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史記 / 周本紀

誓已,諸侯兵會者車四千乘,陳師牧野。帝紂聞武王來,亦發兵七十萬人距武王。武王使師尚父與百夫致師,以大卒馳帝紂師。紂師雖眾,皆無戰之心,心欲武王亟入。紂師皆倒兵以戰,以開武王。武王馳之,紂兵皆崩畔紂。紂走,反入登于鹿臺之上,蒙衣其殊玉,自燔于火而死。武王持大白旗以麾諸侯,諸侯畢拜武王,武王乃揖諸侯,諸侯畢從。武王至商國,商國百姓咸待於郊。於是武王使群臣告語商百姓曰:「上天降休!」商人皆再拜稽首,武王亦答拜。遂入,至紂死所。武王自射之,三發而後下車,以輕劍擊之,以黃鉞斬紂頭,縣大白之旗。已而至紂之嬖妾二女,二女皆經自殺。武王又射三發,擊以劍,斬以玄鉞,縣其頭小白之旗。武王已乃出復軍。其明日,除道,修社及商紂宮。及期,百夫荷罕旗以先驅。武王弟叔振鐸奉陳常車,周公旦把大鉞,畢公把小鉞,以夾武王。散宜生、太顛、閎夭皆執劍以衛武王。既入,立于社南大卒之左,左右畢從。毛叔鄭奉明水,衛康叔封布茲,召公奭贊采,師尚父牽牲。尹佚筴祝曰:「殷之末孫季紂,殄廢先王明德,侮蔑神祇不祀,昏暴商邑百姓,其章顯聞于天皇上帝。」

新字:誓已,諸侯兵会者車四千乗,陳師牧野。帝紂聞武王来,亦発兵七十万人距武王。武王使師尚父与百夫致師,以大卒馳帝紂師。紂師雖衆,皆無戦之心,心欲武王亟入。紂師皆倒兵以戦,以開武王。武王馳之,紂兵皆崩畔紂。紂走,反入登于鹿台之上,蒙衣其殊玉,自燔于火而死。武王持大白旗以麾諸侯,諸侯畢拝武王,武王乃揖諸侯,諸侯畢従。武王至商国,商国百姓咸待於郊。於是武王使群臣告語商百姓曰:「上天降休!」商人皆再拝稽首,武王亦答拝。遂入,至紂死所。武王自射之,三発而後下車,以軽剣撃之,以黄鉞斬紂頭,県大白之旗。已而至紂之嬖妾二女,二女皆経自殺。武王又射三発,撃以剣,斬以玄鉞,県其頭小白之旗。武王已乃出復軍。其明日,除道,修社及商紂宮。及期,百夫荷罕旗以先駆。武王弟叔振鐸奉陳常車,周公旦把大鉞,畢公把小鉞,以夾武王。散宜生、太顛、閎夭皆執剣以衛武王。既入,立于社南大卒之左,左右畢従。毛叔鄭奉明水,衛康叔封布茲,召公奭賛采,師尚父牽牲。尹佚筴祝曰:「殷之末孫季紂,殄廃先王明徳,侮蔑神祇不祀,昏暴商邑百姓,其章顕聞于天皇上帝。」

書き下し

誓ひ已はり、諸侯の兵の会する者車四千乗、師を牧野に陳ぬ。帝紂武王の来たるを聞き、亦兵七十万人を発して武王を距ぐ。武王師尚父をして百夫と師を致さしめ、大卒を以て帝紂の師に馳す。紂の師衆しと雖も、皆戦ふの心無く、心に武王の亟やかに入らんことを欲す。紂の師皆兵を倒にして以て戦ひ、以て武王を開く。武王之に馳す。紂の兵皆崩れて紂に畔く。紂走り、反りて入りて鹿台の上に登り、其の殊玉を蒙衣し、自ら火に燔きて死す。武王大白旗を持ちて以て諸侯を麾く。諸侯畢く武王を拝す。武王乃ち諸侯に揖す。諸侯畢く従ふ。武王商国に至る。商国の百姓咸郊に待つ。是に於て武王群臣をして商の百姓に告語せしめて曰く、「上天休を降せり」と。商人皆再拝稽首す。武王も亦答拝す。遂に入りて、紂の死所に至る。武王自ら之を射、三たび発して而る後に車を下り、軽剣を以て之を撃ち、黄鉞を以て紂の頭を斬り、大白の旗に県く。已にして紂の嬖妾二女に至るに、二女皆経れて自殺す。武王又射ること三発、撃つに剣を以てし、斬るに玄鉞を以てし、其の頭を小白の旗に県く。武王已にして乃ち出でて軍に復る。其の明日、道を除き、社及び商紂の宮を修む。期に及びて、百夫罕旗を荷ひて以て先駆す。武王の弟叔振鐸は常車を奉陳し、周公旦は大鉞を把り、畢公は小鉞を把り、以て武王を夾む。散宜生・太顛・閎夭皆剣を執りて以て武王を衛る。既に入り、社の南、大卒の左に立ち、左右畢く従ふ。毛叔鄭は明水を奉じ、衛の康叔封は茲を布き、召公奭は采を賛け、師尚父は牲を牽く。尹佚筴祝して曰く、「殷の末孫季紂、先王の明徳を殄廃し、神祇を侮蔑して祀らず、商邑の百姓に昏暴なり。其の章顕上天皇上帝に聞こゆ」と。

現代語訳

誓いが終わると、集まった諸侯の兵車は四千台に及び、牧野に陣を敷いた。帝紂は武王が来ると聞き、兵七十万人を出して迎え撃った。武王は師尚父に百人の勇士を率いて先に戦いを挑ませ、主力の大軍で帝紂の軍に突撃した。紂の軍は数こそ多かったが、誰も戦う気がなく、内心では武王に早く攻め入ってほしいと思っていた。紂の兵はみな武器を逆さにして(味方に向けて)戦い、武王のために道を開いた。武王が突撃すると、紂の兵はみな総崩れとなって紂に背いた。紂は逃げて都に戻り、鹿台の上に登って、宝玉の衣をかぶり、自ら火に身を投じて死んだ。武王は大きな白旗を持って諸侯を差し招いた。諸侯はみな武王に拝礼した。武王も諸侯に会釈を返した。諸侯はみな従った。武王が商の都に至ると、商の民はみな郊外で待っていた。そこで武王は群臣に命じて商の民に告げさせた。「天は幸いを下された。」商の人々はみな再拝して頭を地につけた。武王も答礼した。そして都に入り、紂が死んだ場所に至った。武王は自ら紂の遺体に矢を三本射て、それから車を降り、軽い剣で撃ち、黄金の鉞で紂の首を斬り、大きな白旗に吊るした。それから紂の寵愛した二人の女のもとへ行くと、二人はすでに首をくくって自殺していた。武王はまた矢を三本射て、剣で撃ち、黒い鉞で首を斬り、小さな白旗に吊るした。武王はそれを終えると都を出て軍に戻った。その翌日、道を清め、社(土地神の祭壇)と紂の宮殿を修理した。定めの時が来ると、百人の兵が罕旗(網の旗)を担いで先駆けした。武王の弟の叔振鐸は儀式用の車を連ね、周公旦は大きな鉞を、畢公は小さな鉞を持って武王の両脇を守った。散宜生・太顛・閎夭はみな剣を持って武王を護衛した。社に入ると、武王は社の南、主力軍の左側に立ち、左右の者はみな従った。毛叔鄭は清らかな水を捧げ、衛の康叔封は敷物を敷き、召公奭は色絹を捧げて儀式を助け、師尚父は犠牲の獣を引いた。史官の尹佚は祝文を読み上げて言った。「殷の末孫、季紂は、先王の明らかな徳を損ない捨て、天地の神々を侮って祀らず、商の都の民に愚かで暴虐な振る舞いをした。その悪行は明らかで、天の上帝の耳にまで届いている。」

解説

殷周革命の決戦、牧野の戦いの場面です。紂の兵は七十万人とされますが、誰も戦う気がなく、武器を逆さにして味方を攻め、武王のために道を開いたと記されます。兵の数がどれほど多くても、心が離れていれば軍は一瞬で崩れるのです。紂は鹿台で宝玉の衣をまとって火に身を投じました。勝利した武王は、まず商の民に「天は幸いを下された」と告げさせ、民が拝礼すると武王も答礼しました。征服者でありながら、相手の民への礼を忘れなかったのです。一方で紂と寵姫の遺体には矢を射て首を斬り、旗に掲げて、旧体制の終わりを誰の目にも明らかにしました。翌日には社で儀式を行い、紂の罪を天に告げて、新しい天命の受け手であることを示します。組織の変革でも、旧体制の終わりをはっきり示すことと、そこで働いていた人々への敬意を示すことの両方が、新体制を受け入れてもらう条件になります。

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