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史記 / 孝文本紀

上曰、古の天下を治むるや、朝に進善の旌、誹謗の木有り、治道を通じて諫者を来す所以なり。今法に誹謗妖言の罪有り、是れ衆臣をして敢へて情を尽くさざらしめ、而して上過失を聞く由無からしむ。将た何を以てか遠方の賢良を来さん。其れ之を除け。

書き下し

上曰く、「古の天下を治むるや、朝に進善の旌、誹謗の木有り、治道を通じて諫者を来す所以なり。今法に誹謗妖言の罪有り、是れ衆臣をして敢へて情を尽くさざらしめ、而して上過失を聞く由無からしむ。将た何を以てか遠方の賢良を来さん。其れ之を除け」と。

現代語訳

「批判を罰する仕組みを撤廃し、人々が本心から意見を言い、自分の過ちを聞ける道を開く」——名君・文帝が、誹謗の罪を廃止した一段です。漢の文帝は、こう述べて、「誹謗妖言の罪(政治批判を罰する法律)」を廃止しました。「昔の、天下をよく治めた為政者は、朝廷に、『進善の旌(良い提案をする者のための旗)』や、『誹謗の木(批判を書きつけるための立て札)』を、わざわざ設けていた。それは、政治の道を風通しよくし、諫言する者を、(歓迎して)招き寄せるためだった(通治道而來諫者)」と。批判や提案を、罰するどころか、むしろ積極的に募る仕組みを、古の名君は持っていた、というのです。そして、現状を批判します。「ところが今、(我が漢の)法律には、(政治を批判する)『誹謗妖言の罪』というものがある。これは、多くの家臣たちを、(罰を恐れて)本心を、包み隠さず述べられないようにさせ、その結果、上に立つ者(皇帝)が、自らの過失を、聞く手立てを、失わせてしまっている(使眾臣不敢盡情、而上無由聞過失也)」と。批判を罰する仕組みは、人々の口を封じ、為政者から、自らの過ちに気づく機会を、奪ってしまう、というのです。そして文帝は、こう結論します。「(このような仕組みでは、)いったいどうやって、遠方から、優れた賢者を、招くことができようか。この罪を、廃止せよ(其除之)」と。ここに、批判を受け入れることについての教訓があります。第一に、批判や、耳の痛い意見を、罰したり、封じたりする仕組みは、人々の口を閉ざさせ、上に立つ者から、自らの過ちに気づく機会を奪うということ(使眾臣不敢盡情、而上無由聞過失也)。批判を恐れて封じれば、裸の王様になる。第二に、優れたリーダーは、批判や提案を、罰するどころか、むしろ積極的に募り、歓迎するということ(進善之旌、誹謗之木)。自らの過ちを、進んで聞こうとする姿勢が、正しい判断と、人材の集まる組織をつくる。第三に、人々が、罰を恐れず、本心から意見を言える環境(心理的な安全)こそが、優れた人材を惹きつけ、活かす土台になるということ(何以來遠方之賢良)。組織や経営で、批判や耳の痛い意見を封じる仕組みが自らの過ちに気づく機会を奪うと知ること、批判や提案を罰するどころか積極的に歓迎すること、そして人々が本心から意見を言える環境こそが人材を活かす土台だと理解すること——文帝の詔は、批判を受け入れる度量の大切さを教えます。

解説

あなたは、批判や耳の痛い意見を、罰したり封じたりする(あるいは、そう受け取られる)雰囲気を、自分の周りに作っていないでしょうか——それが、人々の口を閉ざさせ、自分が過ちに気づく機会を奪うと、理解していますか?批判や提案を、疎むのではなく、むしろ積極的に募り、歓迎する姿勢を、持てていますか?部下や周囲の人が、罰や不利益を恐れず、本心から意見を言える環境(心理的な安全)を、整えられていますか?

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

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