史記 / 高祖本紀
欲止宮休舍,樊噲、張良諫,乃封秦重寶財物府庫,還軍霸上。
新字:欲止宮休舎,樊噲、張良諫,乃封秦重宝財物府庫,還軍覇上。
書き下し
宮に止まりて休舎せんと欲す、樊噲・張良諫む、乃ち秦の重宝財物府庫を封じ、軍を霸上に還す。
現代語訳
(沛公は咸陽に入ると)秦の宮殿にとどまって休息しようとしたが、樊噲と張良が諫めたので、秦の貴重な宝物や財物を納めた倉庫を封印し、軍を霸上に引き返させた。
解説
咸陽に入った劉邦が、秦の宮殿の豪華さと財宝、美女に心を奪われ、そのまま住みつこうとした場面です。わずか一文ですが、劉邦の天下取りの分かれ目の一つとされます。留侯世家などによれば、樊噲は「財宝に溺れたから秦は滅んだのだ」と諫め、張良も「忠言は耳に逆らえども行ひに利あり、良薬は口に苦けれども病に利あり」と重ねて説いたと伝えられます。劉邦は欲を抑えて倉庫を封印し、軍を霸上に退かせました。この自制が、後に項羽が咸陽を焼き払って略奪したことと鮮やかに対比され、関中の人心が劉邦に向かう理由になります。大きな成功を手にした瞬間こそ、周囲の苦言に耳を傾けられるかどうかが試されます。部下が諫言できる関係を作っておくことも、リーダーの大切な仕事です。
関連する章句
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史記 留侯世家沛公秦の宮に入る、宮室帷帳狗馬重宝婦女千を以て数へ、意に留まりて之に居らんと欲す。樊噲沛公に出でて舎せんことを諫む、沛公聴かず。良曰く、「夫れ秦無道を為す、故に沛公此に至るを得たり。夫れ天下の為に残賊を除かば、宜しく縞素もて資と為すべし。今始めて秦に入り、即ち其の楽しみに安んず、此れ所謂『桀を助けて虐を為す』なり。且つ『忠言は耳に逆らへども行ひに利あり、毒薬は口に苦けれども病に利あり』、願はくは沛公樊噲の言を聴け」と。沛公乃ち還りて霸上に軍す。項羽鴻門の下に至り、沛公を撃たんと欲す、項伯乃ち夜馳せて沛公の軍に入り、私かに張良に見え、与に倶に去らんと欲す。良曰く、「臣韓王の為に沛公を送る、今事急なる有り、亡げ去るは不義なり」と。乃ち具に以て沛公に語る。沛公大いに驚きて曰く、「為に将に奈何せん」と。良曰く、「沛公誠に項羽に背かんと欲するか」と。沛公曰く、「鯫生我に関を距ぎて諸侯を内るること無からしむれば、秦の地尽く王たるべしと教ふ、故に之を聴く」と。良曰く、「沛公自ら度るに能く項羽を卻けんか」と。沛公默然たること良久しくして、曰く、「固より能はざるなり。今為すこと奈何」と。良乃ち固く項伯を要む。項伯沛公に見ゆ。沛公与に飲みて寿を為し、賓婚を結ぶ。項伯をして具に沛公の敢へて項羽に倍かず、関を距ぐ所以の者は、他盗に備ふるなりと言はしむ。項羽に見えし後解くるに及ぶ、語は項羽の事の中に在り。漢元年正月、沛公漢王と為り、巴蜀に王たり。漢王良に金百鎰、珠二斗を賜ふ、良具に以て項伯に献ず。漢王も亦た因りて良をして厚く項伯に遺らしめ、漢中の地を請はしむ。項王乃ち之を許し、遂に漢中の地を得たり。漢王の国に之くや、良送りて襃中に至る、良を遣はして韓に帰らしむ。良因りて漢王に説きて曰く、「王何ぞ過ぐる所の桟道を焼絶し、天下に還る心無きを示し、以て項王の意を固めざる」と。乃ち良をして還らしむ。行くゆく、桟道を焼絶す。良韓に至る、韓王成良の漢王に従ふの故を以て、項王成を遣はして国に之かしめず、従へて与に倶に東す。
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史記 高祖本紀且つ吾の軍を霸上に還す所以は、諸侯の至るを待ちて約束を定めんのみ。」と。乃ち人をして秦の吏と県郷邑を行かしめ、之に告諭す。秦人大いに喜び、争ひて牛羊酒食を持ちて軍士に献饗す。沛公又譲りて受けず、曰く、「倉粟多し、乏しきに非ず、人に費さしむるを欲せず。」と。人又益々喜び、唯だ沛公の秦王と為らざらんことを恐る。
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史記 項羽本紀沛公張良に謂ひて曰く、「此の道より吾が軍に至るは、二十里に過ぎざるのみ。我軍中に至るを度りて、公乃ち入れ。」と。沛公已に去り、間(ひそ)かに軍中に至る、張良入りて謝して、曰く、「沛公桮杓に勝へず、辞する能はず。謹みて臣良をして白璧一双を奉じ、再拝して大王の足下に献じ、玉斗一双もて、再拝して大将軍の足下に奉ぜしむ。」と。項王曰く、「沛公安くに在る。」と。良曰く、「大王之を督過するに意有りと聞き、身を脱して独り去り、已に軍に至れり。」と。項王則ち璧を受け、之を坐上に置く。亜父玉斗を受け、之を地に置き、剣を抜きて撞きて之を破りて、曰く、「唉(ああ)、豎子与に謀るに足らず。項王の天下を奪ふ者は、必ず沛公ならん、吾が属今に之が虜と為らん。」と。沛公軍に至り、立ちどころに曹無傷を誅殺す。居ること数日、項羽兵を引きて西のかた咸陽を屠り、秦の降王子嬰を殺し、秦の宮室を焼く、火三月滅せず。其の貨宝婦女を収めて東す。人或いは項王に説きて曰く、「関中は山河を阻てて四塞、地肥饒なり、都して以て霸たるべし。」と。項王秦の宮皆以に焼けて残破せるを見、又心に懐ひて東帰せんことを思欲し、曰く、「富貴にして故郷に帰らざるは、繡を衣て夜行くが如し、誰か之を知る者ぞ。」と。説く者曰く、「人言ふ楚人は沐猴にして冠するのみと、果たして然り。」と。項王之を聞き、説く者を烹る。項王人をして命を懐王に致さしむ。懐王曰く、「約の如くせよ。」と。乃ち懐王を尊びて義帝と為す。項王自ら王たらんと欲し、先づ諸将相を王とす。謂ひて曰く、「天下初めて難を発せし時、仮に諸侯の後を立てて以て秦を伐つ。然れども身堅を被り鋭を執りて事を首め、野に暴露すること三年、秦を滅ぼし天下を定むる者は、皆将相諸君と籍との力なり。義帝は功無しと雖も、故より当に其の地を分かちて之を王とすべし。」と。諸将皆曰く、「善し。」と。乃ち天下を分かち、諸将を立てて侯王と為す。
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史記 項羽本紀今関に入りて、財物取る所無く、婦女幸する所無し、此れ其の志小に在らず。吾人をして其の気を望ましむるに、皆龍虎を為し、五采を成す、此れ天子の気なり。急ぎ撃ちて失ふ勿かれ。」と。楚の左尹項伯は、項羽の季父なり、素より留侯張良に善し。張良是の時沛公に従ふ、項伯乃ち夜馳せて沛公の軍に之き、私かに張良に見え、具に告ぐるに事を以てし、張良を呼びて与に倶に去らんと欲す。曰く、「倶に死する毋かれ。」と。張良曰く、「臣韓王の為に沛公を送る、沛公今事急有り、亡げ去るは不義なり、語らざるべからず。」と。良乃ち入りて、具に沛公に告ぐ。沛公大いに驚きて、曰く、「之を為すこと柰何(いかん)。」と。張良曰く、「誰か大王の為に此の計を為せし者ぞ。」と。曰く、「鯫生(そうせい)我に説きて曰く『関を距(ふせ)ぎ、諸侯を内(い)るる毋くんば、秦の地尽く王たるべし』と。故に之を聴く。」と。良曰く、「大王の士卒を料るに以て項王に当たるに足るか。」と。沛公默然として、曰く、「固より如かず、且つ之を為すこと柰何。」と。張良曰く、「請ふ往きて項伯に謂ひ、沛公敢へて項王に背かざるを言はん。」と。沛公曰く、「君安んぞ項伯と故有る。」と。張良曰く、「秦の時臣と游ぶ、項伯人を殺す、臣之を活かす。今事急有り、故に幸ひに来りて良に告ぐ。」と。沛公曰く、「君と孰れか少長なる。」と。良曰く、「臣より長なり。」と。沛公曰く、「君我が為に呼び入れよ、吾兄として之に事ふるを得ん。」と。張良出でて、項伯を要(むか)ふ。項伯即ち入りて沛公に見ゆ。沛公巵酒を奉じて寿を為し、約して婚姻を為し、曰く、「吾関に入りて、秋豪も敢へて近づく所有らず、吏民を籍し、府庫を封じて、将軍を待つ。将を遣はして関を守らしむる所以の者は、他盗の出入と非常とに備ふるなり。日夜将軍の至るを望む、豈に敢へて反かんや。願はくは伯具に臣の敢へて徳に倍(そむ)かざるを言へ。」と。項伯許諾す。沛公に謂ひて曰く、「旦日蚤く自ら来りて項王に謝せざるべからず。」と。沛公曰く、「諾。」と。是に於て項伯復た夜去り、軍中に至り、具に沛公の言を以て項王に報ず。
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『長短経』覇図武関を攻め、大いに秦軍を破る。〈趙高、二世を殺し、子嬰を立て、兵を遣わして関を拒がしむ。張良曰く「秦兵尚お強し。未だ軽んず可からず。願わくは益々旗幟を諸山の上に張りて、疑兵を為し、酈食其をして重宝を持して秦将を啗わしめよ」と。秦将、果たして連和して倶に西せんと欲す。沛公、之を聴かんと欲す。良曰く「此れ独り其の将のみ叛かんと欲す。恐らくは士卒従わざらん。士卒従わずんば、必ず危うし。其の懈るに因りて之を撃つに如かず」と。乃ち秦軍を撃ちて、之を破る。〉咸陽に入り、秦人と法三章を約す。〈秦人、牛・酒を献ず。沛公、譲りて受けず。是に於て人、徳を知るなり。〉兵を遣わして関を拒ぎ、関中に王たらんと欲す。是の時、項羽、秦軍を河北に破り、諸侯の兵四十万を率いて鴻門に至り、沛公を撃たんと欲す。沛公、項伯に因りて羽に自解す。
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史記 高祖本紀初め、項羽宋義と北のかた趙を救ふ、項羽の宋義を殺し、代はりて上将軍と為るに及び、諸将黥布皆属し、秦の将王離の軍を破り、章邯を降し、諸侯皆附く。趙高已に二世を殺すに及び、人をして来らしめ、約して関中に分王せんと欲す。沛公以て詐りと為し、乃ち張良の計を用ゐ、酈生・陸賈をして往きて秦の将に説き、啗はすに利を以てせしめ、因りて武関を襲攻し、之を破る。又秦の軍と藍田の南に戦ひ、益々疑兵の旗幟を張り、諸々の過ぐる所掠鹵するを得る毋からしむ、秦人喜び、秦の軍解く、因りて大いに之を破る。又其の北に戦ひ、大いに之を破る。勝ちに乗じて、遂に之を破る。漢の元年十月、沛公の兵遂に諸侯に先んじて霸上に至る。
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