士道要論 / 士道・道に従う徳政と新井白石への批判
もろこしの道をまなぶにあらず、もろこし聖人の道は、我大御國祖宗の道にかわることあるまじ、わが祖宗の神たち道德まし〱たることもろこしの聖人にまさり玉ひたれど、そのころは文籍なければつばらにはつたはらず、たゞ〱聖人の道の譽多の朝につたへ來りたれば、聖天子(應神天皇)の御心にも、よしと思ひたまへばこそ御子達にもまなばしめたまふなれ、さて、大鷦鷯の帝は御世をつぎ玉ひて、御みやゐのあれたるをもかへり見たまはず、數年の貢をゆるして民を賑したまへること、仁德の御諡にはぢ玉はず、菟道のみこは御兄と御位をゆづり玉ひしに、兄のみかどゆるし玉はざりければ、御命をちゞめ玉ひて、兄の帝の御世となし奉れること、泰伯伯夷にもまさり玉へり、能御德も御政も聖人の道に從ひたまへるこそ眞の學問とはいふべけれ、中昔のごときは文に似たれど、虚文にしてまことの文にはあらざりき、しかるに新井白石の宏才博識にも似げなく、今の京風をよしと思はれけむ、有職故實をよろこびて關東へもその制度を行はんとしたるは、よくも事のもとをわきまへざるひがごとになん有ける、
新字:もろこしの道をまなぶにあらず、もろこし聖人の道は、我大御国祖宗の道にかわることあるまじ、わが祖宗の神たち道徳まし〱たることもろこしの聖人にまさり玉ひたれど、そのころは文籍なければつばらにはつたはらず、たゞ〱聖人の道の誉多の朝につたへ来りたれば、聖天子(応神天皇)の御心にも、よしと思ひたまへばこそ御子達にもまなばしめたまふなれ、さて、大鷦鷯の帝は御世をつぎ玉ひて、御みやゐのあれたるをもかへり見たまはず、数年の貢をゆるして民を賑したまへること、仁徳の御諡にはぢ玉はず、菟道のみこは御兄と御位をゆづり玉ひしに、兄のみかどゆるし玉はざりければ、御命をちゞめ玉ひて、兄の帝の御世となし奉れること、泰伯伯夷にもまさり玉へり、能御徳も御政も聖人の道に従ひたまへるこそ真の学問とはいふべけれ、中昔のごときは文に似たれど、虚文にしてまことの文にはあらざりき、しかるに新井白石の宏才博識にも似げなく、今の京風をよしと思はれけむ、有職故実をよろこびて関東へもその制度を行はんとしたるは、よくも事のもとをわきまへざるひがごとになん有ける、
書き下し
もろこしの道をまなぶにあらず、もろこし聖人の道は、我大御國祖宗の道にかわることあるまじ、わが祖宗の神たち道德まし〱たることもろこしの聖人にまさり玉ひたれど、そのころは文籍なければつばらにはつたはらず、たゞ〱聖人の道の譽多の朝につたへ來りたれば、聖天子(應神天皇)の御心にも、よしと思ひたまへばこそ御子達にもまなばしめたまふなれ、さて、大鷦鷯の帝は御世をつぎ玉ひて、御みやゐのあれたるをもかへり見たまはず、數年の貢をゆるして民を賑したまへること、仁德の御諡にはぢ玉はず、菟道のみこは御兄と御位をゆづり玉ひしに、兄のみかどゆるし玉はざりければ、御命をちゞめ玉ひて、兄の帝の御世となし奉れること、泰伯伯夷にもまさり玉へり、能御德も御政も聖人の道に從ひたまへるこそ眞の學問とはいふべけれ、中昔のごときは文に似たれど、虚文にしてまことの文にはあらざりき、しかるに新井白石の宏才博識にも似げなく、今の京風をよしと思はれけむ、有職故實をよろこびて關東へもその制度を行はんとしたるは、よくも事のもとをわきまへざるひがごとになん有ける、
現代語訳
中国の道を学ぶのではありません。中国の聖人の道は、わが大御国の祖宗の道と変わることはないはずです。わが祖宗の神々が道徳においでになることは中国の聖人に勝っておられますが、その頃は文字の書物がなく詳しくは伝わらず、ただ聖人の道の誉れが多くの朝廷に伝わってきたので、聖天子(応神天皇)のお心にも、よいとお思いになったからこそ御子たちにも学ばせられたのです。さて大鷦鷯の帝は御世を継がれて、宮殿の荒れたのもかえりみず、数年の貢を免じて民を賑わされたことは、仁徳という諡(おくりな)に恥じません。菟道の皇子は兄と位を譲り合われたのに、兄の帝がお許しにならなかったので、御命を縮めて兄の帝の御世となし申されたことは、泰伯・伯夷にも勝っておられます。よく御徳も御政も聖人の道に従われたことこそ、真の学問と言うべきです。中昔のようなのは文に似ていても虚文であって、真の文ではありませんでした。ところが新井白石は、宏才博識にも似ず、今の京風をよいと思われたのでしょうか、有職故実を喜んで関東にもその制度を行おうとしたのは、事の根本をよく弁えない間違いでありました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『正法眼蔵随聞記』巻二いまだ聞かず三国の例、財宝にとみ、愚人の帰敬をもつて道徳とすべきことを、道心者と云ふは昔しより三国みな貧にして、身をくるしくし、一切を省約して、慈あり道あるをまことに行者と云ふなり、徳のあらはるゝと云も、財宝にゆたかに、供養にほこるを云にあらす、徳の顕はるゝに三重あるべし、先つは其の人其の道を修するなりと知らるゝなり、次には其の道を慕ふ者いで来る、後には其の道をおなじく学し同じく行ずる、是を道徳のあらはるゝと云ふなり、
-
『長短経』道徳夫れ兵に出だすべからざる者三あり。国に和せざれば、以て軍を出だすべからず。軍に和せざれば、以て陣を出だすべからず。陣に和せざれば、以て戦いを出だすべからず。故に孫子曰く、一に曰く道。道なる者は、人をして上と意を同じくせしむる者なり。故に之と死すべく、之と生くべくして、人危うきを畏れず。〔危は、疑なり。主上素より仁を下に施すこと有れば、則ち士は能く前に致して敵に赴き、故に与に存亡の難に処りて、傾危の敗を畏れざるを言う。晋陽の囲み、竈を沈めて蛙を生ずるも、民に叛疑無きが若きなり。〕
-
『論語と算盤』理想と迷信・道徳は進化すべきか道徳というものは、他の理学化学のように、だんだん進化して行くものであるか、つまり道徳は文明に従って進化すべきものであるかというのである。ちょっと了解し難い言葉であるが、前にも言うごとく、宗教信念をもって道徳を堅固にするがよいか、さなくとも論理の上から徳義心は維持出来るものであるというように、追々その解釈が進化し来たりはせぬか。けだし道徳という文字は、支那古代の唐虞の世より、王者の道というのがすなわち道徳の語原である。ゆえに道徳という文字はよほど古い。
-
『酔古堂剣掃』集豪・寂寞一時、淒涼萬古道德に棲守する者は、寂寞たること一時。 權變に依阿する者は、淒涼たること萬古。
-
『呻吟語』内篇・修身・道德の實を潛かに修む文名・才名・藝名・勇名は、人盡く讓り得過ぐ。惟だ是れ道德の名は、則ち妒む者眾し。文無く才無く藝無く勇無きは、人盡く謙り得起こる。惟だ是れ道德の名無きは、則ち愧づる者眾し。君子は道德の實を以て潛かに修め、道德の名を以て自ら掩ふ。
-
『茶の本』第三章 道教と禅道・聖人はよく世とともに推移す道教でいう絶対は相対であることは、すでに述べたところであるが、倫理学においては道教徒は社会の法律道徳を罵倒した。というのは、彼らにとっては正邪善悪は単なる相対的の言葉であったから。定義は常に制限である。「一定」「不変」は単に成長停止を表わす言葉に過ぎない。屈原いわく「聖人はよく世とともに推移す」。われらの道徳的規範は社会の過去の必要から生まれたものであるが、社会は依然として旧態にとどまるべきものであろうか。社会の慣習を守るためには、その国に対して個人を絶えず犠牲にすることを免れぬ。教育はその大迷想を続けんがために一種の無知を奨励する。人は真に徳行ある人たることを教えられずして、行儀正しくせよと教えられる。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る