史記 / 秦始皇本紀
趙王使其相李牧來約盟,故歸其質子。已而倍盟,反我太原,故興兵誅之,得其王。趙公子嘉乃自立為代王,故舉兵擊滅之。魏王始約服入秦,已而與韓、趙謀襲秦,秦兵吏誅,遂破之。荊王獻青陽以西,已而畔約,擊我南郡,故發兵誅,得其王,遂定其荊地。燕王昏亂,其太子丹乃陰令荊軻為賊,兵吏誅,滅其國。齊王用后勝計,絕秦使,欲為亂,兵吏誅,虜其王,平齊地。寡人以眇眇之身,興兵誅暴亂,賴宗廟之靈,六王咸伏其辜,天下大定。今名號不更,無以稱成功,傳後世。其議帝號。」丞相綰、御史大夫劫、廷尉斯等皆曰:「昔者五帝地方千里,其外侯服夷服諸侯或朝或否,天子不能制。今陛下興義兵,誅殘賊,平定天下,海內為郡縣,法令由一統,自上古以來未嘗有,五帝所不及。臣等謹與博士議曰:『古有天皇,有地皇,有泰皇,泰皇最貴。』臣等昧死上尊號,王為『泰皇』。命為『制』,令為『詔』,天子自稱曰『朕』。」王曰:「去『泰』,著『皇』,采上古『帝』位號,號曰『皇帝』;他如議。」制曰:「可。」追尊莊襄王為太上皇。制曰:「朕聞太古有號毋謚,中古有號,死而以行為謐。如此,則子議父,臣議君也,甚無謂,朕弗取焉。自今已來,除謚法。朕為始皇帝。後世以計數,二世三世至于萬世,傳之無窮。」
新字:趙王使其相李牧来約盟,故帰其質子。已而倍盟,反我太原,故興兵誅之,得其王。趙公子嘉乃自立為代王,故舉兵撃滅之。魏王始約服入秦,已而与韓、趙謀襲秦,秦兵吏誅,遂破之。荊王献青陽以西,已而畔約,撃我南郡,故発兵誅,得其王,遂定其荊地。燕王昏乱,其太子丹乃陰令荊軻為賊,兵吏誅,滅其国。斉王用后勝計,絶秦使,欲為乱,兵吏誅,虜其王,平斉地。寡人以眇眇之身,興兵誅暴乱,頼宗廟之霊,六王咸伏其辜,天下大定。今名号不更,無以称成功,伝後世。其議帝号。」丞相綰、御史大夫劫、廷尉斯等皆曰:「昔者五帝地方千里,其外侯服夷服諸侯或朝或否,天子不能制。今陛下興義兵,誅残賊,平定天下,海内為郡県,法令由一統,自上古以来未嘗有,五帝所不及。臣等謹与博士議曰:『古有天皇,有地皇,有泰皇,泰皇最貴。』臣等昧死上尊号,王為『泰皇』。命為『制』,令為『詔』,天子自称曰『朕』。」王曰:「去『泰』,著『皇』,采上古『帝』位号,号曰『皇帝』;他如議。」制曰:「可。」追尊荘襄王為太上皇。制曰:「朕聞太古有号毋謚,中古有号,死而以行為謐。如此,則子議父,臣議君也,甚無謂,朕弗取焉。自今已来,除謚法。朕為始皇帝。後世以計数,二世三世至于万世,伝之無窮。」
書き下し
趙王其の相李牧をして来たりて盟を約せしむ。故に其の質子を帰す。已にして盟に倍き、我が太原に反く。故に兵を興して之を誅し、其の王を得たり。趙の公子嘉乃ち自立して代王と為る。故に兵を挙げて撃ちて之を滅ぼす。魏王始め服を約して秦に入る。已にして韓・趙と謀りて秦を襲ふ。秦の兵吏誅し、遂に之を破る。荊王青陽以西を献じ、已にして約に畔き、我が南郡を撃つ。故に兵を発して誅し、其の王を得て、遂に其の荊の地を定む。燕王昏乱し、其の太子丹乃ち陰かに荊軻をして賊を為さしむ。兵吏誅し、其の国を滅ぼす。斉王后勝の計を用ゐ、秦の使を絶ち、乱を為さんと欲す。兵吏誅し、其の王を虜にし、斉の地を平らぐ。寡人眇眇の身を以て、兵を興して暴乱を誅し、宗廟の霊に頼り、六王咸其の辜に伏し、天下大いに定まる。今名号更めずんば、以て成功を称し、後世に伝ふる無し。其れ帝号を議せよ」と。丞相綰・御史大夫劫・廷尉斯等皆曰く、「昔者五帝は地方千里、其の外の侯服・夷服の諸侯或いは朝し或いは否ず、天子制する能はず。今陛下義兵を興し、残賊を誅し、天下を平定し、海内を郡県と為し、法令一統に由る。上古より以来未だ嘗て有らず、五帝の及ばざる所なり。臣等謹んで博士と議して曰く、『古に天皇有り、地皇有り、泰皇有り、泰皇最も貴し』と。臣等昧死して尊号を上り、王を『泰皇』と為さん。命を『制』と為し、令を『詔』と為し、天子自ら称して『朕』と曰はん」と。王曰く、「『泰』を去りて、『皇』を著け、上古の『帝』の位号を采り、号して『皇帝』と曰はん。他は議の如くせよ」と。制して曰く、「可なり」と。荘襄王を追尊して太上皇と為す。制して曰く、「朕聞く、太古は号有りて謚毋く、中古は号有り、死して行ひを以て謚を為すと。此の如くんば、則ち子父を議し、臣君を議するなり。甚だ謂れ無し。朕取らず。今より已来、謚法を除く。朕を始皇帝と為す。後世は計数を以てし、二世三世より万世に至るまで、之を無窮に伝へん」と。
現代語訳
趙王はその宰相の李牧を遣わして盟約を結びに来たので、趙の人質を帰した。ところがその後、盟約に背いて我が太原で反乱を起こした。そこで兵を起こしてこれを討ち、趙王を捕らえた。趙の公子嘉が自ら代王を名乗ったので、兵を挙げて攻め滅ぼした。魏王ははじめ服従を約束して秦に入朝したが、その後、韓・趙と謀って秦を襲おうとした。秦の軍がこれを討ち、ついに破った。荊(楚)王は青陽から西の地を献上したが、その後、約束に背いて我が南郡を攻めた。そこで兵を出して討ち、その王を捕らえ、ついに荊の地を平定した。燕王は愚かで乱れ、その太子丹はひそかに荊軻に暗殺を企てさせた。秦の軍がこれを討ち、その国を滅ぼした。斉王は后勝の計略を用いて秦の使者を拒み、乱を起こそうとした。秦の軍がこれを討ち、その王を捕らえ、斉の地を平定した。私はとるに足らない身でありながら、兵を起こして暴乱を討ち、宗廟の祖先の霊に助けられて、六国の王はみなその罪に服し、天下は大いに定まった。今、称号を改めなければ、この成功をたたえ、後世に伝えることができない。帝号について議論せよ。」丞相の王綰、御史大夫の馮劫、廷尉の李斯らはみな言った。「昔の五帝は領地が四方千里にすぎず、その外の侯服・夷服の諸侯は朝見したりしなかったりで、天子もこれを制御できなかった。今、陛下は正義の兵を起こして残虐な賊を討ち、天下を平定し、天下を郡県とし、法令は一つの系統から出ている。これは上古以来いまだかつてなかったことで、五帝も及ばないところである。私どもは謹んで博士たちと議論して、こう申し上げる。『古には天皇・地皇・泰皇があり、泰皇が最も尊い』と。私どもは死を覚悟して尊号を奉り、王を『泰皇』と称したい。王の命令を『制』、布告を『詔』とし、天子は自らを『朕』と称することにしたい。」王は言った。「『泰』の字を除いて『皇』を残し、上古の『帝』の称号を取り入れ、『皇帝』と号することにする。その他は議論のとおりにせよ。」そして制して言った。「よし。」荘襄王を追尊して太上皇とした。さらに制して言った。「私の聞くところでは、太古には称号はあっても諡(死後に贈る名)はなく、中古には称号があり、死後にその行いに基づいて諡を定めた。これでは子が父を論評し、臣下が君主を論評することになる。まことに理屈に合わない。私はこれを採らない。今後、諡の制度を廃止する。私を始皇帝とする。後世は数を数えて、二世・三世から万世に至るまで、これを永遠に伝えるのだ。」
解説
関連する章句
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史記 秦本紀荘襄王の元年、大いに罪人を赦し、先王の功臣を修め、徳を施し骨肉を厚くして恵を民に布く。東周の君諸侯と秦を謀る。秦相国呂不韋をして之を誅せしめ、尽く其の国を入る。秦其の祀を絶たず、陽人の地を以て周の君に賜ひ、其の祭祀を奉ぜしむ。蒙驁をして韓を伐たしむ。韓成皋・鞏を献ず。秦の界大梁に至り、初めて三川郡を置く。二年、蒙驁をして趙を攻めしめ、太原を定む。三年、蒙驁魏の高都・汲を攻め、之を抜く。趙の楡次・新城・狼孟を攻め、三十七城を取る。四月日食す。王齕上党を攻む。初めて太原郡を置く。魏の将無忌五国の兵を率ゐて秦を撃ち、秦河外に却く。蒙驁敗れ、解きて去る。五月丙午、荘襄王卒し、子政立つ。是を秦の始皇帝と為す。秦王政立ちて二十六年、初めて天下を并せて三十六郡と為し、号して始皇帝と為す。始皇帝立ちて十一年にして崩じ、子胡亥立つ。是を二世皇帝と為す。三年、諸侯并び起こりて秦に叛き、趙高二世を殺し、子嬰を立つ。子嬰立ちて月余にして、諸侯之を誅し、遂に秦を滅ぼす。其の語は始皇本紀の中に在り。太史公曰く、秦の先は嬴姓為り。其の後分封せられ、国を以て姓と為す。徐氏・郯氏・莒氏・終黎氏・運奄氏・菟裘氏・将梁氏・黄氏・江氏・修魚氏・白冥氏・蜚廉氏・秦氏有り。然れども秦は其の先の造父の趙城に封ぜらるるを以て、趙氏と為る。
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史記 秦始皇本紀始皇終始五徳の伝を推し、以為へらく周は火徳を得たり、秦周の徳に代はる、勝たざる所に従ふと。方今水徳の始めなり。年始を改め、朝賀は皆十月朔よりす。衣服・旄旌・節旗は皆黒を上ぶ。数は六を以て紀と為し、符・法冠は皆六寸、而して輿は六尺、六尺を歩と為し、六馬に乗る。河を更名して徳水と曰ひ、以て水徳の始めと為す。剛毅戾深にして、事は皆法に決し、刻削して仁恩和義毋く、然る後に五徳の数に合ふ。是に於て法を急にし、久しき者も赦さず。丞相綰等言ふ、「諸侯初めて破れ、燕・斉・荊の地遠く、為に王を置かずんば、以て之を填むる毋し。請ふ諸子を立てんことを、唯だ上幸ひに許せ」と。始皇其の議を群臣に下す。群臣皆以て便と為す。廷尉李斯議して曰く、「周の文武の封ずる所の子弟同姓甚だ衆し。然る後に属疏遠となり、相攻撃すること仇讎の如く、諸侯更相誅伐し、周の天子禁止する能はず。今海内陛下の神霊に頼りて一統し、皆郡県と為る。諸子功臣は公の賦税を以て重く之を賞賜せば、甚だ足りて制し易し。天下に異意無きは、則ち安寧の術なり。諸侯を置くは便ならず」と。始皇曰く、「天下共に戦闘の休まざるに苦しむは、侯王有るを以てなり。宗廟に頼り、天下初めて定まる。又復た国を立つるは、是れ兵を樹つるなり。而して其の寧息を求むるは、豈に難からずや。廷尉の議是なり」と。天下を分かちて以て三十六郡と為し、郡に守・尉・監を置く。民を更名して「黔首」と曰ふ。大いに酺す。天下の兵を収め、之を咸陽に聚め、銷して以て鐘鐻・金人十二と為す。重さ各千石、廷宮の中に置く。法度・衡石・丈尺を一にす。車は軌を同じくす。書は文字を同じくす。地は東は海に至りて朝鮮に暨び、西は臨洮・羌中に至り、南は北向戸に至り、北は河に拠りて塞と為し、陰山に并ひて遼東に至る。天下の豪富を咸陽に徙すこと十二万戸。諸廟及び章台・上林は皆渭南に在り。
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史記 秦始皇本紀曰く、維れ二十八年、皇帝作始す。法度を端平にし、万物の紀なり。以て人事を明らかにし、父子を合同す。聖智仁義、道理を顕白す。東のかた東土を撫し、以て卒士を省る。事已に大いに畢はり、乃ち海に臨む。皇帝の功、本事を勧労す。農を上び末を除き、黔首是れ富む。普天の下、心を摶め志を揖む。器械量を一にし、書文字を同じくす。日月の照らす所、舟輿の載する所、皆其の命を終へ、意を得ざる莫し。時に応じて事を動かす、是れ維れ皇帝。異俗を匡飭し、水を陵え地を経る。黔首を憂恤し、朝夕懈らず。疑ひを除き法を定め、咸辟くる所を知る。方伯職を分かち、諸治経易なり。挙錯必ず当たり、画くが如くならざる莫し。皇帝の明、四方を臨察す。尊卑貴賤、次行を踰えず。姦邪容れず、皆貞良を務む。細大力を尽くし、敢へて怠荒する莫し。遠邇辟隠、専ら粛荘を務む。端直敦忠、事業常有り。皇帝の徳、四極を存定す。乱を誅し害を除き、利を興し福を致す。事を節するに時を以てし、諸産繁殖す。黔首安寧にして、兵革を用ゐず。六親相保ち、終に寇賊無し。驩欣して教へを奉じ、尽く法式を知る。六合の内は、皇帝の土。西は流沙を渉り、南は北戸を尽くす。東は東海を有ち、北は大夏を過ぐ。人跡の至る所、臣たらざる者無し。功は五帝を蓋ひ、沢は牛馬に及ぶ。徳を受けざる莫く、各其の宇に安んず。維れ秦王天下を兼有し、名を立てて皇帝と為し、乃ち東土を撫し、瑯邪に至る。列侯武城侯王離・列侯通武侯王賁・倫侯建成侯趙亥・倫侯昌武侯成・倫侯武信侯馮毋択・丞相隗林・丞相王綰・卿李斯・卿王戊・五大夫趙嬰・五大夫楊樛従ひ、与に海上に議す。
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史記 秦始皇本紀秦王還り、太原・上郡より帰る。始皇帝の母太后崩ず。趙の公子嘉其の宗数百人を率ゐて代に之き、自ら立ちて代王と為り、東のかた燕と兵を合せ、上谷に軍す。大いに饑う。二十年、燕の太子丹秦の兵の国に至らんことを患ひ、恐れて、荊軻をして秦王を刺さしむ。秦王之を覚り、軻を体解して以て徇へ、而して王翦・辛勝をして燕を攻めしむ。燕・代兵を発して秦の軍を撃つ。秦の軍燕を易水の西に破る。二十一年、王賁荊を攻む。乃ち益卒を発して王翦の軍に詣らしめ、遂に燕の太子の軍を破り、燕の薊城を取り、太子丹の首を得たり。燕王東のかた遼東を収めて之に王たり。王翦病と謝して老いて帰る。新鄭反く。昌平君郢に徙る。大いに雪雨ふり、深さ二尺五寸。二十二年、王賁魏を攻め、河溝を引きて大梁に灌ぐ。大梁の城壊れ、其の王降らんことを請ふ。尽く其の地を取る。二十三年、秦王復た王翦を召し、彊ひて之を起こし、将として荊を撃たしむ。陳以南を取りて平輿に至り、荊王を虜にす。秦王游びて郢陳に至る。荊の将項燕昌平君を立てて荊王と為し、秦に淮南に反く。二十四年、王翦・蒙武荊を攻め、荊の軍を破る。昌平君死し、項燕遂に自殺す。二十五年、大いに兵を興し、王賁をして将たらしめ、燕の遼東を攻め、燕王喜を得たり。還りて代を攻め、代王嘉を虜にす。王翦遂に荊の江南の地を定め、越君を降し、会稽郡を置く。五月、天下大いに酺す。二十六年、斉王建其の相后勝と兵を発して其の西界を守り、秦に通ぜず。秦将軍王賁をして燕より南して斉を攻めしめ、斉王建を得たり。秦王初めて天下を并せ、丞相・御史に令して曰く、「異日韓王地を納れ璽を効し、藩臣と為らんことを請ふ。已にして約に倍き、趙・魏と合従して秦に畔く。故に兵を興して之を誅し、其の王を虜にす。寡人以為へらく善し、庶幾はくは兵革を息めんと。
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史記 秦始皇本紀秦の始皇帝は、秦の荘襄王の子なり。荘襄王秦の為に趙に質子たりしとき、呂不韋の姫を見、悦びて之を取り、始皇を生む。秦の昭王の四十八年正月を以て邯鄲に生まる。生まるるに及び、名づけて政と為し、姓は趙氏なり。年十三歳にして、荘襄王死し、政代はりて立ちて秦王と為る。是の時に当たり、秦の地已に巴・蜀・漢中を并せ、宛を越えて郢を有ち、南郡を置けり。北は上郡以東を収め、河東・太原・上党郡を有つ。東は滎陽に至り、二周を滅ぼし、三川郡を置く。呂不韋相と為り、十万戸に封ぜられ、号して文信侯と曰ふ。賓客游士を招致し、以て天下を并せんと欲す。李斯舎人と為る。蒙驁・王齮・麃公等将軍と為る。王年少く、初めて位に即き、国事を大臣に委ぬ。晋陽反く。将軍蒙驁撃ちて之を定む。二年、麃公卒を将ゐて卷を攻め、首を斬ること三万。三年、蒙驁韓を攻め、十三城を取る。王齮死す。十月、将軍蒙驁魏氏の暢・有詭を攻む。歳大いに饑う。四年、暢・有詭を抜く。三月、軍罷む。秦の質子趙より帰り、趙の太子出でて国に帰る。十月庚寅、蝗蟲東方より来たり、天を蔽ふ。天下疫す。百姓粟千石を内るれば、爵一級を拝す。五年、将軍驁魏を攻め、酸棗・燕・虚・長平・雍丘・山陽城を定め、皆之を抜き、二十城を取る。初めて東郡を置く。冬雷あり。六年、韓・魏・趙・衛・楚共に秦を撃ち、寿陵を取る。秦兵を出だし、五国の兵罷む。衛を抜き、東郡に迫る。其の君角其の支属を率ゐて徙りて野王に居り、其の山を阻みて以て魏の河内を保つ。七年、彗星先づ東方に出で、北方に見え、五月西方に見る。将軍驁死す。以て龍・孤・慶都を攻め、還りて兵もて汲を攻む。彗星復た西方に見ゆること十六日。夏太后死す。
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