史記 / 高祖本紀
召諸縣父老豪桀曰:「父老苦秦苛法久矣,誹謗者族,偶語者棄市。吾與諸侯約,先入關者王之,吾當王關中。與父老約,法三章耳:殺人者死,傷人及盜抵罪。餘悉除去秦法。諸吏人皆案堵如故。凡吾所以來,為父老除害,非有所侵暴,無恐!
新字:召諸県父老豪桀曰:「父老苦秦苛法久矣,誹謗者族,偶語者棄市。吾与諸侯約,先入関者王之,吾当王関中。与父老約,法三章耳:殺人者死,傷人及盗抵罪。余悉除去秦法。諸吏人皆案堵如故。凡吾所以来,為父老除害,非有所侵暴,無恐!
書き下し
沛公諸県の父老豪桀を召して曰く、「父老秦の苛法に苦しむこと久し、誹謗する者は族し、偶語する者は棄市せらる。父老と約す、法三章のみ、人を殺す者は死し、人を傷つくる及び盗むは罪に抵る。餘は悉く秦法を除去す。凡そ吾が来たる所以は、父老の為に害を除くにして、侵暴する所有るに非ず、恐るる無かれ」と。秦人大いに喜ぶ。
現代語訳
沛公は諸県の長老や有力者を集めて言った。「長老がたは、秦の苛酷な法に長く苦しんでこられた。政治を批判すれば一族皆殺し、二人で語らえば市中で処刑される。私は長老がたと約束する。法は三か条だけだ。人を殺した者は死罪、人を傷つけた者と盗んだ者は罪に問う。その他はすべて秦の法を廃止する。そもそも私がここへ来たのは、長老がたのために害を除くためであって、侵し荒らすためではない。恐れることはない」。秦の人々は大いに喜んだ。
解説
「複雑で厳しすぎる決まりを、思い切って簡素にし、人々の負担を取り除く」——劉邦の「約法三章」を描いた、有名な一段です。咸陽を占領した劉邦は、その土地の長老や有力者たちを集めて、こう宣言しました。「皆さんは、秦の、あまりに厳しく細かい法律(苛法)に、長い間、苦しんできた。(秦の法では)政治を批判する者は一族皆殺し、二人で(不用意に)話し合っただけでも死刑、というありさまだった。そこで私は、皆さんと、たった三つの条項だけを、約束しよう(法三章耳)。すなわち——人を殺した者は、死刑。人を傷つけた者と、盗みを働いた者は、その罪に応じて罰する。これだけだ。その他の、秦の(煩雑な)法律は、すべて廃止する(餘悉除去秦法)」と。そして、こう続けます。「そもそも私がここに来たのは、皆さんのために、(秦の圧政という)害を取り除くためであって、皆さんを侵し、乱暴を働くためではない。何も恐れることはない(為父老除害、非有所侵暴、無恐)」と。この宣言に、秦の人々は、大いに喜びました。複雑で厳しすぎた決まりが、たった三つの、分かりやすく、道理にかなったものに簡素化され、圧政の重荷から解放されたからです。ここに、決まりを定めることについての教訓があります。第一に、複雑で、細かすぎ、厳しすぎる決まり(苛法)は、それを守る人々を、いたずらに苦しめ、萎縮させるということ。秦の煩雑な法は、人々を「批判すれば皆殺し」と怯えさせた。細かく縛れば縛るほど、人は動けなくなり、疲弊する。第二に、決まりは、思い切って簡素にし、本当に大切な、少数の、分かりやすい原則に絞り込むこと(法三章耳)が、かえって、よく機能し、人々に受け入れられるということ。「殺すな、傷つけるな、盗むな」——誰にでも分かり、誰もが納得できる、この簡潔さが、人心をつかんだ。第三に、決まりを定める目的は、人々を縛り、支配するためではなく、人々の害を取り除き、その暮らしを守るためだということ(為父老除害)。ルールは、支配の道具ではなく、人々を守るためのもの。組織や制度づくりで、複雑で厳しすぎる決まりが人を苦しめ萎縮させると知ること、決まりを思い切って簡素にし大切な少数の原則に絞ること、そしてルールの目的が支配でなく人々を守ることにあると理解すること——劉邦の「約法三章」は、簡素で人のためのルールが人心をつかむことを教えます。
この章句が説くこと
漢高祖劉邦約法三章複雑で厳しい決まりを簡素に苛法が人を苦しめる大切な少数の原則に絞る法三章耳
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