師導古典を学びたいすべての人に

史記 / 秦始皇本紀

二世曰:「丞相可得見否?」樂曰:「不可。」二世曰:「吾願得一郡為王。」弗許。又曰:「願為萬戶侯。」弗許。曰:「願與妻子為黔首,比諸公子。」閻樂曰:「臣受命於丞相,為天下誅足下,足下雖多言,臣不敢報。」麾其兵進。二世自殺。閻樂歸報趙高,趙高乃悉召諸大臣公子,告以誅二世之狀。曰:「秦故王國,始皇君天下,故稱帝。今六國復自立,秦地益小,乃以空名為帝,不可。宜為王如故,便。」立二世之兄子公子嬰為秦王。以黔首葬二世杜南宜春苑中。令子嬰齋,當廟見,受王璽。齋五日,子嬰與其子二人謀曰:「丞相高殺二世望夷宮,恐群臣誅之,乃詳以義立我。我聞趙高乃與楚約,滅秦宗室而王關中。今使我齋見廟,此欲因廟中殺我。我稱病不行,丞相必自來,來則殺之。」高使人請子嬰數輩,子嬰不行,高果自往,曰:「宗廟重事,王柰何不行?」子嬰遂刺殺高於齋宮,三族高家以徇咸陽。子嬰為秦王四十六日,楚將沛公破秦軍入武關,遂至霸上,使人約降子嬰。子嬰即系頸以組,白馬素車,奉天子璽符,降軹道旁。沛公遂入咸陽,封宮室府庫,還軍霸上。居月餘,諸侯兵至,項籍為從長,殺子嬰及秦諸公子宗族。遂屠咸陽,燒其宮室,虜其子女,收其珍寶貨財,諸侯共分之。

新字:二世曰:「丞相可得見否?」楽曰:「不可。」二世曰:「吾願得一郡為王。」弗許。又曰:「願為万戸侯。」弗許。曰:「願与妻子為黔首,比諸公子。」閻楽曰:「臣受命於丞相,為天下誅足下,足下雖多言,臣不敢報。」麾其兵進。二世自殺。閻楽帰報趙高,趙高乃悉召諸大臣公子,告以誅二世之状。曰:「秦故王国,始皇君天下,故称帝。今六国復自立,秦地益小,乃以空名為帝,不可。宜為王如故,便。」立二世之兄子公子嬰為秦王。以黔首葬二世杜南宜春苑中。令子嬰斎,当廟見,受王璽。斎五日,子嬰与其子二人謀曰:「丞相高殺二世望夷宮,恐群臣誅之,乃詳以義立我。我聞趙高乃与楚約,滅秦宗室而王関中。今使我斎見廟,此欲因廟中殺我。我称病不行,丞相必自来,来則殺之。」高使人請子嬰数輩,子嬰不行,高果自往,曰:「宗廟重事,王柰何不行?」子嬰遂刺殺高於斎宮,三族高家以徇咸陽。子嬰為秦王四十六日,楚将沛公破秦軍入武関,遂至覇上,使人約降子嬰。子嬰即系頸以組,白馬素車,奉天子璽符,降軹道旁。沛公遂入咸陽,封宮室府庫,還軍覇上。居月余,諸侯兵至,項籍為従長,殺子嬰及秦諸公子宗族。遂屠咸陽,焼其宮室,虜其子女,収其珍宝貨財,諸侯共分之。

書き下し

二世曰く、「丞相見るを得可きや否や」と。楽曰く、「不可なり」と。二世曰く、「吾願はくは一郡を得て王と為らん」と。許さず。又曰く、「願はくは万戸侯と為らん」と。許さず。曰く、「願はくは妻子と黔首と為り、諸公子に比せん」と。閻楽曰く、「臣命を丞相に受け、天下の為に足下を誅す。足下多言すと雖も、臣敢へて報ぜず」と。其の兵を麾きて進む。二世自殺す。閻楽帰りて趙高に報ず。趙高乃ち悉く諸大臣公子を召し、告ぐるに二世を誅せし状を以てす。曰く、「秦は故王国なり。始皇天下に君たり、故に帝と称す。今六国復た自ら立ち、秦の地益小なり。乃ち空名を以て帝と為すは、不可なり。宜しく王と為ること故の如くすべし、便なり」と。二世の兄の子公子嬰を立てて秦王と為す。黔首を以て二世を杜南の宜春苑中に葬る。子嬰をして斎し、当に廟見して、王璽を受けしめんとす。斎すること五日、子嬰其の子二人と謀りて曰く、「丞相高二世を望夷宮に殺し、群臣の之を誅せんことを恐れ、乃ち詳りて義を以て我を立つ。我聞く、趙高乃ち楚と約し、秦の宗室を滅ぼして関中に王たらんとすと。今我をして斎して廟に見えしむるは、此れ廟中に因りて我を殺さんと欲するなり。我病と称して行かずんば、丞相必ず自ら来たらん。来たらば則ち之を殺さん」と。高人をして子嬰を請はしむること数輩、子嬰行かず。高果たして自ら往きて、曰く、「宗廟は重事なり、王柰何ぞ行かざる」と。子嬰遂に高を斎宮に刺殺し、高の家を三族して以て咸陽に徇ふ。子嬰秦王為ること四十六日、楚の将沛公秦の軍を破りて武関に入り、遂に霸上に至り、人をして子嬰に降を約せしむ。子嬰即ち頸に系くるに組を以てし、白馬素車にて、天子の璽符を奉じて、軹道の旁らに降る。沛公遂に咸陽に入り、宮室府庫を封じ、還りて霸上に軍す。居ること月余にして、諸侯の兵至る。項籍従長と為り、子嬰及び秦の諸公子・宗族を殺す。遂に咸陽を屠り、其の宮室を焼き、其の子女を虜にし、其の珍宝貨財を収め、諸侯共に之を分かつ。

現代語訳

二世皇帝は言った。「丞相(趙高)に会うことはできるか。」閻楽は言った。「できない。」二世皇帝は言った。「一郡をもらって王になりたい。」閻楽は許さなかった。また言った。「一万戸の領地を持つ侯になりたい。」許さなかった。さらに言った。「妻子とともに庶民となり、他の公子たちと同じ扱いにしてほしい。」閻楽は言った。「私は丞相の命を受け、天下のためにあなたを誅するのである。あなたがいくら言葉を重ねても、私は取り次ぐわけにはいかない。」そして兵を差し招いて進ませた。二世皇帝は自殺した。閻楽は帰って趙高に報告した。趙高はそこで大臣や公子たちをすべて呼び集め、二世皇帝を誅殺した事情を告げて言った。「秦はもともと王の国であった。始皇帝が天下に君臨したので、帝を称したのである。今、六国は再び自ら王を立て、秦の領地はますます小さくなった。それなのに中身のない名目で帝と称するのはよくない。以前のように王と称するのが適当である。」そして二世皇帝の兄の子である公子嬰を秦王に立てた。二世皇帝は庶民の礼で杜の南の宜春苑の中に葬られた。趙高は子嬰に斎戒させ、祖先の廟に参拝して王の印璽を受けさせようとした。斎戒して五日目、子嬰は二人の子と相談して言った。「丞相の趙高は二世皇帝を望夷宮で殺したが、群臣に誅されることを恐れて、表向きは正義を掲げて私を立てたのだ。聞くところでは、趙高は楚と約束して、秦の王族を滅ぼして自分が関中の王になろうとしているという。今、私に斎戒して廟に参拝させようとしているのは、廟の中で私を殺そうとしているのだ。私が病気と称して行かなければ、丞相は必ず自分でやって来るであろう。来たら殺してしまおう。」趙高は何度も人を遣わして子嬰を呼んだが、子嬰は行かなかった。果たして趙高は自らやって来て言った。「宗廟の祭りは重大な事である。王はどうして行かれないのか。」子嬰はついに斎宮で趙高を刺し殺し、趙高の三族を皆殺しにして咸陽にさらした。子嬰が秦王であったのは四十六日間であった。楚の将軍の沛公(劉邦)が秦の軍を破って武関に入り、ついに霸上に至り、人を遣わして子嬰に降伏を求めた。子嬰はただちに首に組紐をかけ(罪人の姿となり)、白馬に引かせた白木の車に乗り、天子の印璽と割符を捧げて、軹道のほとりで降伏した。沛公はそのまま咸陽に入り、宮殿と倉庫を封印して、引き返して霸上に陣を置いた。一か月余りして、諸侯の兵が到着した。項籍(項羽)は諸侯連合の長となり、子嬰と秦の公子や一族を殺した。そして咸陽の住民を皆殺しにし、宮殿を焼き、その男女を捕らえ、珍しい宝物や財貨を取り上げて、諸侯でこれを分け合った。

解説

秦帝国の最期を描く段です。二世皇帝は、丞相に会わせてほしい、一郡の王でいい、万戸侯でいい、庶民でいいと命乞いを重ねましたが、すべて退けられ、自害しました。天下を持つのは欲望を思うままにするためだと言い放った皇帝の、あまりにみじめな最期です。趙高は子嬰を立てましたが、六国が再び王を立てた以上、帝ではなく王と称すべきだとしました。帝国はもはや名目すら保てなくなったのです。子嬰は、趙高が楚と通じて自分を殺そうとしていると見抜き、病と称して趙高をおびき寄せ、斎宮で刺殺しました。秦を内側から食い破った趙高は、こうして報いを受けます。しかし時すでに遅く、子嬰は即位四十六日目に、首に組紐をかけて劉邦に降伏しました。劉邦は宮殿や倉庫を封印して手をつけませんでしたが、続いて来た項羽は子嬰と秦の王族を殺し、咸陽を焼き払いました。同じ勝者でも、劉邦と項羽の振る舞いの違いが、この後の天下の行方を分けることになります。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る