呂氏春秋 / 不二
──聽群眾議以治國,國危無日矣。何以知其然也?老耽貴柔,孔子貴仁,墨翟貴廉,關尹貴清,子列子貴虛,陳駢貴齊,陽生貴己,孫臏貴勢,王廖貴先,兒良貴後。有金鼓所以一耳也;同法令所以一心也;智者不得巧,愚者不得拙,所以一眾也;勇者不得先,懼者不得後,所以一力也。故一則治,異則亂;一則安,異則危。夫能齊萬不同,愚智工拙,皆盡力竭能,如出乎一穴者,其唯聖人矣乎!無術之智,不教之能,而恃彊速貫習,不足以成也。
新字:──聴群衆議以治国,国危無日矣。何以知其然也?老耽貴柔,孔子貴仁,墨翟貴廉,関尹貴清,子列子貴虚,陳駢貴斉,陽生貴己,孫臏貴勢,王廖貴先,児良貴後。有金鼓所以一耳也;同法令所以一心也;智者不得巧,愚者不得拙,所以一衆也;勇者不得先,懼者不得後,所以一力也。故一則治,異則乱;一則安,異則危。夫能斉万不同,愚智工拙,皆尽力竭能,如出乎一穴者,其唯聖人矣乎!無術之智,不教之能,而恃彊速貫習,不足以成也。
書き下し
群衆人の議を聽きて以て國を治むれば、國危きこと日無からん。何を以て其の然るを知る。老耽は柔を貴び、孔子は仁を貴び、墨翟は廉を貴び、關尹は清を貴び、子列子は虚を貴び、陳駢は齊を貴び、陽生は己を貴び、孫臏は勢を貴び、王廖は先を貴び、兒良は後を貴ぶ。此の十人の者は皆天下の豪士なり。金鼓あるは耳を一にする所以なり。必ず法令を同じくするは心を一にする所以なり。智者も巧なるを得ず、愚者も拙なることを得ざるは、衆を一にする所以なり。勇者も先んずることを得ず、懼者も後るることを得ざるは、力を一にする所以なり。故に一なれば則ち治まり、異なれば則ち亂れ、一なれば則ち安く、異なれば則危し。夫れ能く萬の同じからざるを齊しくし、愚智工拙、皆力を盡くし能を竭くし、一穴より出づるが如き者は、其れ唯だ聖人のみか。無術の智、不教の能にして、彊速貫習を恃むは、以て成すに足らざるなり。
現代語訳
大勢の人々の議論をあれこれ聴き入れて国を治めれば、国が危うくなるのは時を待たない。どうしてそう言えるのか。老耽すなわち老子は柔を尊び、孔子は仁を尊び、墨翟は倹約を尊び、関尹は清らかさを尊び、子列子は虚を尊び、陳駢は斉一を尊び、陽生すなわち楊朱は自己を尊び、孫臏は勢いを尊び、王廖は先手を尊び、兒良は後手を尊んだ。この十人はみな天下のすぐれた士である。だがそれぞれ主張が違う。鉦と太鼓は、兵の耳を一つにまとめる手立てである。必ず法令を同一にするのは、心を一つにまとめる手立てである。賢い者も余計に器用にふるまえず、愚かな者も不器用でいられないのは、大衆を一つにまとめる手立てである。勇者も先走ることができず、臆病者も後れることができないのは、力を一つにまとめる手立てである。だから、統一されていれば治まり、まちまちであれば乱れ、統一されていれば安らかで、まちまちであれば危うい。よく万人のまちまちなありようを一つにそろえ、愚も賢も器用も不器用もみな力を尽くし能を出しきって、一つの穴から出てくるようにさせられる者は、ただ聖人だけであろうか。統治の術のない知恵、教えによらぬ能力で、ただ速さや慣れだけを頼みにするのでは、成し遂げるには足りないのである。
解説
この章句が説くこと
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史記 秦本紀荘襄王の元年、大いに罪人を赦し、先王の功臣を修め、徳を施し骨肉を厚くして恵を民に布く。東周の君諸侯と秦を謀る。秦相国呂不韋をして之を誅せしめ、尽く其の国を入る。秦其の祀を絶たず、陽人の地を以て周の君に賜ひ、其の祭祀を奉ぜしむ。蒙驁をして韓を伐たしむ。韓成皋・鞏を献ず。秦の界大梁に至り、初めて三川郡を置く。二年、蒙驁をして趙を攻めしめ、太原を定む。三年、蒙驁魏の高都・汲を攻め、之を抜く。趙の楡次・新城・狼孟を攻め、三十七城を取る。四月日食す。王齕上党を攻む。初めて太原郡を置く。魏の将無忌五国の兵を率ゐて秦を撃ち、秦河外に却く。蒙驁敗れ、解きて去る。五月丙午、荘襄王卒し、子政立つ。是を秦の始皇帝と為す。秦王政立ちて二十六年、初めて天下を并せて三十六郡と為し、号して始皇帝と為す。始皇帝立ちて十一年にして崩じ、子胡亥立つ。是を二世皇帝と為す。三年、諸侯并び起こりて秦に叛き、趙高二世を殺し、子嬰を立つ。子嬰立ちて月余にして、諸侯之を誅し、遂に秦を滅ぼす。其の語は始皇本紀の中に在り。太史公曰く、秦の先は嬴姓為り。其の後分封せられ、国を以て姓と為す。徐氏・郯氏・莒氏・終黎氏・運奄氏・菟裘氏・将梁氏・黄氏・江氏・修魚氏・白冥氏・蜚廉氏・秦氏有り。然れども秦は其の先の造父の趙城に封ぜらるるを以て、趙氏と為る。
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『呻吟語』外篇・治道・道德一にして風俗同じ聖主上に在れば、只だ一種の天理・民彝・經常の道を留め得て在り。其の餘の小道・曲說・異端・橫議は斬然として芟除し、餘類を遺さず。天下の人をして耳を易へ目を改め、心を洗ひ慮りを濯ぎ、一切亂政の術に於て、再生の如く、夢覺の如く、未だ嘗て見聞せざるが若くならしむ。然る後に道德一にして風俗同じく、然る後に純王の治と為る。
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史記 秦始皇本紀始皇終始五徳の伝を推し、以為へらく周は火徳を得たり、秦周の徳に代はる、勝たざる所に従ふと。方今水徳の始めなり。年始を改め、朝賀は皆十月朔よりす。衣服・旄旌・節旗は皆黒を上ぶ。数は六を以て紀と為し、符・法冠は皆六寸、而して輿は六尺、六尺を歩と為し、六馬に乗る。河を更名して徳水と曰ひ、以て水徳の始めと為す。剛毅戾深にして、事は皆法に決し、刻削して仁恩和義毋く、然る後に五徳の数に合ふ。是に於て法を急にし、久しき者も赦さず。丞相綰等言ふ、「諸侯初めて破れ、燕・斉・荊の地遠く、為に王を置かずんば、以て之を填むる毋し。請ふ諸子を立てんことを、唯だ上幸ひに許せ」と。始皇其の議を群臣に下す。群臣皆以て便と為す。廷尉李斯議して曰く、「周の文武の封ずる所の子弟同姓甚だ衆し。然る後に属疏遠となり、相攻撃すること仇讎の如く、諸侯更相誅伐し、周の天子禁止する能はず。今海内陛下の神霊に頼りて一統し、皆郡県と為る。諸子功臣は公の賦税を以て重く之を賞賜せば、甚だ足りて制し易し。天下に異意無きは、則ち安寧の術なり。諸侯を置くは便ならず」と。始皇曰く、「天下共に戦闘の休まざるに苦しむは、侯王有るを以てなり。宗廟に頼り、天下初めて定まる。又復た国を立つるは、是れ兵を樹つるなり。而して其の寧息を求むるは、豈に難からずや。廷尉の議是なり」と。天下を分かちて以て三十六郡と為し、郡に守・尉・監を置く。民を更名して「黔首」と曰ふ。大いに酺す。天下の兵を収め、之を咸陽に聚め、銷して以て鐘鐻・金人十二と為す。重さ各千石、廷宮の中に置く。法度・衡石・丈尺を一にす。車は軌を同じくす。書は文字を同じくす。地は東は海に至りて朝鮮に暨び、西は臨洮・羌中に至り、南は北向戸に至り、北は河に拠りて塞と為し、陰山に并ひて遼東に至る。天下の豪富を咸陽に徙すこと十二万戸。諸廟及び章台・上林は皆渭南に在り。
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『論語と算盤』実業と士道・文明人の貪戻吾人はすべからく進んで支那の富源を開発し、その産業を進め、その販路を拡めて、通商上の利益を増加するように心掛けねばならぬ。我が国民の今日まで支那に対する商工業経営の態度を見るに、とかく個々別々であって、その間に少しも聯絡がない。ドイツの政治経済機関が統一して密接な関係を保っているのを見るにつけても、我が国民がこの歴史的においても、はたまた人種的においても、幾多の便宜を有する国柄なるにかかわらず、彼らの後えに瞠若たるようではならぬ。そしてこの覚悟は特に我が青年に対して最も望ましき所である。どうか今日の青年諸氏はかかる所に注目して力を入れてもらいたいのである。
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