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史記 / 呂太后本紀

朱虛侯欲從中與大臣為應。齊王欲發兵,其相弗聽。八月丙午,齊王欲使人誅相,相召平乃反,舉兵欲圍王,王因殺其相,遂發兵東,詐奪瑯邪王兵,并將之而西。語在齊王語中。齊王乃遺諸侯王書曰:「高帝平定天下,王諸子弟,悼惠王王齊。悼惠王薨,孝惠帝使留侯良立臣為齊王。孝惠崩,高后用事,春秋高,聽諸呂,擅廢帝更立,又比殺三趙王,滅梁、趙、燕以王諸呂,分齊為四。忠臣進諫,上惑亂弗聽。今高后崩,而帝春秋富,未能治天下,固恃大臣諸侯。而諸呂又擅自尊官,聚兵嚴威,劫列侯忠臣,矯制以令天下,宗廟所以危。寡人率兵入誅不當為王者。」漢聞之,相國呂產等乃遣潁陰侯灌嬰將兵擊之。灌嬰至滎陽,乃謀曰:「諸呂權兵關中,欲危劉氏而自立。今我破齊還報,此益呂氏之資也。」乃留屯滎陽,使使諭齊王及諸侯,與連和,以待呂氏變,共誅之。齊王聞之,乃還兵西界待約。呂祿、呂產欲發亂關中,內憚絳侯、朱虛等,外畏齊、楚兵,又恐灌嬰畔之,欲待灌嬰兵與齊合而發,猶豫未決。當是時,濟川王太、淮陽王武、常山王朝名為少帝弟,及魯元王呂后外孫,皆年少未之國,居長安。趙王祿、梁王產各將兵居南北軍,皆呂氏之人。

新字:朱虚侯欲従中与大臣為応。斉王欲発兵,其相弗聴。八月丙午,斉王欲使人誅相,相召平乃反,舉兵欲囲王,王因殺其相,遂発兵東,詐奪瑯邪王兵,并将之而西。語在斉王語中。斉王乃遺諸侯王書曰:「高帝平定天下,王諸子弟,悼恵王王斉。悼恵王薨,孝恵帝使留侯良立臣為斉王。孝恵崩,高后用事,春秋高,聴諸呂,擅廃帝更立,又比殺三趙王,滅梁、趙、燕以王諸呂,分斉為四。忠臣進諫,上惑乱弗聴。今高后崩,而帝春秋富,未能治天下,固恃大臣諸侯。而諸呂又擅自尊官,聚兵厳威,劫列侯忠臣,矯制以令天下,宗廟所以危。寡人率兵入誅不当為王者。」漢聞之,相国呂産等乃遣潁陰侯灌嬰将兵撃之。灌嬰至滎陽,乃謀曰:「諸呂権兵関中,欲危劉氏而自立。今我破斉還報,此益呂氏之資也。」乃留屯滎陽,使使諭斉王及諸侯,与連和,以待呂氏変,共誅之。斉王聞之,乃還兵西界待約。呂禄、呂産欲発乱関中,内憚絳侯、朱虚等,外畏斉、楚兵,又恐灌嬰畔之,欲待灌嬰兵与斉合而発,猶予未決。当是時,済川王太、淮陽王武、常山王朝名為少帝弟,及魯元王呂后外孫,皆年少未之国,居長安。趙王禄、梁王産各将兵居南北軍,皆呂氏之人。

書き下し

朱虚侯中より大臣と応を為さんと欲す。斉王兵を発せんと欲す、其の相聴かず。八月丙午、斉王人をして相を誅せしめんと欲す、相召平乃ち反し、兵を挙げて王を囲まんと欲す、王因りて其の相を殺し、遂に兵を発して東し、詐りて瑯邪王の兵を奪ひ、并せて之に将として西す。語は斉王の語中に在り。斉王乃ち諸侯王に書を遺りて曰く、「高帝天下を平定し、諸子弟を王とし、悼恵王斉に王たり。悼恵王薨ず、孝恵帝留侯良をして臣を立てて斉王と為さしむ。孝恵崩じ、高后事を用ゐ、春秋高く、諸呂に聴き、擅に帝を廃して更に立て、又比(しき)りに三趙王を殺し、梁・趙・燕を滅ぼして以て諸呂を王とし、斉を分かちて四と為す。忠臣進諫するも、上惑乱して聴かず。今高后崩じ、而して帝春秋富み、未だ天下を治むる能はず、固より大臣諸侯を恃む。而るに諸呂又擅に自ら官を尊くし、兵を聚めて威を厳しくし、列侯忠臣を劫かし、制を矯めて以て天下に令す、宗廟の危ふき所以なり。寡人兵を率ゐて入りて当に王たるべからざる者を誅せん。」と。漢之を聞き、相国呂産等乃ち潁陰侯灌嬰を遣はして兵を将ゐて之を撃たしむ。灌嬰滎陽に至り、乃ち謀りて曰く、「諸呂兵を関中に権(にぎ)り、劉氏を危ふくして自立せんと欲す。今我斉を破りて還り報ぜば、此れ呂氏の資を益すなり。」と。乃ち留まりて滎陽に屯し、使をして斉王及び諸侯に諭さしめ、与に連和し、以て呂氏の変を待ちて、共に之を誅せんとす。斉王之を聞き、乃ち兵を還して西界に約を待つ。呂禄・呂産乱を関中に発せんと欲す、内には絳侯・朱虚等を憚り、外には斉・楚の兵を畏れ、又灌嬰の之に畔(そむ)かんことを恐れ、灌嬰の兵の斉と合するを待ちて発せんと欲し、猶予して未だ決せず。是の時に当たりて、済川王太・淮陽王武・常山王朝は名づけて少帝の弟と為し、及び魯元王は呂后の外孫にして、皆年少くして未だ国に之かず、長安に居る。趙王禄・梁王産各々兵を将ゐて南北軍に居る、皆呂氏の人なり。

現代語訳

朱虚侯は宮中の内側から大臣たちと呼応しようとした。斉王は兵を起こそうとしたが、斉の宰相が従わなかった。八月丙午の日、斉王が人をやって宰相を誅殺しようとすると、宰相の召平は逆に反旗を翻し、兵を挙げて斉王を包囲しようとした。斉王はそこで宰相を殺し、ついに兵を起こして東へ向かい、瑯邪王(劉沢)の兵をだまして奪い、あわせて率いて西へ進んだ。このことは斉王の世家に詳しい。斉王は諸侯王に手紙を送って言った。「高帝は天下を平定すると子弟を王とされ、悼恵王は斉の王となった。悼恵王が亡くなると、孝恵帝は留侯張良に命じて私を斉王に立てられた。孝恵帝が崩御すると、高后が政治を執られたが、高齢のため呂氏一族の言うことを聞き、勝手に帝を廃して別の帝を立て、さらに次々に三人の趙王を死に追いやり、梁・趙・燕を滅ぼして呂氏一族を王とし、斉を四つに分割した。忠臣が進み出て諫めても、太后は惑い乱れて聞き入れなかった。いま高后が崩御されたが、帝はまだ若く、天下を治めることができないので、当然大臣や諸侯を頼りとされるはずだ。ところが呂氏一族はまた勝手に自分たちの官位を高め、兵を集めて威勢を張り、列侯や忠臣を脅し、天子の命令と偽って天下に号令している。これこそ宗廟が危うくなっている理由だ。私は兵を率いて都に入り、王であるべきでない者たちを誅するつもりだ」。朝廷はこれを聞くと、相国呂産らは潁陰侯灌嬰に兵を率いて斉王を撃たせた。灌嬰は滎陽まで来ると、こう謀った。「呂氏一族は関中で兵権を握り、劉氏を危うくして自ら帝位に就こうとしている。いま私が斉を破って帰って報告すれば、呂氏に力を貸すことになる」。そこで滎陽にとどまって駐屯し、使者を送って斉王と諸侯に意図を伝え、手を結んで、呂氏が事を起こすのを待ってともに誅しようとした。斉王はこれを聞くと、兵を引き返させて斉の西の境で約束の時を待った。呂禄と呂産は関中で乱を起こそうとしたが、内では絳侯(周勃)・朱虚侯らをはばかり、外では斉・楚の兵を恐れ、さらに灌嬰が自分たちに背くのを心配して、灌嬰の兵が斉と戦いを交えるのを待ってから事を起こそうと考え、ぐずぐずして決断できずにいた。このとき、済川王劉太・淮陽王劉武・常山王劉朝は少帝の弟とされており、また魯元王(張偃)は呂后の外孫で、皆幼くてまだ自分の国に赴かず、長安にいた。趙王呂禄と梁王呂産はそれぞれ兵を率いて南軍と北軍にいた。いずれも呂氏の人間である。

解説

呂氏打倒の動きが本格化する段です。斉王劉襄は反対する宰相を殺して挙兵し、諸侯に檄文を送りました。呂后が帝を勝手に廃立し、三人の趙王を死なせ、呂氏を王にしたことを列挙し、「王であるべきでない者を誅す」と宣言します。これに対し呂産は灌嬰を討伐に送りましたが、灌嬰は滎陽で進軍を止め、「斉を破れば呂氏に力を貸すだけだ」として、逆に斉王と手を結びました。鎮圧を命じられた将が、命令を出した側に背を向けたのです。呂禄と呂産は、内の重臣、外の斉楚の兵、そして灌嬰の動向を恐れ、決断できずに時を失っていきます。権力を握りながら人心を持たない側の迷いと、大義を見極めて動いた灌嬰の判断が対照的に描かれています。迷っている間に状況は自分に不利に動くという、意思決定の教訓です。

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