史記 / 秦始皇本紀
曰:維二十八年,皇帝作始。端平法度,萬物之紀。以明人事,合同父子。聖智仁義,顯白道理。東撫東土,以省卒士。事已大畢,乃臨于海。皇帝之功,勸勞本事。上農除末,黔首是富。普天之下,摶心揖志。器械一量,同書文字。日月所照,舟輿所載。皆終其命,莫不得意。應時動事,是維皇帝。匡飭異俗,陵水經地。憂恤黔首,朝夕不懈。除疑定法,咸知所辟。方伯分職,諸治經易。舉錯必當,莫不如畫。皇帝之明,臨察四方。尊卑貴賤,不踰次行。瑯邪不容,皆務貞良。細大盡力,莫敢怠荒。遠邇辟隱,專務肅莊。端直敦忠,事業有常。皇帝之德,存定四極。誅亂除害,興利致福。節事以時,諸產繁殖。黔首安寧,不用兵革。六親相保,終無寇賊。驩欣奉教,盡知法式。六合之內,皇帝之土。西涉流沙,南盡北戶。東有東海,北過大夏。人跡所至,無不臣者。功蓋五帝,澤及牛馬。莫不受德,各安其宇。維秦王兼有天下,立名為皇帝,乃撫東土,至于瑯邪。列侯武城侯王離、列侯通武侯王賁、倫侯建成侯趙亥、倫侯昌武侯成、倫侯武信侯馮毋擇、丞相隗林、丞相王綰、卿李斯、卿王戊、五大夫趙嬰、五大夫楊樛從,與議於海上。
新字:曰:維二十八年,皇帝作始。端平法度,万物之紀。以明人事,合同父子。聖智仁義,顕白道理。東撫東土,以省卒士。事已大畢,乃臨于海。皇帝之功,勧労本事。上農除末,黔首是富。普天之下,摶心揖志。器械一量,同書文字。日月所照,舟輿所載。皆終其命,莫不得意。応時動事,是維皇帝。匡飭異俗,陵水経地。憂恤黔首,朝夕不懈。除疑定法,咸知所辟。方伯分職,諸治経易。舉錯必当,莫不如画。皇帝之明,臨察四方。尊卑貴賤,不踰次行。瑯邪不容,皆務貞良。細大尽力,莫敢怠荒。遠邇辟隠,専務粛荘。端直敦忠,事業有常。皇帝之徳,存定四極。誅乱除害,興利致福。節事以時,諸産繁殖。黔首安寧,不用兵革。六親相保,終無寇賊。驩欣奉教,尽知法式。六合之内,皇帝之土。西渉流沙,南尽北戸。東有東海,北過大夏。人跡所至,無不臣者。功蓋五帝,沢及牛馬。莫不受徳,各安其宇。維秦王兼有天下,立名為皇帝,乃撫東土,至于瑯邪。列侯武城侯王離、列侯通武侯王賁、倫侯建成侯趙亥、倫侯昌武侯成、倫侯武信侯馮毋択、丞相隗林、丞相王綰、卿李斯、卿王戊、五大夫趙嬰、五大夫楊樛従,与議於海上。
書き下し
曰く、維れ二十八年、皇帝作始す。法度を端平にし、万物の紀なり。以て人事を明らかにし、父子を合同す。聖智仁義、道理を顕白す。東のかた東土を撫し、以て卒士を省る。事已に大いに畢はり、乃ち海に臨む。皇帝の功、本事を勧労す。農を上び末を除き、黔首是れ富む。普天の下、心を摶め志を揖む。器械量を一にし、書文字を同じくす。日月の照らす所、舟輿の載する所、皆其の命を終へ、意を得ざる莫し。時に応じて事を動かす、是れ維れ皇帝。異俗を匡飭し、水を陵え地を経る。黔首を憂恤し、朝夕懈らず。疑ひを除き法を定め、咸辟くる所を知る。方伯職を分かち、諸治経易なり。挙錯必ず当たり、画くが如くならざる莫し。皇帝の明、四方を臨察す。尊卑貴賤、次行を踰えず。姦邪容れず、皆貞良を務む。細大力を尽くし、敢へて怠荒する莫し。遠邇辟隠、専ら粛荘を務む。端直敦忠、事業常有り。皇帝の徳、四極を存定す。乱を誅し害を除き、利を興し福を致す。事を節するに時を以てし、諸産繁殖す。黔首安寧にして、兵革を用ゐず。六親相保ち、終に寇賊無し。驩欣して教へを奉じ、尽く法式を知る。六合の内は、皇帝の土。西は流沙を渉り、南は北戸を尽くす。東は東海を有ち、北は大夏を過ぐ。人跡の至る所、臣たらざる者無し。功は五帝を蓋ひ、沢は牛馬に及ぶ。徳を受けざる莫く、各其の宇に安んず。維れ秦王天下を兼有し、名を立てて皇帝と為し、乃ち東土を撫し、瑯邪に至る。列侯武城侯王離・列侯通武侯王賁・倫侯建成侯趙亥・倫侯昌武侯成・倫侯武信侯馮毋択・丞相隗林・丞相王綰・卿李斯・卿王戊・五大夫趙嬰・五大夫楊樛従ひ、与に海上に議す。
現代語訳
(瑯邪台の刻石の文に)いう。二十八年、皇帝は新しい時代を始めた。法と制度を正しく公平にし、万物の秩序の基とした。それによって人の世の事柄を明らかにし、父子の間を和合させた。聖明な知恵と仁義によって、道理を明らかに示した。東方の地を安んじ、兵士たちを見舞った。事業はすでに大いに完成し、そこで海に臨んだ。皇帝の功績は、農業という根本の仕事を励ましたことにある。農業を尊び商工業という末業を抑え、民はこれによって豊かになった。天下のすべての人々が、心を一つにし志を合わせている。器物の度量を統一し、書く文字を同じにした。日月の照らすところ、舟や車の行くところ、人々はみな天寿を全うし、満ち足りない者はない。時に応じて事を動かすのは、ただ皇帝である。異なる風俗を正し、川を越え土地を治めた。民をいたわり、朝も夕も怠らない。疑わしいことを除いて法を定めたので、人々はみな避けるべきことを知っている。地方の長は職務を分担し、諸々の政治は平易に行われる。施策は必ず的を射て、図を描いたように正確でないものはない。皇帝の明察は四方を見渡す。尊卑貴賤は、それぞれの序列を越えることがない。悪事やよこしまなことは許されず、みな正しく善良であろうと努める。小事にも大事にも力を尽くし、怠けたり荒れたりする者はない。遠くの者も近くの者も、辺鄙な地の者も隠れ住む者も、ひたすら慎み深く厳かであろうと努める。正しくまっすぐで、厚く忠実であり、事業には常の規範がある。皇帝の徳は、四方の果てまでを安定させる。乱を討ち害を除き、利益を興し幸福をもたらす。事業は時節に合わせて行い、あらゆる産物は豊かに殖える。民は安らかで、戦争を用いることがない。親族は互いに守り合い、盗賊はまったくいない。人々は喜んで教えを奉じ、ことごとく法と規範を知っている。天地四方の内は、すべて皇帝の土地である。西は流沙を越え、南は北向戸の果てまで至る。東は東海を領し、北は大夏を越える。人の足跡の及ぶところ、臣下とならない者はない。功績は五帝をしのぎ、恩沢は牛や馬にまで及ぶ。徳を受けない者はなく、それぞれ自分の住まいに安んじている。秦王は天下を併せ持ち、皇帝の名を立て、東方を安んじて瑯邪に至った。列侯の武城侯王離、列侯の通武侯王賁、倫侯の建成侯趙亥、倫侯の昌武侯成、倫侯の武信侯馮毋択、丞相の隗林、丞相の王綰、卿の李斯、卿の王戊、五大夫の趙嬰、五大夫の楊樛が随行し、ともに海のほとりで議論した。
解説
関連する章句
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史記 秦始皇本紀義もて誅し信もて行ひ、威は旁く達し、賓服せざる莫し。彊暴を烹滅し、黔首を振救し、周く四極を定む。普く明法を施し、天下を経緯し、永く儀則と為す。大なるかな、宇県の中、聖意に承順す。群臣功を誦し、石に刻さんことを請ひ、常式に表垂す。其の東観に曰く、二十九年、皇帝春に游び、遠方を覧省す。海隅に逮び、遂に之罘に登り、朝陽に昭臨す。広麗を観望し、従臣咸念ひ、道を原ぬること至明なり。聖法初めて興り、疆内を清理し、外は暴彊を誅す。武威旁く暢び、四極を振動し、六王を禽滅す。天下を闡并し、甾害絶息し、永く戎兵を偃す。皇帝の明徳、宇内を経理し、視聴怠らず。大義を作立し、備器を昭設し、咸章旗有り。職臣分に遵ひ、各行ふ所を知り、事に嫌疑無し。黔首化を改め、遠邇度を同じくし、古に臨みて絶尤なり。常職既に定まり、後嗣業に循ひ、長く聖治を承けん。群臣徳を嘉し、祗みて聖烈を誦し、之罘に刻さんことを請ふ。旋りて、遂に瑯邪に之き、上党に道して入る。三十年、事無し。三十一年十二月、臘を更名して「嘉平」と曰ふ。黔首に里ごとに米六石、羊二を賜ふ。始皇咸陽に微行を為し、武士四人と倶にし、夜出でて盗に蘭池に逢ひ、窘めらる。武士盗を撃ち殺す。関中大いに索むること二十日。米石千六百。三十二年、始皇碣石に之き、燕人盧生をして羨門・高誓を求めしむ。碣石の門に刻す。城郭を壊ち、隄防を決通す。其の辞に曰く、遂に師旅を興し、無道を誅戮し、逆を為す滅息す。武は暴逆を殄し、文は無罪を復し、庶心咸服す。恵みて功労を論じ、賞は牛馬に及び、恩は土域を肥やす。皇帝威を奮ひ、徳は諸侯を并せ、初めて一に泰平なり。城郭を墮壊し、川防を決通し、険阻を夷去す。地勢既に定まり、黎庶繇無く、天下咸撫す。男は其の疇を楽しみ、女は其の業を修め、事各序有り。
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史記 秦始皇本紀秦諸侯を破る毎に、其の宮室を写放し、之を咸陽の北阪の上に作る。南は渭に臨み、雍門より以東涇・渭に至るまで、殿屋・複道・周閣相属す。得る所の諸侯の美人・鐘鼓、以て之に充入す。二十七年、始皇隴西・北地を巡り、雞頭山に出で、回中を過ぐ。焉に信宮を渭南に作り、已にして更めて信宮を命じて極廟と為し、天極に象る。極廟より道酈山に通じ、甘泉の前殿を作る。甬道を築き、咸陽より之に属す。是の歳、爵一級を賜ふ。馳道を治む。二十八年、始皇東のかた郡県を行り、鄒の嶧山に上る。石を立て、魯の諸儒生と議し、石に刻して秦の徳を頌し、封禅・望祭山川の事を議す。乃ち遂に泰山に上り、石を立て、封じ、祠祀す。下るとき、風雨暴かに至り、樹下に休む。因りて其の樹を封じて五大夫と為す。梁父に禅す。立つる所の石に刻す。其の辞に曰く、皇帝位に臨み、制を作り法を明らかにし、臣下修飭す。二十有六年、初めて天下を并せ、賓服せざる罔し。親しく遠方の黎民を巡り、茲の泰山に登り、周く東極を覧る。従臣跡を思ひ、事業を本原し、祗みて功徳を誦す。治道運行し、諸産宜しきを得、皆法式有り。大義休明にして、後世に垂れ、順承して革むる勿かれ。皇帝躬ら聖にして、既に天下を平らげ、治に懈らず。夙に興き夜に寐ね、長利を建設し、専ら教誨を隆くす。訓経宣達し、遠近畢く理まり、咸聖志を承く。貴賤分明にして、男女礼順し、慎みて職事に遵ふ。内外を昭隔し、清浄ならざる靡く、後嗣に施す。化は無窮に及び、遺詔を遵奉し、永く重戒を承けよ。是に於て乃ち勃海に并ひて以東し、黄・腄を過ぎ、成山を窮め、之罘に登り、石を立てて秦の徳を頌して去る。南のかた瑯邪に登り、大いに之を楽しみ、留まること三月。乃ち黔首三万戸を瑯邪台の下に徙し、復すること十二歳。瑯邪台を作り、石刻を立て、秦の徳を頌し、意を得たるを明らかにす。
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史記 秦始皇本紀曰く、「古の帝者は、地千里に過ぎず、諸侯各其の封域を守り、或いは朝し或いは否ず、相侵して暴乱し、残伐止まず。猶ほ金石に刻して、以て自ら紀と為す。古の五帝三王は、知教同じからず、法度明らかならず、威を鬼神に仮りて、以て遠方を欺く。実名に称はず、故に久長ならず。其の身未だ歿せずして、諸侯倍叛し、法令行はれず。今皇帝海内を并一し、以て郡県と為し、天下和平なり。宗廟を昭明にし、道を体し徳を行ひ、尊号大いに成る。群臣相与に皇帝の功徳を誦し、金石に刻して、以て表経と為す」と。既に已はり、斉人徐巿等上書して言ふ、海中に三神山有り、名を蓬萊・方丈・瀛洲と曰ふ、僊人之に居る。請ふ斎戒して、童男女と之を求むることを得んと。是に於て徐巿を遣はして童男女数千人を発し、海に入りて僊人を求めしむ。始皇還り、彭城を過ぎ、斎戒禱祠して、周の鼎を泗水より出ださんと欲す。千人をして水に没して之を求めしむるも、得ず。乃ち西南のかた淮水を渡り、衡山・南郡に之く。江に浮かび、湘山祠に至る。大風に逢ひ、幾ど渡るを得ず。上博士に問ひて曰く、「湘君は何の神ぞ」と。博士対へて曰く、「之を聞く、堯の女、舜の妻にして、此に葬ると」と。是に於て始皇大いに怒り、刑徒三千人をして皆湘山の樹を伐り、其の山を赭くせしむ。上南郡より武関に由りて帰る。二十九年、始皇東游す。陽武の博狼沙中に至り、盗の驚かす所と為る。求むるも得ず、乃ち天下に令して大いに索むること十日。之罘に登り、石に刻す。其の辞に曰く、維れ二十九年、時は中春に在り、陽和方に起こる。皇帝東游し、巡りて之罘に登り、海に臨照す。従臣嘉観し、休烈を原念し、本始を追誦す。大聖治を作し、法度を建定し、綱紀を顕著す。外は諸侯を教へ、光かに文恵を施し、明らかにするに義理を以てす。六国回辟にして、貪戻厭く無く、虐殺已まず。皇帝衆を哀れみ、遂に討師を発し、武徳を奮揚す。
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史記 秦始皇本紀趙王其の相李牧をして来たりて盟を約せしむ。故に其の質子を帰す。已にして盟に倍き、我が太原に反く。故に兵を興して之を誅し、其の王を得たり。趙の公子嘉乃ち自立して代王と為る。故に兵を挙げて撃ちて之を滅ぼす。魏王始め服を約して秦に入る。已にして韓・趙と謀りて秦を襲ふ。秦の兵吏誅し、遂に之を破る。荊王青陽以西を献じ、已にして約に畔き、我が南郡を撃つ。故に兵を発して誅し、其の王を得て、遂に其の荊の地を定む。燕王昏乱し、其の太子丹乃ち陰かに荊軻をして賊を為さしむ。兵吏誅し、其の国を滅ぼす。斉王后勝の計を用ゐ、秦の使を絶ち、乱を為さんと欲す。兵吏誅し、其の王を虜にし、斉の地を平らぐ。寡人眇眇の身を以て、兵を興して暴乱を誅し、宗廟の霊に頼り、六王咸其の辜に伏し、天下大いに定まる。今名号更めずんば、以て成功を称し、後世に伝ふる無し。其れ帝号を議せよ」と。丞相綰・御史大夫劫・廷尉斯等皆曰く、「昔者五帝は地方千里、其の外の侯服・夷服の諸侯或いは朝し或いは否ず、天子制する能はず。今陛下義兵を興し、残賊を誅し、天下を平定し、海内を郡県と為し、法令一統に由る。上古より以来未だ嘗て有らず、五帝の及ばざる所なり。臣等謹んで博士と議して曰く、『古に天皇有り、地皇有り、泰皇有り、泰皇最も貴し』と。臣等昧死して尊号を上り、王を『泰皇』と為さん。命を『制』と為し、令を『詔』と為し、天子自ら称して『朕』と曰はん」と。王曰く、「『泰』を去りて、『皇』を著け、上古の『帝』の位号を采り、号して『皇帝』と曰はん。他は議の如くせよ」と。制して曰く、「可なり」と。荘襄王を追尊して太上皇と為す。制して曰く、「朕聞く、太古は号有りて謚毋く、中古は号有り、死して行ひを以て謚を為すと。此の如くんば、則ち子父を議し、臣君を議するなり。甚だ謂れ無し。朕取らず。今より已来、謚法を除く。朕を始皇帝と為す。後世は計数を以てし、二世三世より万世に至るまで、之を無窮に伝へん」と。
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史記 秦始皇本紀始皇終始五徳の伝を推し、以為へらく周は火徳を得たり、秦周の徳に代はる、勝たざる所に従ふと。方今水徳の始めなり。年始を改め、朝賀は皆十月朔よりす。衣服・旄旌・節旗は皆黒を上ぶ。数は六を以て紀と為し、符・法冠は皆六寸、而して輿は六尺、六尺を歩と為し、六馬に乗る。河を更名して徳水と曰ひ、以て水徳の始めと為す。剛毅戾深にして、事は皆法に決し、刻削して仁恩和義毋く、然る後に五徳の数に合ふ。是に於て法を急にし、久しき者も赦さず。丞相綰等言ふ、「諸侯初めて破れ、燕・斉・荊の地遠く、為に王を置かずんば、以て之を填むる毋し。請ふ諸子を立てんことを、唯だ上幸ひに許せ」と。始皇其の議を群臣に下す。群臣皆以て便と為す。廷尉李斯議して曰く、「周の文武の封ずる所の子弟同姓甚だ衆し。然る後に属疏遠となり、相攻撃すること仇讎の如く、諸侯更相誅伐し、周の天子禁止する能はず。今海内陛下の神霊に頼りて一統し、皆郡県と為る。諸子功臣は公の賦税を以て重く之を賞賜せば、甚だ足りて制し易し。天下に異意無きは、則ち安寧の術なり。諸侯を置くは便ならず」と。始皇曰く、「天下共に戦闘の休まざるに苦しむは、侯王有るを以てなり。宗廟に頼り、天下初めて定まる。又復た国を立つるは、是れ兵を樹つるなり。而して其の寧息を求むるは、豈に難からずや。廷尉の議是なり」と。天下を分かちて以て三十六郡と為し、郡に守・尉・監を置く。民を更名して「黔首」と曰ふ。大いに酺す。天下の兵を収め、之を咸陽に聚め、銷して以て鐘鐻・金人十二と為す。重さ各千石、廷宮の中に置く。法度・衡石・丈尺を一にす。車は軌を同じくす。書は文字を同じくす。地は東は海に至りて朝鮮に暨び、西は臨洮・羌中に至り、南は北向戸に至り、北は河に拠りて塞と為し、陰山に并ひて遼東に至る。天下の豪富を咸陽に徙すこと十二万戸。諸廟及び章台・上林は皆渭南に在り。
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史記 秦始皇本紀御府をして璧を視しむるに、乃ち二十八年に行きて江を渡りしときに沈めし所の璧なり。是に於て始皇之を卜するに、卦游徙に吉なるを得たり。北河・楡中に三万家を遷す。爵一級を拝す。三十七年十月癸丑、始皇出游す。左丞相斯従ひ、右丞相去疾守る。少子胡亥愛慕して従はんことを請ひ、上之を許す。十一月、行きて雲夢に至り、虞舜を九疑山に望祀す。江に浮かびて下り、籍柯を観、海渚を渡る。丹陽を過ぎ、銭唐に至る。浙江に臨むに、水波悪し。乃ち西のかた百二十里、狭中より渡る。会稽に上り、大禹を祭り、南海を望み、而して石を立てて秦の徳を刻頌す。其の文に曰く、皇帝の休烈、宇内を平一し、徳恵修長なり。三十有七年、親しく天下を巡り、周く遠方を覧る。遂に会稽に登り、習俗を宣省し、黔首斎荘す。群臣功を誦し、事跡を本原し、高明を追首す。秦の聖国に臨み、始めて刑名を定め、旧章を顕陳す。初めて法式を平らかにし、職任を審別し、以て恒常を立つ。六王専倍し、貪戻傲猛にして、衆を率ゐて自ら彊しとす。暴虐恣に行ひ、力を負みて驕り、数甲兵を動かす。陰かに間使を通じ、以て合従を事とし、行ひは辟方を為す。内は詐謀を飾り、外は来たりて辺を侵し、遂に禍殃を起こす。義威もて之を誅し、暴悖を殄熄し、乱賊滅亡す。聖徳広密にして、六合の中、沢を被ること疆り無し。皇帝宇を并せ、兼ねて万事を聴き、遠近畢く清し。群物を運理し、事実を考験し、各其の名を載す。貴賤并び通じ、善否前に陳なり、隠情有る靡し。飾省して義を宣べ、子有りて嫁するは、死に倍きて貞ならず。内外を防隔し、淫泆を禁止し、男女絜誠なり。夫の寄豭を為すは、之を殺すも罪無く、男は義程を秉る。妻の逃嫁を為すは、子母を得ず、咸廉清に化す。大いに治めて俗を濯ひ、天下風を承け、休経を蒙被す。皆度軌に遵ひ、和安敦勉にして、令に順はざる莫し。
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