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史記 / 項羽本紀

沛公謂張良曰:「從此道至吾軍,不過二十里耳。度我至軍中,公乃入。」沛公已去,閒至軍中,張良入謝,曰:「沛公不勝桮杓,不能辭。謹使臣良奉白璧一雙,再拜獻大王足下;玉斗一雙,再拜奉大將軍足下。」項王曰:「沛公安在?」良曰:「聞大王有意督過之,脫身獨去,已至軍矣。」項王則受璧,置之坐上。亞父受玉斗,置之地,拔劍撞而破之,曰:「唉!豎子不足與謀。奪項王天下者,必沛公也,吾屬今為之虜矣。」沛公至軍,立誅殺曹無傷。居數日,項羽引兵西屠咸陽,殺秦降王子嬰,燒秦宮室,火三月不滅;收其貨寶婦女而東。人或說項王曰:「關中阻山河四塞,地肥饒,可都以霸。」項王見秦宮皆以燒殘破,又心懷思欲東歸,曰:「富貴不歸故鄉,如衣繡夜行,誰知之者!」說者曰:「人言楚人沐猴而冠耳,果然。」項王聞之,烹說者。項王使人致命懷王。懷王曰:「如約。」乃尊懷王為義帝。項王欲自王,先王諸將相。謂曰:「天下初發難時,假立諸侯後以伐秦。然身被堅執銳首事,暴露於野三年,滅秦定天下者,皆將相諸君與籍之力也。義帝雖無功,故當分其地而王之。」諸將皆曰:「善。」乃分天下,立諸將為侯王。

新字:沛公謂張良曰:「従此道至吾軍,不過二十里耳。度我至軍中,公乃入。」沛公已去,閒至軍中,張良入謝,曰:「沛公不勝桮杓,不能辞。謹使臣良奉白璧一双,再拝献大王足下;玉斗一双,再拝奉大将軍足下。」項王曰:「沛公安在?」良曰:「聞大王有意督過之,脱身独去,已至軍矣。」項王則受璧,置之坐上。亜父受玉斗,置之地,抜剣撞而破之,曰:「唉!豎子不足与謀。奪項王天下者,必沛公也,吾属今為之虜矣。」沛公至軍,立誅殺曹無傷。居数日,項羽引兵西屠咸陽,殺秦降王子嬰,焼秦宮室,火三月不滅;収其貨宝婦女而東。人或説項王曰:「関中阻山河四塞,地肥饒,可都以覇。」項王見秦宮皆以焼残破,又心懐思欲東帰,曰:「富貴不帰故郷,如衣繍夜行,誰知之者!」説者曰:「人言楚人沐猴而冠耳,果然。」項王聞之,烹説者。項王使人致命懐王。懐王曰:「如約。」乃尊懐王為義帝。項王欲自王,先王諸将相。謂曰:「天下初発難時,仮立諸侯後以伐秦。然身被堅執鋭首事,暴露於野三年,滅秦定天下者,皆将相諸君与籍之力也。義帝雖無功,故当分其地而王之。」諸将皆曰:「善。」乃分天下,立諸将為侯王。

書き下し

沛公張良に謂ひて曰く、「此の道より吾が軍に至るは、二十里に過ぎざるのみ。我軍中に至るを度りて、公乃ち入れ。」と。沛公已に去り、間(ひそ)かに軍中に至る、張良入りて謝して、曰く、「沛公桮杓に勝へず、辞する能はず。謹みて臣良をして白璧一双を奉じ、再拝して大王の足下に献じ、玉斗一双もて、再拝して大将軍の足下に奉ぜしむ。」と。項王曰く、「沛公安くに在る。」と。良曰く、「大王之を督過するに意有りと聞き、身を脱して独り去り、已に軍に至れり。」と。項王則ち璧を受け、之を坐上に置く。亜父玉斗を受け、之を地に置き、剣を抜きて撞きて之を破りて、曰く、「唉(ああ)、豎子与に謀るに足らず。項王の天下を奪ふ者は、必ず沛公ならん、吾が属今に之が虜と為らん。」と。沛公軍に至り、立ちどころに曹無傷を誅殺す。居ること数日、項羽兵を引きて西のかた咸陽を屠り、秦の降王子嬰を殺し、秦の宮室を焼く、火三月滅せず。其の貨宝婦女を収めて東す。人或いは項王に説きて曰く、「関中は山河を阻てて四塞、地肥饒なり、都して以て霸たるべし。」と。項王秦の宮皆以に焼けて残破せるを見、又心に懐ひて東帰せんことを思欲し、曰く、「富貴にして故郷に帰らざるは、繡を衣て夜行くが如し、誰か之を知る者ぞ。」と。説く者曰く、「人言ふ楚人は沐猴にして冠するのみと、果たして然り。」と。項王之を聞き、説く者を烹る。項王人をして命を懐王に致さしむ。懐王曰く、「約の如くせよ。」と。乃ち懐王を尊びて義帝と為す。項王自ら王たらんと欲し、先づ諸将相を王とす。謂ひて曰く、「天下初めて難を発せし時、仮に諸侯の後を立てて以て秦を伐つ。然れども身堅を被り鋭を執りて事を首め、野に暴露すること三年、秦を滅ぼし天下を定むる者は、皆将相諸君と籍との力なり。義帝は功無しと雖も、故より当に其の地を分かちて之を王とすべし。」と。諸将皆曰く、「善し。」と。乃ち天下を分かち、諸将を立てて侯王と為す。

現代語訳

沛公は張良に言った。「この道から我が軍までは二十里にすぎない。私が軍中に着いた頃を見計らって、君は中に入れ」。沛公が去ってひそかに自軍に着いた頃、張良は中に入って詫びて言った。「沛公は酒に弱く、ご挨拶もできなくなった。謹んで私良に、白璧一対を捧げて再拝し大王の足下に献上し、玉斗一対を捧げて再拝し大将軍(范増)の足下に差し上げるよう命じられた」。項王は言った。「沛公はどこにいるのか」。張良は言った。「大王がとがめ立てするおつもりだと聞き、身一つで一人立ち去り、もう軍に着いている」。項王は璧を受け取り、座席の上に置いた。亜父(范増)は玉斗を受け取ると地面に置き、剣を抜いて突き砕き、こう言った。「ああ、小僧とはともに謀るに足りぬ。項王の天下を奪う者は、必ず沛公であろう。我々はいまに彼の捕虜になるのだ」。沛公は軍に着くと、ただちに曹無傷を誅殺した。数日して、項羽は兵を率いて西へ進み、咸陽で虐殺を行い、降伏していた秦王子嬰を殺し、秦の宮殿を焼いた。火は三か月も消えなかった。そして財宝や女性を奪って東へ向かった。ある人が項王に説いた。「関中は山と川に囲まれて四方が要害であり、土地は肥えて豊かだ。ここを都とすれば天下の覇者となれる」。項王は秦の宮殿がすでに焼けて崩れ果てているのを見、また心中では東の故郷に帰りたいと思っていたので、言った。「富貴になって故郷に帰らないのは、錦の着物を着て夜道を歩くようなものだ。誰がそれを知ろうか」。説いた者は言った。「楚の人は猿が冠をかぶったようなもの(見かけだけで中身がない)と世間では言うが、果たしてその通りだ」。項王はこれを聞いて、説いた者を釜ゆでにした。項王は人をやって懐王に報告させた。懐王は「約束の通りにせよ」と言った。そこで懐王を尊んで義帝とした。項王は自ら王になりたいと思い、まず将軍や宰相たちを王に立てることにした。そして言った。「天下で初めて反乱が起こったとき、仮に諸侯の子孫を立てて秦を討った。しかし自ら鎧を着て武器を執って事を起こし、野に身をさらすこと三年、秦を滅ぼして天下を平定したのは、すべて将軍・宰相の諸君とこの籍の力である。義帝は功績こそないが、もとよりその地を分けて王としてやるのが当然だ」。将たちは皆「結構だ」と言った。こうして天下を分け、将たちを立てて諸侯や王とした。

解説

鴻門の会の結末と、項羽が天下の主として振る舞い始める段です。范増が玉斗を剣で砕き「豎子与に謀るに足らず」と嘆いた言葉は、項羽の甘さへの痛烈な批判として知られます。劉邦は帰るや内通者の曹無傷を即座に斬りました。一方の項羽は咸陽を焼き払い、火は三か月消えませんでした。関中を都にせよという献言を退けた「富貴にして故郷に帰らざるは繡を衣て夜行くが如し」は、故郷に錦を飾るという言葉の由来です。これを「沐猴にして冠す」と嘲った者を釜ゆでにしたことも、項羽の器の狭さを示します。そして懐王を形式上「義帝」と祭り上げ、実権を奪いました。司馬遷は、戦場での強さと、天下を治める構想力とがまったく別物であることを、この一連の選択で描き出しています。

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