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史記 / 秦始皇本紀

惠被諸產,久并來田,莫不安所。群臣誦烈,請刻此石,垂著儀矩。因使韓終、侯公、石生求僊人不死之藥。始皇巡北邊,從上郡入。燕人盧生使入海還,以鬼神事,因奏錄圖書,曰「亡秦者胡也」。始皇乃使將軍蒙恬發兵三十萬人北擊胡,略取河南地。三十三年,發諸嘗逋亡人、贅婿、賈人略取陸梁地,為桂林、象郡、南海,以適遣戍。西北斥逐匈奴。自榆中并河以東,屬之陰山,以為三十四縣,城河上為塞。又使蒙恬渡河取高闕、陽山、北假中,筑亭障以逐戎人。徙謫,實之初縣。禁不得祠。明星出西方。三十四年,適治獄吏不直者,筑長城及南越地。始皇置酒咸陽宮,博士七十人前為壽。仆射周青臣進頌曰:「他時秦地不過千里,賴陛下神靈明聖,平定海內,放逐蠻夷,日月所照,莫不賓服。以諸侯為郡縣,人人自安樂,無戰爭之患,傳之萬世。自上古不及陛下威德。」始皇悅。博士齊人淳于越進曰:「臣聞殷周之王千餘歲,封子弟功臣,自為枝輔。今陛下有海內,而子弟為匹夫,卒有田常、六卿之臣,無輔拂,何以相救哉?事不師古而能長久者,非所聞也。今青臣又面諛以重陛下之過,非忠臣。」始皇下其議。

新字:恵被諸産,久并来田,莫不安所。群臣誦烈,請刻此石,垂著儀矩。因使韓終、侯公、石生求僊人不死之薬。始皇巡北辺,従上郡入。燕人盧生使入海還,以鬼神事,因奏録図書,曰「亡秦者胡也」。始皇乃使将軍蒙恬発兵三十万人北撃胡,略取河南地。三十三年,発諸嘗逋亡人、贅婿、賈人略取陸梁地,為桂林、象郡、南海,以適遣戍。西北斥逐匈奴。自榆中并河以東,属之陰山,以為三十四県,城河上為塞。又使蒙恬渡河取高闕、陽山、北仮中,筑亭障以逐戎人。徙謫,実之初県。禁不得祠。明星出西方。三十四年,適治獄吏不直者,筑長城及南越地。始皇置酒咸陽宮,博士七十人前為寿。仆射周青臣進頌曰:「他時秦地不過千里,頼陛下神霊明聖,平定海内,放逐蠻夷,日月所照,莫不賓服。以諸侯為郡県,人人自安楽,無戦争之患,伝之万世。自上古不及陛下威徳。」始皇悦。博士斉人淳于越進曰:「臣聞殷周之王千余歳,封子弟功臣,自為枝輔。今陛下有海内,而子弟為匹夫,卒有田常、六卿之臣,無輔払,何以相救哉?事不師古而能長久者,非所聞也。今青臣又面諛以重陛下之過,非忠臣。」始皇下其議。

書き下し

恵は諸産に被び、久しく并せて来たりて田し、所に安んぜざる莫し。群臣烈を誦し、此の石に刻さんことを請ひ、儀矩を垂著す。因りて韓終・侯公・石生をして僊人不死の薬を求めしむ。始皇北辺を巡り、上郡より入る。燕人盧生使ひして海に入りて還り、鬼神の事を以て、因りて録図書を奏す。曰く「秦を亡ぼす者は胡なり」と。始皇乃ち将軍蒙恬をして兵三十万人を発して北のかた胡を撃たしめ、河南の地を略取す。三十三年、諸の嘗て逋亡せし人・贅婿・賈人を発して陸梁の地を略取し、桂林・象郡・南海と為し、以て適遣して戍らしむ。西北のかた匈奴を斥逐す。楡中より河に并ひて以東、之を陰山に属し、以て三十四県と為し、河上に城きて塞と為す。又蒙恬をして河を渡りて高闕・陽山・北仮の中を取り、亭障を築きて以て戎人を逐はしむ。謫を徙して、之を初県に実たす。禁じて祠るを得ざらしむ。明星西方に出づ。三十四年、獄吏の直ならざる者を適して、長城及び南越の地を築かしむ。始皇酒を咸陽宮に置き、博士七十人前みて寿を為す。僕射周青臣進みて頌して曰く、「他時秦の地千里に過ぎず。陛下の神霊明聖に頼り、海内を平定し、蛮夷を放逐し、日月の照らす所、賓服せざる莫し。諸侯を以て郡県と為し、人人自ら安楽にして、戦争の患ひ無く、之を万世に伝ふ。上古より陛下の威徳に及ばず」と。始皇悦ぶ。博士の斉人淳于越進みて曰く、「臣聞く、殷・周の王たること千余歳、子弟功臣を封じ、自ら枝輔と為すと。今陛下海内を有つも、而も子弟匹夫と為る。卒に田常・六卿の臣有らば、輔拂無くして、何を以て相救はんや。事古を師とせずして能く長久なる者は、聞く所に非ざるなり。今青臣又面諛して以て陛下の過ちを重ぬ、忠臣に非ず」と。始皇其の議を下す。

現代語訳

恵みはあらゆる産業に及び、長く人々が集まって田を耕し、それぞれの所に安んじない者はない。群臣は功業をたたえ、この石に刻むことを願い出て、規範として後世に示した。そこで韓終・侯公・石生に仙人の不老不死の薬を探させた。始皇帝は北方の辺境を巡り、上郡から都に入った。燕の人の盧生が使者として海に入って帰ってきて、鬼神のことを語り、そのついでに予言の書を献上した。そこには「秦を滅ぼす者は胡である」と書かれていた。始皇帝はそこで将軍の蒙恬に兵三十万人を出させて北の胡(匈奴)を攻めさせ、黄河の南の地を奪い取った。三十三年、かつて逃亡したことのある者、入り婿、商人を徴発して南方の陸梁の地を攻め取り、桂林・象郡・南海の郡を置き、罪人を送って守備させた。西北では匈奴を追い払った。楡中から黄河に沿って東へ、陰山に至るまでの地を三十四県とし、黄河のほとりに城を築いて砦とした。さらに蒙恬に黄河を渡らせて高闕・陽山・北仮の地を取らせ、物見台や砦を築いて戎人を追い払わせた。罪人を移住させて、新しく置いた県を満たした。(特定の星を)祭ることを禁じた。明星が西方に現れた。三十四年、裁判で不正を行った獄吏を罰として送り、長城と南越の地の工事にあたらせた。始皇帝は咸陽宮で酒宴を開き、博士七十人が進み出て長寿を祝った。僕射の周青臣が進み出てたたえて言った。「かつて秦の領地は千里にすぎなかった。陛下の神霊のような聖明さのおかげで、天下を平定し、蛮夷を追い払い、日月の照らすところ、服従しない者はいない。諸侯の国を郡県とし、人々はみな安楽に暮らし、戦争の心配もなく、これを万世に伝えることになる。上古以来、陛下の威徳に及ぶ者はいない。」始皇帝は喜んだ。博士で斉の人の淳于越が進み出て言った。「私は、殷・周が千年余り王として続いたのは、子弟や功臣を諸侯に封じ、王室の支えとしたからだと聞いている。今、陛下は天下を領有しているのに、子弟は一介の庶民にすぎない。もし田常や晋の六卿のような臣下が現れたら、支える者がいないのに、どうやって救うのか。古に学ばずに長く続いたという話は、聞いたことがない。今、周青臣はまたも面と向かってへつらい、陛下の過ちを重ねさせている。忠臣ではない。」始皇帝はこの議論を群臣に下した。

解説

始皇帝の治世の後半、対外遠征の拡大と、焚書の発端となる論争を描く段です。方士の盧生が「秦を滅ぼす者は胡なり」という予言書を持ち帰ると、始皇帝は将軍蒙恬に三十万の兵を与えて北の匈奴を討たせ、南では越の地に三つの郡を置きました。逃亡者や商人、不正を働いた獄吏まで徴発して辺境の守備や長城の工事に送り込んでいます。後にこの予言の「胡」は、二世皇帝の胡亥のことだったと解釈されるようになりました。咸陽宮の酒宴では、周青臣が「上古以来、陛下の威徳に及ぶ者はいない」と称え、始皇帝は喜びます。そこに博士の淳于越が「殷・周は子弟を封じて千年続いた。古に学ばずに長続きした例はない。へつらう者は忠臣ではない」と異を唱えました。祝いの席で耳の痛いことを言うのは勇気のいることです。称賛する声と批判する声が同じ場に出たとき、トップがどちらをどう扱うかが組織の行く末を決めます。この論争が、次の段で重大な決定を生むことになります。

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