酔古堂剣掃 / 集法・辯は訥に如かず
辯不如訥,語不如默,動不如靜,忙不如閑。
新字:弁不如訥,語不如黙,動不如静,忙不如閑。
書き下し
辯は訥に如かず、語は默に如かず、動は靜に如かず、忙は閑に如かず。
現代語訳
弁舌が立つのは口下手に及ばず、語るのは黙っているのに及ばず、動くのは静かにしているのに及ばず、忙しいのはのんびりしているのに及びません。
解説
四つの対比を重ねて、控えめなほうに価値を置いた一則です。辯は弁舌の巧みさ、訥は口が重く言葉が少ないことです。『論語』に、君子は言葉には訥で、行いには敏であろうとする、という言葉があり、口数の少なさを美徳とする考えは儒家にも古くからあります。語より默、動より靜、忙より閑という並べ方には、道家の無為の気分も感じられます。もちろん、話すことや動くことを一切やめよという意味ではありません。よくしゃべり、よく動き、忙しくしていることが良いことだと思い込みがちな心に、いったん歯止めをかける言葉として読めます。予定を詰め込みすぎた週には、この四句を思い出して、一つ減らしてみるのもよいでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
沈黙謙虚閑適処世静
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