上る。是に於て御史に制詔すらく、「朕眇眇の身を以て至尊を承け、兢兢焉として任へざらんことを懼る。維れ徳菲薄にして、礼楽に明らかならず。泰一を修祀するに、象景光有るが若く、屑として望む有るが如し、依依として怪物に震へ、止まらんと欲するも敢へてせず、遂に登りて泰山に封じ、梁父に至り、而る後に粛然に禅す。自ら新たにし、嘉して士大夫と与に更始す、民に百戸ごとに牛一酒十石を賜ひ、年八十の孤寡に布帛二匹を加ふ。博・奉高・蛇丘・歴城を復し、今年の租税を出だす毋からしめよ。其れ天下に赦すこと、乙卯の赦令の如くせよ。行きて過ぐる所復作有る毋かれ。事二年の前に在るものは、皆聴治する勿かれ。」と。又詔を下して曰く、「古者天子五載に一たび巡狩し、事を泰山に用ゐ、諸侯朝宿の地有り。其れ諸侯をして各々邸を泰山の下に治めしめよ。」と。天子既已に泰山に封禅し、風雨の菑無し、而して方士更に言ふ蓬萊の諸神山将に得べきが若しと、是に於て上欣然として庶幾くは之に遇はんとし、乃ち復た東のかた海上に至りて望み、蓬萊に遇はんことを冀ふ。奉車の子侯暴かに病み、一日にして死す。上乃ち遂に去り、海上に并ひて、北のかた碣石に至り、遼西より巡り、北辺を歴て九原に至る。

現代語訳

封(土を盛った祭壇)は幅一丈二尺、高さ九尺で、その下には玉の札に書いた文書が納められたが、その文は秘密にされた。礼が終わると、天子はただ一人、侍中で奉車都尉の子侯(霍去病の子の霍嬗)とともに泰山の頂上に登り、そこでも封の祭りを行った。その内容は皆口外を禁じられた。翌日、山の北側の道を下った。丙辰の日、泰山のふもとの東北にある粛然山で禅(地の神を祀る祭り)を行い、后土を祭る礼と同じにした。天子はいずれも自ら拝礼し、衣は黄色を尊び、すべての儀式で音楽を用いた。長江と淮水の間でとれる、一本の茎に三つの稜のある茅を神の敷物とした。五色の土を混ぜて封を盛り上げた。遠方から献上された珍しい獣や鳥、白い雉などを放ち、それを祭りに加えた。野牛・ヤク・犀・象などは用いなかった。これらは皆泰山まで連れて行ってから放した。封禅の祭りの夜には光があったようで、昼には白い雲が封の中から立ち上った。天子は封禅から戻ると明堂に座り、群臣が次々に長寿を祝った。そこで御史に詔を下した。「朕は取るに足らない身で至尊の位を受け継ぎ、その任に堪えられないのではないかと恐れおののいてきた。徳は薄く、礼や音楽にも明るくない。泰一を祀ったところ、光のようなものが見え、何かが望めるような気がして、不思議なものに心を揺さぶられ、やめようと思ってもやめられず、ついに泰山に登って封を行い、梁父に至り、その後粛然山で禅を行った。自らを新たにし、喜んで士大夫とともに新しく始めたい。民には百戸ごとに牛一頭と酒十石を与え、八十歳の老人や孤児・寡婦には布と絹を二匹ずつ加えて与える。博・奉高・蛇丘・歴城の民は今年の租税を免除する。天下に大赦を行うこと、乙卯の日の赦令と同じにせよ。行幸で通過した所では、労役刑の者を働かせてはならない。二年以上前の事件は、皆取り上げて裁いてはならない」。さらに詔を下した。「昔、天子は五年に一度巡行して泰山で祭祀を行い、諸侯には朝見のために泊まる土地があった。諸侯にそれぞれ泰山のふもとに屋敷を造らせよ」。天子は泰山で封禅を終えたが、風雨の災いもなかった。すると方士たちはさらに、蓬萊などの神山はもうすぐ見つかりそうだと言った。そこで主上は喜んで、何とか出会いたいと願い、再び東の海辺まで行って遠くを望み、蓬萊に出会えることを願った。奉車都尉の子侯がにわかに病気になり、一日で死んだ。主上はそこでようやくその地を去り、海沿いに北へ進んで碣石に至り、遼西から巡行して北の辺境を経て九原に至った。

解説

ついに泰山で封禅が行われた場面です。泰山のふもとで封を行った後、武帝はただ一人、侍中の子侯だけを連れて頂上に登り、秘密の祭りを行いました。その内容は口外を禁じられ、玉牒の文も秘されました。封禅の後、武帝は「泰一を祀ると光が見え、不思議なものに心を揺さぶられて、やめようにもやめられなかった」と詔しています。皇帝自身が、神秘への引力に抗えなかったことを告白しているのです。民には牛や酒、税の免除などの恩恵が与えられました。しかし方士たちはすぐに「蓬萊ももうすぐ見つかる」と言い、武帝は再び海辺へ向かいます。その途中、ただ一人頂上に同行した子侯が一日で急死しました。頂上での儀式を知る唯一の人物が亡くなったことを、司馬遷は何の評も加えずに記しています。沈黙がかえって多くを語る書き方です。

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