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史記 / 秦始皇本紀

當此之世,賢智并列,良將行其師,賢相通其謀,然困於阻險而不能進,秦乃延入戰而為之開關,百萬之徒逃北而遂壞。豈勇力智慧不足哉?形不利,勢不便也。秦小邑并大城,守險塞而軍,高壘毋戰,閉關據阨,荷戟而守之。諸侯起於匹夫,以利合,非有素王之行也。其交未親,其下未附,名為亡秦,其實利之也。彼見秦阻之難犯也,必退師。安土息民,以待其敝,收弱扶罷,以令大國之君,不患不得意於海內。貴為天子,富有天下,而身為禽者,其救敗非也。秦王足己不問,遂過而不變。二世受之,因而不改,暴虐以重禍。子嬰孤立無親,危弱無輔。三主惑而終身不悟,亡,不亦宜乎?當此時也,世非無深慮知化之士也,然所以不敢盡忠拂過者,秦俗多忌諱之禁,忠言未卒於口而身為戮沒矣。故使天下之士,傾耳而聽,重足而立,拑口而不言。是以三主失道,忠臣不敢諫,智士不敢謀,天下已亂,姦不上聞,豈不哀哉!先王知雍蔽之傷國也,故置公卿大夫士,以飾法設刑,而天下治。其彊也,禁暴誅亂而天下服。其弱也,五伯征而諸侯從。其削也,內守外附而社稷存。故秦之盛也,繁法嚴刑而天下振;及其衰也,百姓怨望而海內畔矣。

新字:当此之世,賢智并列,良将行其師,賢相通其謀,然困於阻険而不能進,秦乃延入戦而為之開関,百万之徒逃北而遂壊。豈勇力智慧不足哉?形不利,勢不便也。秦小邑并大城,守険塞而軍,高塁毋戦,閉関拠阨,荷戟而守之。諸侯起於匹夫,以利合,非有素王之行也。其交未親,其下未附,名為亡秦,其実利之也。彼見秦阻之難犯也,必退師。安土息民,以待其敝,収弱扶罷,以令大国之君,不患不得意於海内。貴為天子,富有天下,而身為禽者,其救敗非也。秦王足己不問,遂過而不変。二世受之,因而不改,暴虐以重禍。子嬰孤立無親,危弱無輔。三主惑而終身不悟,亡,不亦宜乎?当此時也,世非無深慮知化之士也,然所以不敢尽忠払過者,秦俗多忌諱之禁,忠言未卒於口而身為戮没矣。故使天下之士,傾耳而聴,重足而立,拑口而不言。是以三主失道,忠臣不敢諫,智士不敢謀,天下已乱,姦不上聞,豈不哀哉!先王知雍蔽之傷国也,故置公卿大夫士,以飾法設刑,而天下治。其彊也,禁暴誅乱而天下服。其弱也,五伯征而諸侯従。其削也,内守外附而社稷存。故秦之盛也,繁法厳刑而天下振;及其衰也,百姓怨望而海内畔矣。

書き下し

此の世に当たり、賢智并び列し、良将其の師を行り、賢相其の謀を通ず。然れども阻険に困しみて進む能はず。秦乃ち延き入れて戦ひ、之が為に関を開く。百万の徒逃北して遂に壊る。豈に勇力智慧足らざらんや。形利あらず、勢ひ便ならざればなり。秦は小邑も大城に并し、険塞を守りて軍し、塁を高くして戦ふ毋く、関を閉ぢ阨に拠り、戟を荷ひて之を守る。諸侯は匹夫より起こり、利を以て合し、素王の行ひ有るに非ず。其の交はり未だ親しまず、其の下未だ附かず。名は亡秦と為すも、其の実は之を利す。彼秦の阻みの犯し難きを見ば、必ず師を退かん。土を安んじ民を息ひ、以て其の敝るるを待ち、弱きを収め罷れたるを扶け、以て大国の君に令せば、意を海内に得ざるを患へず。貴きこと天子為り、富は天下を有ち、而るに身禽と為る者は、其の敗を救ふこと非なればなり。秦王は己を足れりとして問はず、遂に過ちて変ぜず。二世之を受け、因りて改めず、暴虐以て禍を重ぬ。子嬰孤立して親無く、危弱にして輔無し。三主惑ひて終身悟らず、亡ぶること、亦宜ならずや。此の時に当たりてや、世に深慮知化の士無きに非ざるなり。然れども敢へて忠を尽くし過ちを拂はざる所以の者は、秦の俗に忌諱の禁多く、忠言未だ口に卒はらずして身戮没と為ればなり。故に天下の士をして、耳を傾けて聴き、足を重ねて立ち、口を拑みて言はざらしむ。是を以て三主道を失ひ、忠臣敢へて諫めず、智士敢へて謀らず、天下已に乱るるも、姦上聞せず。豈に哀しからずや。先王は雍蔽の国を傷ふを知る。故に公卿大夫士を置き、以て法を飾り刑を設けて、天下治まる。其の彊きや、暴を禁じ乱を誅して天下服す。其の弱きや、五伯征して諸侯従ふ。其の削らるるや、内守り外附きて社稷存す。故に秦の盛んなるや、法を繁くし刑を厳しくして天下振るふ。其の衰ふるに及びてや、百姓怨望して海内畔く。

現代語訳

この時代には、賢者や知者が並び立ち、優れた将軍がその軍を動かし、賢い宰相がその謀をめぐらした。それでも険しい地形に阻まれて進むことができなかった。秦は(敵を)招き入れて戦い、そのために関所を開いた。すると百万の兵は逃げ散って、ついに崩れた。勇気や力、知恵が足りなかったのであろうか。地形が不利で、勢いが味方しなかったからである。秦は小さな町も大きな城に合わせ、険しい要害を守って陣を敷き、城壁を高くして戦わず、関所を閉じて狭い道に拠り、戟を担いで守った。(反秦の)諸侯は庶民から身を起こし、利益で結びついただけで、徳ある王者としての行いがあったわけではない。互いの交わりはまだ親密でなく、部下もまだ心服していなかった。名目は秦を滅ぼすことであったが、実は自分の利益のためであった。彼らは秦の守りが破りがたいと見れば、必ず兵を引いたであろう。(秦がそのとき)領土を安定させ民を休ませ、敵が疲れるのを待ち、弱った者を取り込み疲れた者を助け、大国の君主に号令すれば、天下で思いを遂げられないことを心配する必要はなかったはずである。天子という尊い身分にあり、天下を所有するほど富んでいながら、その身が捕らわれたのは、敗北を立て直す方法が誤っていたからである。秦王(始皇帝)は自分に満足して人に問わず、過ちを犯しても改めなかった。二世皇帝はそれを受け継ぎ、そのまま改めず、暴虐によって災いを重ねた。子嬰は孤立して親しむ者もなく、危うく弱くて補佐する者もなかった。三人の君主は迷ったまま生涯悟らず、滅びたのも当然ではないか。この時代にも、深く考え、変化を見通す士がいなかったわけではない。それなのにあえて忠誠を尽くして過ちを正そうとしなかったのは、秦の風習に口にしてはならない禁忌が多く、忠言を言い終わらないうちに殺されてしまったからである。そのため天下の士は、耳を傾けて聞くだけで、足をすくませて立ち、口を閉じて何も言わなかった。こうして三人の君主は道を失い、忠臣はあえて諫めず、知恵ある者はあえて謀らず、天下はすでに乱れていたのに、悪事は君主の耳に届かなかった。なんと悲しいことではないか。昔の王は、上下の意思疎通がふさがれることが国を損なうと知っていた。だから公卿・大夫・士を置いて、法を整え刑罰を設けて、天下を治めたのである。国が強いときは、暴虐を禁じ乱を討って天下を服させた。弱いときは、五人の覇者が征伐して諸侯を従わせた。領土が削られたときも、内を守り外と結んで国家を保った。だから秦が盛んだったときは、法を多くし刑を厳しくして天下を震え上がらせたが、衰えると、民は恨み、天下は背いたのである。

解説

賈誼の『過秦論』の中心となる部分です。賈誼は、秦が六国の連合軍を退けたのは地形の利があったからで、反秦の諸侯も利益で結びついただけの寄せ集めにすぎなかったと分析します。秦が守りを固めて民を休ませていれば、十分に持ちこたえられたはずでした。それなのに滅びたのは、始皇帝が「自分に満足して人に問わず、過ちを改めなかった」からであり、二世も子嬰もそれを正せなかったからだと言います。そして最も重い指摘がこれです。秦にも先を見通す賢者はいたのに、忠言を言い終わらないうちに殺されるので、誰もが耳を傾けて聞くだけで口を閉ざした。だから天下が乱れても、悪い知らせは君主に届かなかった、と。昔の王は、上下の意思疎通がふさがれることこそが国を損なうと知っていたからこそ、多くの官を置いたのだと結んでいます。優秀な人材がいても、発言が許されなければいないのと同じです。組織の強さは、人材の数ではなく、声が上に届く道が開いているかどうかで決まるのです。

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