史記 / 周本紀
於是武王再拜稽首,曰:「膺更大命,革殷,受天明命。」武王又再拜稽首,乃出。封商紂子祿父殷之餘民。武王為殷初定未集,乃使其弟管叔鮮、蔡叔度相祿父治殷。已而命召公釋箕子之囚。命畢公釋百姓之囚,表商容之閭。命南宮括散鹿臺之財,發鉅橋之粟,以振貧弱萌隸。命南宮括、史佚展九鼎保玉。命閎夭封比干之墓。命宗祝享祠于軍。乃罷兵西歸。行狩,記政事,作《武成》。封諸侯,班賜宗彝,作《分殷之器物》。武王追思先聖王,乃褒封神農之後於焦,黃帝之後於祝,帝堯之後於薊,帝舜之後於陳,大禹之後於杞。於是封功臣謀士,而師尚父為首封。封尚父於營丘,曰齊。封弟周公旦於曲阜,曰魯。封召公奭於燕。封弟叔鮮于管,弟叔度於蔡。餘各以次受封。武王徵九牧之君,登豳之阜,以望商邑。
新字:於是武王再拝稽首,曰:「膺更大命,革殷,受天明命。」武王又再拝稽首,乃出。封商紂子禄父殷之余民。武王為殷初定未集,乃使其弟管叔鮮、蔡叔度相禄父治殷。已而命召公釈箕子之囚。命畢公釈百姓之囚,表商容之閭。命南宮括散鹿台之財,発鉅橋之粟,以振貧弱萌隸。命南宮括、史佚展九鼎保玉。命閎夭封比干之墓。命宗祝享祠于軍。乃罷兵西帰。行狩,記政事,作《武成》。封諸侯,班賜宗彝,作《分殷之器物》。武王追思先聖王,乃褒封神農之後於焦,黄帝之後於祝,帝堯之後於薊,帝舜之後於陳,大禹之後於杞。於是封功臣謀士,而師尚父為首封。封尚父於営丘,曰斉。封弟周公旦於曲阜,曰魯。封召公奭於燕。封弟叔鮮于管,弟叔度於蔡。余各以次受封。武王徴九牧之君,登豳之阜,以望商邑。
書き下し
是に於て武王再拝稽首して、曰く、「大命を膺け更め、殷を革め、天の明命を受く」と。武王又再拝稽首して、乃ち出づ。商紂の子禄父に殷の余民を封ず。武王殷の初めて定まりて未だ集まらざるが為に、乃ち其の弟管叔鮮・蔡叔度をして禄父を相けて殷を治めしむ。已にして召公に命じて箕子の囚を釈かしむ。畢公に命じて百姓の囚を釈き、商容の閭を表せしむ。南宮括に命じて鹿台の財を散じ、鉅橋の粟を発し、以て貧弱の萌隷を振はしむ。南宮括・史佚に命じて九鼎保玉を展べしむ。閎夭に命じて比干の墓を封ぜしむ。宗祝に命じて軍に享祠せしむ。乃ち兵を罷めて西に帰る。行きて狩し、政事を記し、武成を作る。諸侯を封じ、宗彝を班賜し、分殷之器物を作る。武王先聖王を追思し、乃ち神農の後を焦に、黄帝の後を祝に、帝堯の後を薊に、帝舜の後を陳に、大禹の後を杞に褒封す。是に於て功臣謀士を封じ、而して師尚父を首封と為す。尚父を営丘に封じ、斉と曰ふ。弟周公旦を曲阜に封じ、魯と曰ふ。召公奭を燕に封ず。弟叔鮮を管に、弟叔度を蔡に封ず。余は各次を以て封を受く。武王九牧の君を徴し、豳の阜に登りて、以て商邑を望む。
現代語訳
そこで武王は再拝して頭を地につけ、言った。「大いなる天命を受けて改め、殷を革め、天の明らかな命を受けた。」武王はまた再拝して頭を地につけ、社を出た。紂の子の禄父を殷の遺民の上に封じた。武王は殷が平定されたばかりでまだ人心がまとまっていないので、弟の管叔鮮と蔡叔度に禄父を補佐させて殷を治めさせた。それから召公に命じて箕子を牢から出させた。畢公に命じて捕らわれていた民を釈放させ、賢者商容の村の門に表彰の印を掲げさせた。南宮括に命じて鹿台に蓄えられた財貨を分け与え、鉅橋の倉の穀物を放出して、貧しく弱い民を救わせた。南宮括と史佚に命じて九鼎や宝玉を並べて示させた。閎夭に命じて比干の墓に土を盛らせた。祭祀官に命じて軍中で神々を祭らせた。こうして戦を終えて西へ帰った。帰る途中で狩りをしながら政治の事績を記録し、『武成』を作った。諸侯を封じ、祖先の祭器を分け与え、『分殷之器物』を作った。武王は古の聖王たちを偲び、神農の子孫を焦に、黄帝の子孫を祝に、帝堯の子孫を薊に、帝舜の子孫を陳に、禹の子孫を杞に封じてたたえた。そこで功臣や参謀を封じ、師尚父を最初に封じた。尚父を営丘に封じ、斉とした。弟の周公旦を曲阜に封じ、魯とした。召公奭を燕に封じた。弟の叔鮮を管に、弟の叔度を蔡に封じた。その他の者も順次封地を受けた。武王は九州の長を召し集め、豳の丘に登って、商の都を遠く望んだ。
解説
関連する章句
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呂氏春秋・愼大③武王、殷に勝ち、殷に入るや、未だ轝を下りざるに、命じて黄帝の後を鑄に封じ、帝堯の後を黎に封じ、帝舜の後を陳に封ず。轝より下り、命じて夏后の後を杞に封じ、成湯の後を宋に立て、以て桑林を奉ぜしむ。武王乃ち恐懼し、太息流涕す。周公旦に命じて殷の遺老を進めて、殷の亡びし故を問わしめ、又衆の説ぶ所、民欲する所を問わしむ。殷の遺老對えて曰く、「盤庚の政を復せんと欲す。」武王是に於いて盤庚の政を復し、巨橋の粟を發し、鹿臺の錢を賦し、以て民に私無きを示す。拘を出だして罪を救い、財を分かち責を棄て、以て窮困を振う。比干の墓を封じ、箕子の宮を靖んじ、商容の閭を表し、士の過ぐる者は趨らしめ、車にて過ぐる者は下りしむ。三日の內、與謀の士は封じて諸侯と為し、諸大夫は賞するに書社を以てし、庶士は政を施め賦を去る。然る後に河を濟り、西に歸りて廟に報ず。乃ち馬を華山に税き、牛を桃林に税き、馬は復た乘らず、牛は復た服せしめず。鼓旗甲兵に釁し、之を府庫に藏し、終身復た用いず。此れ武王の德なり。故に周の明堂は外戶閉じず、天下に藏せざるを示すなり。唯だ藏せざるのみならんか、以て至藏を守る可しとなり。武王、殷に勝ち、二虜を得て焉に問いて曰く、「若の國に妖有るか。」一虜對えて曰く、「吾が國に妖有り。晝星を見て、而して天、血を雨らせたり。此れ吾が國の妖なり。」一虜對えて曰く、「此れ則ち妖なり。然りと雖も、其の大なる者に非ざるなり。吾が國の妖、甚だしく大なる者は、子は父に聽かず、弟は兄に聽かず、君令は行われず、此れ妖の大なる者なり。」武王、席を避けて之を再拜す。此れ虜を貴ぶに非ざるなり、其の言を貴ぶなり。故に易に曰く、「愬愬として虎の尾を履む、終に吉なり。」
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史記 管蔡世家文王崩じて発立つに及ぶ。是を武王と為す。伯邑考既已に前に卒す。武王已に殷の紂に克ち、天下を平らげ、功臣昆弟を封ず。是に於て叔鮮を管に封じ、叔度を蔡に封ず。二人、紂の子武庚禄父に相として、殷の遺民を治む。叔旦を魯に封じて周に相たらしめ、周公と為す。叔振鐸を曹に封じ、叔武を成に封じ、叔処を霍に封ず。康叔封・冉季載は皆少くして、未だ封を得ず。
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尚書・武成惟れ一月壬辰、旁死魄、越(ここ)に翼日癸巳、王朝に周より歩み、于(ゆ)きて商を征伐す。厥の四月哉生明、王商より来り豊に至る。乃ち武を偃(ふ)せて文を修む。馬を華山の陽に帰し、牛を桃林の野に放ち、天下に服せざるを示す。丁未、周廟に祀る、邦甸・侯・衛、駿(すみや)かに奔走し、豆籩を執る。越に三日庚戌、柴望して大いに武の成るを告ぐ。既生魄、庶邦の冢君、百工と暨に、命を周に受く。王若(かく)のごとく曰く、「嗚呼(ああ)、群后よ、惟れ先王邦を建て土を啓く。公劉克く前烈を篤くし、大王に至りて、肇めて王跡を基し、王季其れ王家に勤む。我が文考文王、克く厥の勛を成し、誕いに天命を膺(う)け、以て方夏を撫す。大邦は其の力を畏れ、小邦は其の徳を懐く。惟れ九年、大統未だ集(な)らず。予小子其れ厥の志を承く。商の罪を厎(いた)し、皇天后土、過ぐる所の名山大川に告げて、曰く、『惟れ有道の曾孫周王発、将に大いに商を正すこと有らんとす』と。今商王受無道にして、天物を暴殄し、烝民を害虐し、天下逋逃の主と為り、淵藪に萃(あつ)まる。予小子既に仁人を獲たり、敢て祇みて上帝を承け、以て乱略を遏(とど)めん。華夏蛮貊、率ひ俾(したが)はざる罔く、天の成命を恭しむ。肆に予東征して、厥の士女を綏んず。惟れ其の士女、厥の玄黄を篚(ひ)にして、我が周王を昭らかにす。天休震動し、用て我が大邑周に附く。惟れ爾神有り、尚はくは克く予を相け、以て兆民を済ひ、神の羞を作すこと無かれ。」既に戊午、師孟津を逾え、癸亥、商の郊に陳し、天の休命を俟つ。甲子昧爽、受其の旅を率ゐること林の若く、牧野に会す。我が師に敵する有る罔く、前徒戈を倒にし、後を攻めて以て北(に)ぐ、血流れて杵を漂はす。一たび戎衣して、天下大いに定まる。乃ち商の政を反し、政旧に由る。箕子の囚を釈き、比干の墓に封し、商容の閭に式す。鹿台の財を散じ、鉅橋の粟を発す。大いに四海に賚(たま)ひて、万姓悦服す。爵を列ぬること惟れ五、土を分かつこと惟れ三。官を建つること惟れ賢、事に位すること惟れ能。民の五教を重んじ、惟れ食・喪・祭。信を惇くし義を明らかにし、徳を崇び功に報い、垂拱して天下治まる。
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史記 魯周公世家周公旦は、周の武王の弟なり。文王の在りし時より、旦は子と為りて孝、篤く仁にして、群子に異なる。武王即位するに及び、旦常に武王を輔翼し、事を用ふること多きに居る。武王の九年、東伐して盟津に至る。周公輔けて行く。十一年、紂を伐ちて牧野に至る。周公、武王を佐けて牧誓を作る。殷を破りて商の宮に入る。已に紂を殺し、周公は大鉞を把り、召公は小鉞を把りて、以て武王を夾み、社に釁りて、紂の罪を天及び殷の民に告ぐ。箕子の囚を釈く。紂の子武庚禄父を封じ、管叔・蔡叔をして之に傅たらしめ、以て殷の祀を続がしむ。遍く功臣・同姓・戚者を封ず。周公旦を少昊の虚曲阜に封ず。是れを魯公と為す。周公封に就かず、留まりて武王を佐く。武王殷に克ちて二年、天下未だ集まらず。武王疾有りて、豫ばず。群臣懼る。太公・召公乃ち繆卜す。周公曰く、「未だ以て我が先王を戚へしむ可からず」と。
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史記 斉太公世家明日、武王社に立つ。群公明水を奉じ、衛の康叔封、采席を布き、師尚父牲を牽き、史佚策祝して、以て神に紂の罪を討つを告ぐ。鹿台の銭を散じ、鉅橋の粟を発して、以て貧民を振ふ。比干の墓に封し、箕子の囚を釈く。九鼎を遷し、周の政を修め、天下と更始す。師尚父の謀多きに居る。是に於て武王已に商を平げて天下に王たり。師尚父を斉の営丘に封ず。東して国に就くに、道に宿りて行くこと遅し。逆旅の人曰く、「吾聞く、時は得難くして失ひ易しと。客の寝ぬること甚だ安し。殆ど国に就く者に非ざるなり」と。太公之を聞き、夜衣て行き、犁明に国に至る。萊侯来り伐ち、之と営丘を争ふ。営丘は萊に辺す。萊人は夷なり。紂の乱にして周初めて定まり、未だ遠方を集むる能はざるに会す。是を以て太公と国を争ふ。
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史記 周本紀武王已に殷に克ち、後二年、箕子に殷の亡びし所以を問ふ。箕子殷の悪を言ふに忍びず、存亡の国の宜しきを以て告ぐ。武王も亦醜ぢ、故に問ふに天道を以てす。武王病む。天下未だ集まらず、群公懼れ、穆卜す。周公乃ち祓斎し、自ら質と為り、武王に代はらんと欲す。武王瘳ゆる有り。後にして崩じ、太子誦代はりて立つ。是を成王と為す。成王少く、周初めて天下を定む。周公諸侯の周に畔かんことを恐れ、公乃ち摂行して政し国に当たる。管叔・蔡叔の群弟周公を疑ひ、武庚と乱を作し、周に畔く。周公成王の命を奉じ、武庚・管叔を伐ちて誅し、蔡叔を放つ。微子開を以て殷の後に代へ、宋に国せしむ。頗る殷の余民を収め、以て武王の少弟封を封じて衛の康叔と為す。晋の唐叔嘉穀を得、之を成王に献ず。成王以て周公に兵所に帰る。周公禾を東土に受け、天子の命を魯ぶ。初め、管・蔡周に畔き、周公之を討ち、三年にして畢く定む。故に初めに大誥を作り、次に微子之命を作り、次に帰禾、次に嘉禾、次に康誥・酒誥・梓材を作る。其の事は周公の篇に在り。周公政を行ふこと七年、成王長じ、周公政を成王に反し、北面して群臣の位に就く。成王豊に在り、召公をして復た洛邑を営ましむ、武王の意の如し。周公復た卜して申ねて視、卒に営築し、九鼎を居く。曰く、「此れ天下の中にして、四方の入貢の道里均し」と。召誥・洛誥を作る。成王既に殷の遺民を遷し、周公王命を以て告げ、多士・無佚を作る。召公保と為り、周公師と為り、東のかた淮夷を伐ち、奄を残し、其の君を薄泵に遷す。成王奄より帰り、宗周に在りて、多方を作る。既に殷の命を絀け、淮夷を襲ひ、帰りて豊に在り、周官を作る。礼楽を興正し、度制是に於て改まり、而して民和睦し、頌声興る。成王既に東夷を伐ち、息慎来たりて賀す。王栄伯に賜ひて賄息慎之命を作らしむ。
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