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近思録 / 巻10 政事

師之九二、爲師之主。將專則失爲下之道。不專則無成功之理。故得中爲吉。凡師之道、威和並至、則吉也。世儒有論魯祀周公以天子禮樂、以爲周公能爲人臣不能爲之功、則可用人臣不得用之禮樂、是不知人臣之道也。夫居周公之位、則爲周公之事。由其位而能爲者、皆所當爲也。周公乃盡其職耳。大有之九三曰:「公用享於天子、小人弗克。」傳曰:三當大有之時、居諸侯之位、有其富盛、必用享通於天子。謂以其有爲天子之有也。乃人臣之常義也。若小人處之、則專其富有以爲私。不知公己奉上之道。故曰「小人弗克」也。人心所從、多所親愛者也。常人之情、愛之則見其是、惡之則見其非。故妻孥之言、雖失而多從。所憎之言、雖善爲惡也。苟以親愛而隨之、則是私情所與、豈合正理?故隨之初九、「出門而交、則有功」也。隨九五之象曰:「孚於嘉吉、位正中也。」傳曰:隨以得中爲善。隨之所防者、過也。蓋心所說隨、則不知其過矣。坎之六四曰:「樽酒簋貳用缶、納約自牖、終無咎。」傳曰:此言人臣以忠信善道、結於君心、必自其所明處乃能入也。人心有所蔽、有所通。通者明處也。當就其明處而告之。求信則易也。故曰:「納約自牖。」

新字:師之九二、為師之主。将専則失為下之道。不専則無成功之理。故得中為吉。凡師之道、威和並至、則吉也。世儒有論魯祀周公以天子礼楽、以為周公能為人臣不能為之功、則可用人臣不得用之礼楽、是不知人臣之道也。夫居周公之位、則為周公之事。由其位而能為者、皆所当為也。周公乃尽其職耳。大有之九三曰:「公用享於天子、小人弗克。」伝曰:三当大有之時、居諸侯之位、有其富盛、必用享通於天子。謂以其有為天子之有也。乃人臣之常義也。若小人処之、則専其富有以為私。不知公己奉上之道。故曰「小人弗克」也。人心所従、多所親愛者也。常人之情、愛之則見其是、悪之則見其非。故妻孥之言、雖失而多従。所憎之言、雖善為悪也。苟以親愛而随之、則是私情所与、豈合正理?故随之初九、「出門而交、則有功」也。随九五之象曰:「孚於嘉吉、位正中也。」伝曰:随以得中為善。随之所防者、過也。蓋心所説随、則不知其過矣。坎之六四曰:「樽酒簋貳用缶、納約自牖、終無咎。」伝曰:此言人臣以忠信善道、結於君心、必自其所明処乃能入也。人心有所蔽、有所通。通者明処也。当就其明処而告之。求信則易也。故曰:「納約自牖。」

書き下し

師の九二、師の主為り。将専らなれば則ち下為るの道を失ふ。専らならざれば則ち功を成すの理無し。故に中を得るを吉と為す。凡そ師の道は、威和並び至れば、則ち吉なり。世儒に魯の周公を祀るに天子の礼楽を以てするを論ずる有り、以為へらく周公能く人臣の為すこと能はざるの功を為す、則ち人臣の用ふるを得ざるの礼楽を用ふべしと、是れ人臣の道を知らざるなり。夫れ周公の位に居れば、則ち周公の事を為す。其の位に由りて能く為す者は、皆当に為すべき所なり。周公は乃ち其の職を尽すのみ。大有の九三に曰く、「公用て天子に享す、小人は克はず。」伝に曰く、三は大有の時に当り、諸侯の位に居り、其の富盛有れば、必ず用て天子に享通す。其の有を以て天子の有と為すを謂ふなり。乃ち人臣の常義なり。若し小人之に処れば、則ち其の富有を専らにして以て私と為す。己を公にして上に奉ずるの道を知らず。故に「小人は克はず」と曰ふなり。人心の従ふ所は、多く親愛する所の者なり。常人の情は、之を愛すれば則ち其の是を見、之を悪めば則ち其の非を見る。故に妻孥の言は、失と雖も多く従ふ。憎む所の言は、善と雖も悪と為すなり。苟も親愛を以て之に随へば、則ち是れ私情の与する所、豈に正理に合はんや。故に随の初九、「門を出でて交はれば、則ち功有り」なり。随の九五の象に曰く、「嘉に孚あり吉なるは、位正中なればなり。」伝に曰く、随は中を得るを以て善と為す。随の防ぐ所の者は、過なり。蓋し心の説びて随ふ所は、則ち其の過を知らず。坎の六四に曰く、「樽酒簋貳缶を用ふ、約を納るるに牖よりす、終に咎無し。」伝に曰く、此れ人臣忠信善道を以て、君心に結ぶには、必ず其の明らかなる所の処よりして乃ち能く入るを言ふなり。人心には蔽はるる所有り、通ずる所有り。通ずる者は明らかなる処なり。当に其の明らかなる処に就きて之に告ぐべし。信を求むること則ち易きなり。故に曰く、「約を納るるに牖よりす。」

現代語訳

師(いくさ)の卦の九二は、軍の主将である。将が専断すれば、下にいる者としての道を失う。専断しなければ、功を成す道理がない。だから中を得ることを吉とする。およそ軍の道は、威厳と和やかさがともに備われば吉である。世の儒者の中に、魯が周公を天子の礼楽で祭ったことを論じて、周公は臣下にはできない功を成したのだから、臣下には使えない礼楽を用いてよいと考える者がいる。これは臣下の道を知らないのである。そもそも周公の位にいれば、周公の事をする。その位によってできることは、みなすべきことである。周公はただその職を尽くしただけである。大有の卦の九三に「公はこれによって天子に献上する。小人にはできない」とある。程伝に言う。九三は大いに有する時にあたり、諸侯の位にいて、富み栄えているのだから、必ずそれで天子に献上して通じる。自分の所有を天子の所有とすることをいう。これが臣下の常の道義である。もし小人がこの位にいれば、その富を独占して私物とする。自分を公にして上に奉る道を知らない。だから「小人にはできない」というのである。人の心が従うのは、多くは親しみ愛するものである。普通の人の情として、愛すればその良いところが見え、憎めばその悪いところが見える。だから妻子の言葉は、誤っていても多くは従う。憎む者の言葉は、善くても悪いとする。もし親愛によって従うなら、それは私情が味方するのであって、どうして正しい理にかなおうか。だから随の卦の初九に「門を出て交われば功がある」という。随の卦の九五の象伝に「善に誠があって吉であるのは、位が正しく中を得ているからである」とある。程伝に言う。随は中を得ることを善とする。随で防ぐべきは行き過ぎである。思うに心が喜んで従うものには、その行き過ぎがわからないのである。坎の卦の六四に「樽の酒と二つの器、素焼きの器を用い、約束を窓から納める。最後には咎がない」とある。程伝に言う。これは、臣下が忠信と善い道によって君主の心と結ぶには、必ず君主の心の明らかなところから入ってはじめて入れることを言っている。人の心には蔽われているところがあり、通じているところがある。通じているところとは明らかなところである。その明らかなところについて申し上げるべきである。そうすれば信頼を得るのはたやすい。だから「約束を窓から納める」という。

解説

程頤の易伝から、臣下として上に仕える心得を集めた条である。師の九二では、将は専断すれば臣の道を失い、専断しなければ功がないとして中を得ることを求める。周公に天子の礼楽を用いたことを弁護する説を退け、その位にいればその職を尽くしただけだと言うのは、功績を理由に分を越えることへの戒めである。大有の九三は富を私物とせず上に奉るのが臣の常義だとする。随の初九では、人は愛する者の言葉には誤りでも従い、憎む者の言葉は善くても退けると指摘し、門を出て広く交われと説く。坎の六四の「約を納るるに牖よりす」は、相手の心の通じている窓口から入れという説得の要諦である。上司や同僚との関係で、自分の好悪や功績を物差しにしない姿勢と、伝え方の工夫を教える。

この章句が説くこと

中私情職分納約忠信

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