史記 / 秦始皇本紀
高前數言「關東盜毋能為也」,及項羽虜秦將王離等鉅鹿下而前,章邯等軍數卻,上書請益助,燕、趙、齊、楚、韓、魏皆立為王,自關以東,大氐盡畔秦吏應諸侯,諸侯咸率其眾西鄉。沛公將數萬人已屠武關,使人私於高,高恐二世怒,誅及其身,乃謝病不朝見。二世夢白虎齧其左驂馬,殺之,心不樂,怪問占夢。卜曰:「涇水為祟。」二世乃齋於望夷宮,欲祠涇,沈四白馬。使使責讓高以盜賊事。高懼,乃陰與其婿咸陽令閻樂、其弟趙成謀曰:「上不聽諫,今事急,欲歸禍於吾宗。吾欲易置上,更立公子嬰。子嬰仁儉,百姓皆載其言。」使郎中令為內應,詐為有大賊,令樂召吏發卒,追劫樂母置高舍。遣樂將吏卒千餘人至望夷宮殿門,縛衛令仆射,曰:「賊入此,何不止?」衛令曰:「周廬設卒甚謹,安得賊敢入宮?」樂遂斬衛令,直將吏入,行射,郎宦者大驚,或走或格,格者輒死,死者數十人。郎中令與樂俱入,射上幄坐幃。二世怒,召左右,左右皆惶擾不鬬。旁有宦者一人,侍不敢去。二世入內,謂曰:「公何不蚤告我?乃至於此!」宦者曰:「臣不敢言,故得全。使臣蚤言,皆已誅,安得至今?」閻樂前即二世數曰:「足下驕恣,誅殺無道,天下共畔足下,足下其自為計。」
新字:高前数言「関東盗毋能為也」,及項羽虜秦将王離等鉅鹿下而前,章邯等軍数却,上書請益助,燕、趙、斉、楚、韓、魏皆立為王,自関以東,大氐尽畔秦吏応諸侯,諸侯咸率其衆西郷。沛公将数万人已屠武関,使人私於高,高恐二世怒,誅及其身,乃謝病不朝見。二世夢白虎齧其左驂馬,殺之,心不楽,怪問占夢。卜曰:「涇水為祟。」二世乃斎於望夷宮,欲祠涇,沈四白馬。使使責譲高以盗賊事。高懼,乃陰与其婿咸陽令閻楽、其弟趙成謀曰:「上不聴諫,今事急,欲帰禍於吾宗。吾欲易置上,更立公子嬰。子嬰仁倹,百姓皆載其言。」使郎中令為内応,詐為有大賊,令楽召吏発卒,追劫楽母置高舎。遣楽将吏卒千余人至望夷宮殿門,縛衛令仆射,曰:「賊入此,何不止?」衛令曰:「周廬設卒甚謹,安得賊敢入宮?」楽遂斬衛令,直将吏入,行射,郎宦者大驚,或走或格,格者輒死,死者数十人。郎中令与楽倶入,射上幄坐幃。二世怒,召左右,左右皆惶擾不闘。旁有宦者一人,侍不敢去。二世入内,謂曰:「公何不蚤告我?乃至於此!」宦者曰:「臣不敢言,故得全。使臣蚤言,皆已誅,安得至今?」閻楽前即二世数曰:「足下驕恣,誅殺無道,天下共畔足下,足下其自為計。」
書き下し
高前に数「関東の盗は能く為す毋し」と言ふ。項羽の秦の将王離等を鉅鹿の下に虜にして前むに及び、章邯等の軍数却き、上書して益助を請ふ。燕・趙・斉・楚・韓・魏皆立ちて王と為る。関より以東、大氐尽く秦の吏に畔きて諸侯に応じ、諸侯咸其の衆を率ゐて西に郷ふ。沛公数万人を将ゐて已に武関を屠り、人をして私かに高に通ぜしむ。高二世の怒りて、誅其の身に及ばんことを恐れ、乃ち病と謝して朝見せず。二世夢に白虎其の左驂の馬を齧みて之を殺す。心楽しまず、怪しみて占夢に問ふ。卜して曰く、「涇水祟りを為す」と。二世乃ち望夷宮に斎し、涇を祠りて、四白馬を沈めんと欲す。使ひをして高を責譲するに盗賊の事を以てせしむ。高懼れ、乃ち陰かに其の婿の咸陽令閻楽・其の弟趙成と謀りて曰く、「上諫めを聴かず。今事急にして、禍を吾が宗に帰せんと欲す。吾上を易置して、更に公子嬰を立てんと欲す。子嬰は仁倹にして、百姓皆其の言を載く」と。郎中令をして内応を為さしめ、詐りて大賊有りと為し、楽をして吏を召し卒を発せしめ、追ひて楽の母を劫して高の舎に置く。楽をして吏卒千余人を将ゐて望夷宮の殿門に至らしめ、衛令僕射を縛りて、曰く、「賊此に入る、何ぞ止めざる」と。衛令曰く、「周廬に卒を設くること甚だ謹めり、安んぞ賊の敢へて宮に入るを得ん」と。楽遂に衛令を斬り、直ちに吏を将ゐて入り、行きながら射る。郎・宦者大いに驚き、或いは走り或いは格ふ。格ふ者は輒ち死し、死する者数十人。郎中令楽と倶に入り、上の幄坐の幃を射る。二世怒り、左右を召すも、左右皆惶擾して闘はず。旁らに宦者一人有り、侍して敢へて去らず。二世内に入り、謂ひて曰く、「公何ぞ蚤く我に告げざる。乃ち此に至る」と。宦者曰く、「臣敢へて言はず、故に全きを得たり。臣をして蚤く言はしめば、皆已に誅せられん。安んぞ今に至るを得ん」と。閻楽前みて二世に即きて数めて曰く、「足下驕恣にして、誅殺無道なり。天下共に足下に畔く。足下其れ自ら計を為せ」と。
現代語訳
趙高は以前からたびたび「関東の盗賊どもは何もできはしない」と言っていた。ところが項羽が秦の将軍王離らを鉅鹿のふもとで捕らえて進撃してくると、章邯らの軍はたびたび退却し、上書して援軍を求めた。燕・趙・斉・楚・韓・魏ではみな王が立った。函谷関から東は、ほとんどすべてが秦の役人に背いて諸侯に呼応し、諸侯はみなその兵を率いて西へ向かった。沛公は数万人を率いてすでに武関を攻め落として住民を殺し、ひそかに人を遣わして趙高と通じた。趙高は二世皇帝が怒って自分を誅殺することを恐れ、病気と称して朝見しなくなった。二世皇帝は、白い虎が自分の車の左の添え馬にかみついて殺す夢を見た。心が晴れず、不思議に思って夢占いの官に尋ねた。占いの結果は「涇水の神のたたりである」と出た。二世皇帝はそこで望夷宮で斎戒し、涇水を祭って白馬四頭を沈めようとした。そして使者を遣わして、盗賊の件で趙高を責めた。趙高は恐れ、ひそかに娘婿の咸陽令閻楽や弟の趙成と謀って言った。「陛下は諫めを聞き入れない。今、事態が切迫して、その罪を我が一族に負わせようとしている。私は陛下を取り替えて、代わりに公子嬰を立てたい。子嬰は情け深く慎ましやかで、民はみなその言葉を尊んでいる。」そこで郎中令を内通者とし、大きな賊が現れたと偽って、閻楽に役人を呼んで兵を出させ、閻楽の母をさらって趙高の屋敷に置いた(人質とした)。閻楽に役人と兵千人余りを率いさせて望夷宮の門に至らせ、衛令と僕射を縛り上げて言わせた。「賊がここに入った。なぜ止めなかったのか。」衛令は言った。「宮殿の周りの詰め所には兵を置いて厳重に守っている。どうして賊が宮殿に入れようか。」閻楽はそこで衛令を斬り、まっすぐ役人を率いて宮中に入り、進みながら矢を射た。侍従や宦官は大いに驚き、逃げる者もいれば手向かう者もいた。手向かう者はたちまち殺され、死者は数十人に及んだ。郎中令と閻楽はともに中に入り、皇帝の座所の帳に矢を射込んだ。二世皇帝は怒って左右の者を呼んだが、左右の者はみなうろたえるばかりで戦わなかった。そばに宦官が一人だけいて、そばに仕えて逃げようとしなかった。二世皇帝は奥の部屋に入り、その宦官に言った。「おまえはなぜもっと早く私に知らせなかったのか。こんなことになってしまったではないか。」宦官は言った。「私はあえて申し上げなかったからこそ、命を全うできた。もし早く申し上げていたら、とうに誅殺されていた。どうして今まで生きていられようか。」閻楽は二世皇帝の前に進み出て責めた。「あなたは驕り高ぶってほしいままに振る舞い、道理に外れた殺戮を重ねた。天下はこぞってあなたに背いた。あなたはご自分で身の処し方を考えるがよい。」
解説
関連する章句
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史記 秦始皇本紀二世曰く、「丞相見るを得可きや否や」と。楽曰く、「不可なり」と。二世曰く、「吾願はくは一郡を得て王と為らん」と。許さず。又曰く、「願はくは万戸侯と為らん」と。許さず。曰く、「願はくは妻子と黔首と為り、諸公子に比せん」と。閻楽曰く、「臣命を丞相に受け、天下の為に足下を誅す。足下多言すと雖も、臣敢へて報ぜず」と。其の兵を麾きて進む。二世自殺す。閻楽帰りて趙高に報ず。趙高乃ち悉く諸大臣公子を召し、告ぐるに二世を誅せし状を以てす。曰く、「秦は故王国なり。始皇天下に君たり、故に帝と称す。今六国復た自ら立ち、秦の地益小なり。乃ち空名を以て帝と為すは、不可なり。宜しく王と為ること故の如くすべし、便なり」と。二世の兄の子公子嬰を立てて秦王と為す。黔首を以て二世を杜南の宜春苑中に葬る。子嬰をして斎し、当に廟見して、王璽を受けしめんとす。斎すること五日、子嬰其の子二人と謀りて曰く、「丞相高二世を望夷宮に殺し、群臣の之を誅せんことを恐れ、乃ち詳りて義を以て我を立つ。我聞く、趙高乃ち楚と約し、秦の宗室を滅ぼして関中に王たらんとすと。今我をして斎して廟に見えしむるは、此れ廟中に因りて我を殺さんと欲するなり。我病と称して行かずんば、丞相必ず自ら来たらん。来たらば則ち之を殺さん」と。高人をして子嬰を請はしむること数輩、子嬰行かず。高果たして自ら往きて、曰く、「宗廟は重事なり、王柰何ぞ行かざる」と。子嬰遂に高を斎宮に刺殺し、高の家を三族して以て咸陽に徇ふ。子嬰秦王為ること四十六日、楚の将沛公秦の軍を破りて武関に入り、遂に霸上に至り、人をして子嬰に降を約せしむ。子嬰即ち頸に系くるに組を以てし、白馬素車にて、天子の璽符を奉じて、軹道の旁らに降る。沛公遂に咸陽に入り、宮室府庫を封じ、還りて霸上に軍す。居ること月余にして、諸侯の兵至る。項籍従長と為り、子嬰及び秦の諸公子・宗族を殺す。遂に咸陽を屠り、其の宮室を焼き、其の子女を虜にし、其の珍宝貨財を収め、諸侯共に之を分かつ。
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史記 秦始皇本紀後の使者至る。上問ふ。対へて曰く、「群盗は、郡守尉方に逐捕し、今尽く得たり、憂ふるに足らず」と。上悦ぶ。武臣自ら立ちて趙王と為り、魏咎魏王と為り、田儋斉王と為る。沛公沛に起こる。項梁兵を会稽郡に挙ぐ。二年冬、陳渉の遣はす所の周章等将として西のかた戯に至る。兵数十万。二世大いに驚き、群臣と謀りて曰く、「柰何せん」と。少府章邯曰く、「盗已に至り、衆くして彊し。今近県を発するも及ばず。酈山の徒多し。請ふ之を赦し、兵を授けて以て之を撃たしめん」と。二世乃ち大いに天下に赦し、章邯をして将たらしめ、周章の軍を撃破して走らせ、遂に章を曹陽に殺す。二世益長史司馬欣・董翳を遣はして章邯を佐けて盗を撃たしむ。陳勝を城父に殺し、項梁を定陶に破り、魏咎を臨済に滅ぼす。楚の地の盗の名将已に死し、章邯乃ち北のかた河を渡り、趙王歇等を鉅鹿に撃つ。趙高二世に説きて曰く、「先帝天下を臨制すること久し。故に群臣敢へて非を為し、邪説を進めず。今陛下春秋に富み、初めて位に即く。柰何ぞ公卿と廷に事を決せん。事即し誤り有らば、群臣に短を示すなり。天子は朕と称し、固より声を聞かしめず」と。是に於て二世常に禁中に居り、高と諸事を決す。其の後公卿朝見するを得ること希にして、盗賊益多く、而して関中の卒発して東のかた盗を撃つ者已むこと毋し。右丞相去疾・左丞相斯・将軍馮劫進みて諫めて曰く、「関東の群盗并び起こり、秦兵を発して誅撃し、殺亡する所甚だ衆し。然れども猶ほ止まず。盗の多きは、皆戍漕転作の事苦しく、賦税大なるを以てなり。請ふ且く阿房宮の作者を止め、四辺の戍転を減省せんことを」と。二世曰く、「吾之を韓子に聞く、曰く、『堯舜は采椽刮らず、茅茨翦らず、土塯に飯し、土形に啜る。監門の養と雖も、此より觳ならず。
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史記 李斯列伝高自ら権の重きを知り、乃ち鹿を献じて、之を馬と謂ふ。二世左右に問ふ、「此れ乃ち鹿なるか」と。左右皆曰く「馬なり」と。二世驚き、自ら以て惑へりと為し、乃ち太卜を召して之を卦せしむ。太卜曰く、「陛下春秋に郊祀し、宗廟鬼神を奉ずるに、斎戒明らかならず。故に此に至る。盛徳に依りて斎戒を明らかにすべし」と。是に於て乃ち上林に入りて斎戒す。日に游弋猟す。行人の上林中に入る有り。二世自ら射て之を殺す。趙高其の女婿咸陽の令閻楽をして、何人かの人を賊殺して上林に移せしを知らずと劾せしむ。高乃ち二世を諫めて曰く、「天子故無くして不辜の人を賊殺するは、此れ上帝の禁なり。鬼神享けず、天且に殃を降さんとす。当に宮を遠く避けて以て之を禳ふべし」と。二世乃ち出でて望夷の宮に居る。留まること三日、趙高詐りて衛士に詔し、士をして皆素服して兵を持ちて内に郷はしめ、入りて二世に告げて曰く、「山東の群盗の兵大いに至る」と。二世上りて観て之を見、恐懼す。高既に因りて劫かして自殺せしむ。璽を引きて之を佩ぶ。左右百官従ふ莫し。殿に上れば、殿壊れんと欲する者三たび。高自ら天の与せず、群臣の許さざるを知り、乃ち始皇の弟を召し、之に璽を授く。子嬰既に位につき、之を患へ、乃ち疾と称して事を聴かず、宦者韓談及び其の子と高を殺さんことを謀る。高上謁して、病を請ふ。因りて召し入れ、韓談をして刺して之を殺さしめ、其の三族を夷す。子嬰立ちて三月、沛公の兵武関より入り、咸陽に至る。群臣百官皆畔き、適はず。子嬰妻子と自ら其の頸に系くるに組を以てし、軹道の旁に降る。沛公因りて以て吏に属す。項王至りて之を斬る。遂に以て天下を亡ふ。
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『新序』雜事第五秦の二世胡亥の公子爲るや、昆弟數人あり。詔して酒を置き羣臣を饗す。諸子を召す。諸子食を賜わりて先に罷む。胡亥階を下りて羣臣を視るに、履を陳ぬる狀の善き者あり。因りて行きて踐み敗りて去る。諸子の之を聞き見る者、太息せざる莫し。二世位に即くに及び、皆な天下の必ず之を棄てんことを知るなり。故に二世趙高に惑い、大臣を輕んじ、下民を顧みず。是を以て陳勝關東に臂を奮い、閻樂望夷に亂を作す。閻樂は趙高の婿なり。咸陽の令と爲る。詐りて賊を逐うと爲し、吏卒を將いて望夷宮に入り、二世を攻射す。就きて二世を數え、刃を加えんと欲す。二世懼れ、入りて將に自殺せんとす。一の宦者有りて之に從う。二世謂いて曰く、何ぞ此に至れりと謂うや、と。宦者曰く、此を知ること久し、と。二世曰く、子何ぞ早く言わざる、と。對えて曰く、臣言わざるを以て、故に此に至るを得たり。臣をして言わしめば、死すること久しからん、と。然る後に二世喟然として之を悔い、遂に自殺す。
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史記 李斯列伝蒙恬死するを肯ぜず。使者即ち以て吏に属し、陽周に系ぐ。使者還りて報ず。胡亥・斯・高大いに喜ぶ。咸陽に至りて喪を発し、太子立ちて二世皇帝と為る。趙高を以て郎中令と為し、常に侍中して事を用ふ。二世燕居し、乃ち高を召して与に事を謀り、謂ひて曰く、「夫れ人生の世間に居るや、譬へば猶ほ六驥を騁せて決隙を過ぐるがごときなり。吾既已に天下に臨めり。耳目の好む所を悉くし、心志の楽しむ所を窮めて、以て宗廟を安んじて万姓を楽しましめ、長く天下を有ちて、吾が年寿を終へんと欲す。其の道可ならんか」と。高曰く、「此れ賢主の能く行ふ所にして、昏乱の主の禁ずる所なり。臣請ふ之を言はん。敢て斧鉞の誅を避けず。願はくは陛下少しく意を留めよ。夫れ沙丘の謀、諸公子及び大臣皆疑ふ。而して諸公子は尽く帝の兄、大臣は又先帝の置く所なり。今陛下初めて立ち、此れ其の属意怏怏として皆服せず。恐らくは変を為さん。且つ蒙恬已に死すと雖も、蒙毅は兵を将ゐて外に居る。臣戦戦栗栗として、唯だ終へざらんことを恐る。且つ陛下安くんぞ此の楽しみを為すを得んや」と。二世曰く、「之を為すこと奈何」と。趙高曰く、「法を厳にして刑を刻にし、有罪者をして相坐して誅せしめ、収族に至らしめ、大臣を滅ぼして骨肉を遠ざけ、貧者は之を富まし、賤者は之を貴くし、尽く先帝の故臣を除き去りて、更めて陛下の親信する所の者を置きて之を近づけよ。此れ則ち陰徳陛下に帰し、害除かれて姦謀塞がり、群臣潤沢を被り厚徳を蒙らざる莫く、陛下則ち枕を高くし志を肆にして寵楽せん。計此より出づるは莫し」と。二世高の言を然りとし、乃ち更めて法律を為る。是に於て群臣諸公子罪有れば、輒ち高に下し、之を鞫治せしむ。大臣蒙毅等を殺し、公子十二人咸陽の市に僇死し、十公主杜に矺死し、財物は県官に入れ、相連坐する者は勝げて数ふべからず。
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史記 秦始皇本紀禹龍門を鑿ち、大夏に通じ、河を決して水を亭め、之を海に放ち、身自ら築臿を持し、脛に毛毋し。臣虜の労も此より烈しからず』と。凡そ天下を有つことを貴ぶ所以の者は、意を肆にし欲を極むることを得、主は明法を重んじ、下は敢へて非を為さず、以て海内を制御すればなり。夫れ虞・夏の主は、貴きこと天子為るも、親ら窮苦の実に処りて、以て百姓に徇ふ。尚ほ何ぞ法に於てせん。朕は万乗を尊ぶも、其の実毋し。吾千乗の駕、万乗の属を造り、吾が号名を充たさんと欲す。且つ先帝は諸侯より起こり、天下を兼ね、天下已に定まり、外は四夷を攘ひて以て辺竟を安んじ、宮室を作りて以て意を得たるを章らかにす。而して君は先帝の功業の緒有るを観る。今朕位に即きて二年の間、群盗并び起こるも、君禁ずる能はず、又先帝の為す所を罷めんと欲す。是れ上は以て先帝に報ゆる毋く、次は朕の為に忠力を尽くさず。何を以て位に在らんや」と。去疾・斯・劫を吏に下し、他罪を案責す。去疾・劫曰く、「将相は辱められず」と。自殺す。斯卒に囚はれ、五刑に就く。三年、章邯等其の卒を将ゐて鉅鹿を囲む。楚の上将軍項羽楚の卒を将ゐて往きて鉅鹿を救ふ。冬、趙高丞相と為り、竟に李斯を案じて之を殺す。夏、章邯等戦ひて数却く。二世人をして邯を譲めしむ。邯恐れ、長史欣をして事を請はしむ。趙高見ず、又信ぜず。欣恐れ、亡げ去る。高人をして捕追せしむるも及ばず。欣邯に見えて曰く、「趙高中に事を用ゐる。将軍功有るも亦誅せられ、功無きも亦誅せられん」と。項羽急に秦の軍を撃ち、王離を虜にす。邯等遂に兵を以て諸侯に降る。八月己亥、趙高乱を為さんと欲するも、群臣の聴かざらんことを恐れ、乃ち先づ験を設け、鹿を持ちて二世に献じ、曰く、「馬なり」と。二世笑ひて曰く、「丞相誤れるか、鹿を謂ひて馬と為す」と。左右に問ふ。左右或いは默し、或いは馬と言ひて以て趙高に阿順す。或いは鹿と言ふ。高因りて陰かに諸の鹿と言ふ者を中つるに法を以てす。後群臣皆高を畏る。
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