史記 / 孝文本紀
因各飭其任職,務省繇費以便民。朕既不能遠德,故憪然念外人之有非,是以設備未息。今縱不能罷邊屯戍,而又飭兵厚衛,其罷衛將軍軍。太仆見馬遺財足,餘皆以給傳置。」正月,上曰:「農,天下之本,其開籍田,朕親率耕,以給宗廟粢盛。」三月,有司請立皇子為諸侯王。上曰:「趙幽王幽死,朕甚憐之,已立其長子遂為趙王。遂弟辟彊及齊悼惠王子朱虛侯章、東牟侯興居有功,可王。」乃立趙幽王少子辟彊為河閒王,以齊劇郡立朱虛侯為城陽王,立東牟侯為濟北王,皇子武為代王,子參為太原王,子揖為梁王。
新字:因各飭其任職,務省繇費以便民。朕既不能遠徳,故憪然念外人之有非,是以設備未息。今縦不能罷辺屯戍,而又飭兵厚衛,其罷衛将軍軍。太仆見馬遺財足,余皆以給伝置。」正月,上曰:「農,天下之本,其開籍田,朕親率耕,以給宗廟粢盛。」三月,有司請立皇子為諸侯王。上曰:「趙幽王幽死,朕甚憐之,已立其長子遂為趙王。遂弟辟彊及斉悼恵王子朱虚侯章、東牟侯興居有功,可王。」乃立趙幽王少子辟彊為河閒王,以斉劇郡立朱虚侯為城陽王,立東牟侯為済北王,皇子武為代王,子参為太原王,子揖為梁王。
書き下し
因りて各々其の任職を飭(ととの)へ、務めて繇費を省きて以て民に便ならしめよ。朕既に遠く徳する能はず、故に憪然として外人の非有るを念ふ、是を以て備へを設けて未だ息まず。今縦ひ辺の屯戍を罷むる能はずとも、而して又兵を飭へて衛を厚くす、其れ衛将軍の軍を罷めよ。太僕の見馬は財(わづ)かに足るを遺し、余は皆以て伝置に給せよ。」と。正月、上曰く、「農は、天下の本なり、其れ籍田を開け、朕親ら率ゐて耕し、以て宗廟の粢盛に給せん。」と。三月、有司皇子を立てて諸侯王と為さんことを請ふ。上曰く、「趙の幽王幽死す、朕甚だ之を憐れむ、已に其の長子遂を立てて趙王と為す。遂の弟辟彊及び斉の悼恵王の子朱虚侯章・東牟侯興居功有り、王とすべし。」と。乃ち趙の幽王の少子辟彊を立てて河間王と為し、斉の劇郡を以て朱虚侯を立てて城陽王と為し、東牟侯を立てて済北王と為し、皇子武を代王と為し、子参を太原王と為し、子揖を梁王と為す。
現代語訳
(文帝の詔は続く。)「そしてそれぞれ自分の職務を正し、労役や費用を省いて民の便宜を図るよう努めよ。朕は遠方にまで徳を及ぼすことができないので、不安な思いで外の者(異民族)が悪事をはたらくのではないかと案じ、そのために備えを設けてやめられずにいる。いま辺境の守備兵を引き揚げることはできないにしても、そのうえ兵を整えて都の護衛を厚くする必要はない。衛将軍の軍を廃止せよ。太僕(馬を管理する長官)の手元の馬は必要な分だけ残し、残りは皆駅伝の施設に回せ」。正月、主上は言った。「農業は天下の根本である。籍田(天子自ら耕す儀礼用の田)を開け。朕が自ら率先して耕し、宗廟に供える穀物に充てよう」。三月、役人たちが皇子を諸侯王に立てるよう願い出た。主上は言った。「趙の幽王は幽閉されて死んだ。朕はたいへん哀れに思い、すでにその長子の劉遂を趙王に立てた。劉遂の弟の劉辟彊と、斉の悼恵王の子の朱虚侯劉章・東牟侯劉興居は功績があるので、王に立てるのがよい」。そこで趙の幽王の末子の劉辟彊を河間王に立て、斉の劇郡を分けて朱虚侯を城陽王に立て、東牟侯を済北王に立て、皇子の劉武を代王、劉参を太原王、劉揖を梁王とした。
解説
関連する章句
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史記 孝文本紀太尉身ら襄平侯通を率ゐて節を持ちて詔を承けて北軍に入る。典客劉掲身ら趙王呂禄の印を奪ふ。太尉勃に封を益すこと万戸、金五千斤を賜ふ。丞相陳平・灌将軍嬰に邑各々三千戸、金二千斤。朱虚侯劉章・襄平侯通・東牟侯劉興居に邑各々二千戸、金千斤。典客掲を封じて陽信侯と為し、金千斤を賜ふ。」と。十二月、上曰く、「法は、治の正なり、暴を禁じて善人を率ゐる所以なり。今法を犯して已に論ぜらるるに、而して罪毋き父母妻子同産をして之に坐せしめ、及び収帑と為す、朕甚だ取らず。其れ之を議せよ。」と。有司皆曰く、「民自ら治むる能はず、故に法を為りて以て之を禁ず。相坐し坐して収むるは、其の心を累して、法を犯すことを重んぜしむる所以なり、従りて来たる所遠し。故の如くするが便なり。」と。上曰く、「朕聞く法正しければ則ち民愨(つつし)み、罪当たれば則ち民従ふと。且つ夫れ民を牧して之を善に導く者は、吏なり。其れ既に導く能はず、又不正の法を以て之を罪す、是れ反つて民を害して暴を為す者なり。何を以て之を禁ぜん。朕未だ其の便なるを見ず、其れ孰(つらつら)之を計れ。」と。有司皆曰く、「陛下大恵を加ふ、徳甚だ盛んなり、臣等の及ぶ所に非ざるなり。請ふ詔書を奉じて、収帑諸相坐の律令を除かん。」と。正月、有司言ひて曰く、「蚤く太子を建つるは、宗廟を尊ぶ所以なり。請ふ太子を立てん。」と。上曰く、「朕既に不徳なり、上帝神明未だ歆享せず、天下の人民未だ嗛志有らず。今縦ひ博く天下の賢聖有徳の人を求めて天下を禅(ゆづ)る能はずとも、而して豫め太子を建つと曰ふは、是れ吾が不徳を重ぬるなり。天下を何と謂はん。其れ之を安んぜよ。」と。有司曰く、「豫め太子を建つるは、宗廟社稷を重んじて、天下を忘れざる所以なり。」と。上曰く、「楚王は、季父なり、春秋高く、天下の義理を閲すること多し、国家の大体に明らかなり。呉王は朕に於て、兄なり、恵仁にして以て徳を好む。
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史記 孝文本紀上曰く、「列侯の高帝に従ひて蜀・漢中に入りし者六十八人皆封を益すこと各々三百戸、故の吏二千石以上の高帝に従ひし潁川の守尊等十人には食邑六百戸、淮陽の守申徒嘉等十人には五百戸、衛尉定等十人には四百戸。淮南王の舅父趙兼を封じて周陽侯と為し、斉王の舅父駟鈞を清郭侯と為す。」と。秋、故の常山の丞相蔡兼を封じて樊侯と為す。人或いは右丞相に説きて曰く、「君本諸呂を誅し、代王を迎ふ、今又其の功を矜り、上賞を受け、尊位に処る、禍且に身に及ばんとす。」と。右丞相勃乃ち病を謝して免じ罷む、左丞相平専ら丞相と為る。二年十月、丞相平卒す、復た絳侯勃を以て丞相と為す。上曰く、「朕聞く古者諸侯国を建つること千余(歳)、各々其の地を守り、時を以て入貢し、民労苦せず、上下驩欣し、遺徳有る靡しと。今列侯多く長安に居り、邑遠く、吏卒の給輸費苦しみ、而して列侯も亦其の民を教馴するに由無し。其れ列侯をして国に之かしめ、吏と為り及び詔して止むる所の者は、太子を遣はせ。」と。十一月晦、日之を食する有り。十二月望、日又食す。上曰く、「朕之を聞く、天蒸民を生じ、之が為に君を置きて以て之を養治せしむ。人主不徳にして、政を布くこと均しからずんば、則ち天之に示すに菑(わざはひ)を以てし、以て治まらざるを誡むと。乃ち十一月晦、日之を食する有り、適(せ)めて天に見はる、菑孰れか焉より大ならん。朕宗廟を保つことを獲、微眇の身を以て兆民君王の上に託す、天下の治乱は、朕一人に在り、唯だ二三の執政は猶ほ吾が股肱のごときなり。朕下は群生を理育する能はず、上は以て三光の明を累す、其の不徳大なり。令至らば、其れ悉く朕の過失、及び知見思の及ばざる所を思ひて、匄(こ)ひて以て朕に告げよ。及び賢良方正にして能く直言極諫する者を挙げて、以て朕の逮ばざるを匡せ。
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史記 孝文本紀淮南王は、弟なり、徳を秉りて以て朕に陪す。豈に豫めせずと為さんや。諸侯王宗室昆弟に功臣有り、多く賢及び徳義有る者なり、若し有徳を挙げて以て朕の終ふる能はざるに陪せしめば、是れ社稷の霊、天下の福なり。今選挙せずして、必ず子と曰はば、人其れ朕を以て賢有徳の者を忘れて子に専らにすと為さん、天下を憂ふる所以に非ざるなり。朕甚だ取らざるなり。」と。有司皆固く請ひて曰く、「古者殷周国を有ち、治安なること皆千余歳、古の天下を有つ者焉より長きは莫し、此の道を用ゐればなり。嗣を立つるに必ず子とするは、従りて来たる所遠し。高帝親ら士大夫を率ゐ、始めて天下を平らげ、諸侯を建て、帝者の太祖と為る。諸侯王及び列侯の始めて国を受くる者も皆亦其の国の祖と為る。子孫嗣を継ぎ、世世絶えざるは、天下の大義なり、故に高帝之を設けて以て海内を撫す。今宜しく建つべきを釈きて更に諸侯及び宗室に選ぶは、高帝の志に非ざるなり。更に議するは宜しからず。子某最も長じ、純厚慈仁なり、請ふ建てて以て太子と為さん。」と。上乃ち之を許す。因りて天下の民の当に父の後に代はるべき者に爵各々一級を賜ひ、将軍薄昭を封じて軹侯と為す。三月、有司皇后を立てんことを請ふ。薄太后曰く、「諸侯皆同姓なり、太子の母を立てて皇后と為せ。」と。皇后は姓竇氏なり。上后を立つるが故を為して、天下の鰥寡孤独窮困及び年八十已上、孤児九歳已下に布帛米肉を賜ふこと各々数有り。上代より来り、初めて位に即き、徳恵を天下に施し、諸侯四夷を填撫して皆洽く驩ぶ、乃ち代より来たる功臣を循(ねぎら)ふ。上曰く、「方に大臣の諸呂を誅して朕を迎ふるや、朕狐疑し、皆朕を止む、唯だ中尉宋昌のみ朕に勧む、朕以て宗廟を保ち奉ずるを得たり。已に昌を尊びて衛将軍と為す、其れ昌を封じて壮武侯と為せ。諸々の朕に従ひし六人、官皆九卿に至らしめよ。」と。
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史記 三王世家今臣去病上疏す、其の職を忘れず、因りて以て恩を宣べ、乃ち天子の卑譲自貶して以て天下に労するを道ひ、皇子の未だ号位有らざるを慮る。臣青翟・臣湯等宜しく義を奉じ職に遵ふべきに、愚憧にして事に逮ばず。方今盛夏の吉時、臣青翟・臣湯等昧死して皇子臣閎・臣旦・臣胥を立てて諸侯王と為さんことを請ふ。昧死して立つる所の国名を請ふ」と。制して曰く、「蓋し聞く周八百を封じ、姫姓并び列し、或いは子・男・附庸なり。礼に『支子は祭らず』と。并せて諸侯を建つるは社稷を重んずる所以なりと云ふは、朕聞く無し。且つ天は君の為に民を生ずるに非ざるなり。朕の不徳、海内未だ洽からず、乃ち未だ教へ成らざる者を以て彊ひて城を連ぬるに君とせば、即ち股肱何をか勧めん。其れ更めて議して列侯を以て之を家せしめよ」と。三月丙子、未央宮に奏す。「丞相臣青翟・御史大夫臣湯昧死して言ふ。臣謹んで列侯臣嬰斉・中二千石二千石臣賀・諫大夫博士臣安等と議して曰く、伏して聞く周八百を封じ、姫姓并び列して、天子を奉承す。康叔は祖考を以て顕れ、而して伯禽は周公を以て立ち、咸建国の諸侯と為り、以て相傅して輔と為る。百官憲を奉じ、各々其の職に遵ひて、国統備はる。竊かに以為へらく并せて諸侯を建つるは社稷を重んずる所以なりとは、四海の諸侯各々其の職を以て貢祭を奉ず。支子は宗祖を奉祭するを得ざるは、礼なり。封建して藩国を守らしむるは、帝王の徳を扶け化を施す所以なり。陛下天統を奉承し、明らかに聖緒を開き、賢を尊び功を顕し、滅を興し絶を継ぐ。蕭文終の後を酇に続ぎ、群臣平津侯等を褒厲す。六親の序を昭らかにし、天施の属を明らかにし、諸侯王封君をして私恩を推して子弟に戸邑を分かつを得しめ、号を錫ひ尊建すること百有余国なり。而るに皇子を家して列侯と為さば、則ち尊卑相踰え、列位序を失ひ、以て統を万世に垂るべからず。
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史記 三王世家輿械の費、民に賦さず。御府の蔵を虚しくして以て元戎を賞し、禁倉を開きて以て貧窮を振ひ、戍卒の半ばを減ず。百蛮の君、風に郷ひ、流れを承けて意に称はざるは靡し。遠方殊俗、訳を重ねて朝し、沢方外に及ぶ。故に珍獣至り、嘉穀興り、天の応甚だ彰らかなり。今諸侯の支子封ぜられて諸侯王に至るに、而して皇子を家して列侯と為す、臣青翟・臣湯等竊かに伏して孰々之を計るに、皆以為へらく尊卑序を失ひ、天下をして望みを失はしむ、不可なりと。臣請ふ臣閎・臣旦・臣胥を立てて諸侯王と為さん」と。四月癸未、未央宮に奏す、中に留めて下さず。「丞相臣青翟・太僕臣賀・行御史大夫事太常臣充・太子少傅臣安行宗正事昧死して言ふ。臣青翟等前に大司馬臣去病の上疏して皇子未だ号位有らずと言ふを奏す、臣謹んで御史大夫臣湯・中二千石・二千石・諫大夫・博士臣慶等と昧死して皇子臣閎等を立てて諸侯王と為さんことを請ふ。陛下文武を譲り、躬ら自ら切にし、皇子の未だ教へられざるに及ぶ。群臣の議、儒者は其の術を称し、或いは其の心に誖る。陛下固辞して許さず、皇子を家して列侯と為す。臣青翟等竊かに列侯臣寿成等二十七人と議す、皆曰く以為へらく尊卑序を失ふと。高皇帝天下を建て、漢の太祖と為り、子孫を王とし、支輔を広む。先帝の法則改めざるは、至尊を宣ぶる所以なり。臣請ふ史官をして吉日を択ばしめ、礼儀を具へて上り、御史輿地図を奏し、他は皆前の故事の如くせん」と。制して曰く、「可なり」と。四月丙申、未央宮に奏す。「太僕臣賀行御史大夫事昧死して言ふ。太常臣充言ふ、卜して四月二十八日乙巳に入る、諸侯王を立つべしと。臣昧死して輿地図を奏し、立つる所の国名を請ふ。礼儀は別に奏す。臣昧死して請ふ」と。
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史記 律書高祖天下を有ち、三辺外に畔く。大国の王は蕃輔と称すと雖も、臣節未だ尽くさず。会々高祖軍事に厭苦し、亦蕭・張の謀有り、故に武を偃せて一たび休息し、羈縻して備へず。歴て孝文の即位するに至り、将軍陳武等議して曰く、「南越・朝鮮は高祖の時、天下新たに定まり、人民小しく安んず、未だ復た兵を興すべからず。今陛下仁恵もて百姓を撫し、恩沢海内に加はる、宜しく士民の楽しみて用ひらるるに及び、逆党を征討し、以て封疆を一にすべし」と。孝文曰く、「朕、衣冠に任ずる能ふも、念ひ此に到らず。会々呂氏の乱あり、功臣宗室共に羞恥とせず、誤りて正位に居る、常に戦戦慄慄として、事の終はらざらんことを恐る。且つ兵は凶器なり、原ふ所に克つと雖も、動けば亦秏病す、百姓遠方を謂何せん。又先帝は民を労するの煩はすべからざるを知る、故に以て意と為さず。朕豈に自ら能くすと謂はんや。今匈奴内に侵し、軍吏に功無く、辺民の父子兵を荷ふこと日久し、朕常に為に心を動かし傷痛し、日として之を忘るる無し。今未だ銷距する能はず、原はくは且く辺を堅くし候を設け、和を結び使を通じ、北陲を休寧せしめば、功と為すこと多し。且く軍を議すること無かれ」と。故に百姓は内外の繇無く、肩を田畝に息むることを得、天下殷富にして、粟は十余銭に至り、鶏鳴き狗吠え、煙火万里、和楽する者と謂ふべきか。太史公曰く、文帝の時、会々天下新たに湯火を去り、人民業を楽しむ、其の欲するに因りて然り、能く擾乱せず、故に百姓遂に安し。年六七十の翁より亦未だ嘗て市井に至らず、遊敖嬉戯すること小児の状の如し。孔子の称する所の有徳の君子なる者か。書に曰く「七正」と、二十八舎なり。律暦は、天の五行八正の気を通ずる所以なり。舎とは、日月の舎る所なり。舎とは、気を舒ぶるなり。不周風は西北に居り、殺生を主る。東壁は不周風の東に居り、生気を辟きて営室に至るを主る。陽気にして之を産む。東して危に至る。危とは、垝なり。
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