師導古典を学びたいすべての人に

史記 / 夏本紀

道河積石,至于龍門,南至華陰,東至砥柱,又東至于盟津,東過雒汭,至于大邳,北過降水,至于大陸,北播爲九河,同爲逆河,入于海。嶓冢道瀁,東流爲漢,又東爲蒼浪之水,過三澨,入于大別,南入于江,東匯澤爲彭蠡,東爲北江,入于海。汶山道江,東別爲沱,又東至于醴,過九江,至于東陵,東迆北會于匯,東爲中江,入于海。道沇水,東爲濟,入于河,泆爲滎,東出陶丘北,又東至于荷,又東北會于汶,又東北入于海。道淮自桐柏,東會于泗、沂,東入于海。道渭自鳥鼠同穴,東會于灃,又東北至于涇,東過漆沮,入于河。道雒自熊耳,東北會于㵎、瀍,又東會于伊,東北入于河。於是九州攸同,四奧既居,九山栞旅,九川滌原,九澤既陂,四海會同。六府甚脩,衆土交正,致慎財賦,咸則三壤,成賦中國,賜土、姓:「祗台德先,不距朕行。」令天子之國以外五百里甸服:百里賦納緫,二百里納銍,三百里納秸服,四百里粟,五百里米。甸服外五百里侯服:百里采,二百里任國,三百里諸侯。侯服外五百里綏服:三百里揆文教,二百里奮武衞。綏服外五百里要服:三百里夷,二百里蔡。要服外五百里荒服:三百里蠻,二百里流。東漸于海,西被于流沙,朔、南暨:聲教訖于四海。

新字:道河積石,至于竜門,南至華陰,東至砥柱,又東至于盟津,東過雒汭,至于大邳,北過降水,至于大陸,北播為九河,同為逆河,入于海。嶓冢道瀁,東流為漢,又東為蒼浪之水,過三澨,入于大別,南入于江,東匯沢為彭蠡,東為北江,入于海。汶山道江,東別為沱,又東至于醴,過九江,至于東陵,東迆北会于匯,東為中江,入于海。道沇水,東為済,入于河,泆為滎,東出陶丘北,又東至于荷,又東北会于汶,又東北入于海。道淮自桐柏,東会于泗、沂,東入于海。道渭自鳥鼠同穴,東会于灃,又東北至于涇,東過漆沮,入于河。道雒自熊耳,東北会于㵎、瀍,又東会于伊,東北入于河。於是九州攸同,四奥既居,九山栞旅,九川滌原,九沢既陂,四海会同。六府甚脩,衆土交正,致慎財賦,咸則三壤,成賦中国,賜土、姓:「祗台徳先,不距朕行。」令天子之国以外五百里甸服:百里賦納緫,二百里納銍,三百里納秸服,四百里粟,五百里米。甸服外五百里侯服:百里采,二百里任国,三百里諸侯。侯服外五百里綏服:三百里揆文教,二百里奮武衛。綏服外五百里要服:三百里夷,二百里蔡。要服外五百里荒服:三百里蠻,二百里流。東漸于海,西被于流沙,朔、南暨:声教訖于四海。

書き下し

河を積石より道き、龍門に至り、南して華陰に至り、東して砥柱に至り、又東して盟津に至り、東して雒汭を過ぎ、大邳に至り、北して降水を過ぎ、大陸に至り、北して播きて九河と為り、同じくして逆河と為り、海に入る。嶓冢より瀁を道き、東流して漢と為り、又東して蒼浪の水と為り、三澨を過ぎ、大別に入り、南して江に入り、東して匯りて沢となり彭蠡と為り、東して北江と為り、海に入る。汶山より江を道き、東して別れて沱と為り、又東して醴に至り、九江を過ぎ、東陵に至り、東して迆れて北して匯に会し、東して中江と為り、海に入る。沇水を道き、東して済と為り、河に入り、泆れて滎と為り、東して陶丘の北に出で、又東して荷に至り、又東北して汶に会し、又東北して海に入る。淮を桐柏より道き、東して泗・沂に会し、東して海に入る。渭を鳥鼠同穴より道き、東して灃に会し、又東北して涇に至り、東して漆沮を過ぎ、河に入る。雒を熊耳より道き、東北して澗・瀍に会し、又東して伊に会し、東北して河に入る。是に於て九州攸同じく、四奥既に居り、九山は栞りて旅し、九川は原を滌ひ、九沢は既に陂し、四海会同す。六府甚だ脩まり、衆土交正し、財賦を致慎し、咸三壌に則り、賦を中国に成す。土・姓を賜ふ。「台が徳を祗みて先んじ、朕が行ひに距はず」と。天子の国以外五百里をして甸服とせしむ。百里は賦として緫を納め、二百里は銍を納め、三百里は秸服を納め、四百里は粟、五百里は米。甸服の外五百里は侯服。百里は采、二百里は任国、三百里は諸侯。侯服の外五百里は綏服。三百里は文教を揆り、二百里は武衛を奮ふ。綏服の外五百里は要服。三百里は夷、二百里は蔡。要服の外五百里は荒服。三百里は蛮、二百里は流。東は海に漸り、西は流沙に被り、朔・南も暨ぶ。声教四海に訖る。

現代語訳

黄河は積石山から流れを導いて竜門に至り、南へ流れて華山の北に至り、東へ流れて砥柱山に至り、さらに東へ流れて孟津に至り、東へ流れて洛水の合流点を過ぎ、大伾山に至り、北へ流れて降水を過ぎ、大陸沢に至り、北へ広がって九つの支流となり、再び合わさって逆河(潮が逆流する河口)となり、海に入る。嶓冢山から漾水の流れを導き、東へ流れて漢水となり、さらに東へ流れて滄浪の水となり、三澨を過ぎ、大別山に至り、南へ流れて長江に入り、東へ流れて渦を巻いて沢となり彭蠡沢となり、東へ流れて北江となり、海に入る。汶山から長江の流れを導き、東で分かれて沱水となり、さらに東へ流れて醴水に至り、九江を過ぎ、東陵に至り、東へ斜めに流れて北で彭蠡の流れと合い、東へ流れて中江となり、海に入る。沇水の流れを導き、東へ流れて済水となり、黄河に入り、あふれて滎沢となり、東へ流れて陶丘の北に出て、さらに東へ流れて荷沢に至り、さらに東北へ流れて汶水と合い、さらに東北へ流れて海に入る。淮水は桐柏山から流れを導き、東へ流れて泗水・沂水と合い、東へ流れて海に入る。渭水は鳥鼠同穴山から流れを導き、東へ流れて灃水と合い、さらに東北へ流れて涇水に至り、東へ流れて漆水・沮水を過ぎ、黄河に入る。洛水は熊耳山から流れを導き、東北へ流れて澗水・瀍水と合い、さらに東へ流れて伊水と合い、東北へ流れて黄河に入る。こうして九州はみな一つにまとまり、四方の奥地まで人が住めるようになり、九つの山脈は木を切って道を通して祭りが行われ、九つの川は水源から流れが清められ、九つの沢には堤が築かれ、四海の諸侯がこぞって朝見した。六府(水・火・金・木・土・穀)はよく整い、各地の土地はそれぞれ正しく等級づけられ、財物と税を慎んで取り立て、みな土地の三等級に従って、中国全体の税を定めた。(禹は諸侯に)土地と姓を賜った。(禹は言った。)「わが徳を敬って率先し、わが行いに逆らわぬように。」天子の都の外側五百里を甸服とした。その最も近い百里は税として穂のついた稲束を納め、二百里は刈り取った穂を納め、三百里は藁を取り去った穂を納め、四百里は籾つきの穀物、五百里は精白した米を納める。甸服の外五百里は侯服とする。その最初の百里は卿大夫の采地、次の百里は小国、残りの三百里は諸侯の国である。侯服の外五百里は綏服とする。その三百里は文教を推し量って施し、二百里は武力による守りを奮い立てる。綏服の外五百里は要服とする。その三百里は夷の住む地、二百里は流罪人を置く地である。要服の外五百里は荒服とする。その三百里は蛮の住む地、二百里は流刑の地である。東は海まで至り、西は流沙に及び、北と南にも届き、天子の声望と教化は四海の果てまで行きわたった。

解説

禹貢の締めくくりです。黄河・漢水・長江・済水・淮水・渭水・洛水の七つの大河について、水源から海までの流れを一つずつたどり、治水がどう完成したかを示します。そのうえで「九州攸同じく」、天下が一つにまとまったと宣言し、都を中心に五百里ごとの同心円状の区分、いわゆる五服制を定めました。都に近い地域ほど重い現物の税を納め、遠くなるにつれて負担は軽くなり、外縁では教化と防衛が役割になります。都に近いほど穂のついた稲束という運びにくい物を、遠いほど精米という軽い物を納めさせているのも、運搬の手間まで考えた設計です。組織に置き換えるなら、本部との距離や関係の深さに応じて、求める役割と負担を変える仕組みと言えます。すべての拠点に同じことを求めるのではなく、距離に応じた役割を与えることで、全体が無理なく一つに保たれるのです。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る