師導古典を学びたいすべての人に

茶の本 / 第三章 道教と禅道・聖人はよく世とともに推移す

道教でいう絶対は相対であることは、すでに述べたところであるが、倫理学においては道教徒は社会の法律道徳を罵倒した。というのは彼らにとっては正邪善悪は単なる相対的の言葉であったから。定義は常に制限である。「一定」「不変」は単に成長停止を表わす言葉に過ぎない。屈原いわく「聖人はよく世とともに推移す。」われらの道徳的規範は社会の過去の必要から生まれたものであるが、社会は依然として旧態にとどまるべきものであろうか。社会の慣習を守るためには、その国に対して個人を絶えず犠牲にすることを免れぬ。教育はその大迷想を続けんがために一種の無知を奨励する。人は真に徳行ある人たることを教えられずして行儀正しくせよと教えられる。

書き下し

道教でいう絶対は相対であることは、すでに述べたところであるが、倫理学においては道教徒は社会の法律道徳を罵倒した。というのは、彼らにとっては正邪善悪は単なる相対的の言葉であったから。定義は常に制限である。「一定」「不変」は単に成長停止を表わす言葉に過ぎない。屈原いわく「聖人はよく世とともに推移す」。われらの道徳的規範は社会の過去の必要から生まれたものであるが、社会は依然として旧態にとどまるべきものであろうか。社会の慣習を守るためには、その国に対して個人を絶えず犠牲にすることを免れぬ。教育はその大迷想を続けんがために一種の無知を奨励する。人は真に徳行ある人たることを教えられずして、行儀正しくせよと教えられる。

現代語訳

道教でいう絶対が相対であることはすでに述べましたが、倫理の面では道教の徒は社会の法律や道徳を罵倒しました。彼らにとって正邪善悪は単に相対的な言葉だったからです。定義は常に制限です。一定や不変は、単に成長が止まったことを表す言葉にすぎません。屈原は言いました。聖人はよく世とともに移り変わる、と。私たちの道徳の規範は社会の過去の必要から生まれたものですが、社会は昔のままにとどまるべきものでしょうか。社会の慣習を守るためには、国に対して個人を絶えず犠牲にすることを免れません。教育はその大きな思い違いを続けるために、一種の無知を奨励します。人は真に徳のある人になることを教えられず、行儀正しくせよと教えられるのです。

解説

道徳への痛烈な批判です。定義は常に制限である、不変とは成長が止まったことだ、という二行が鋭い。過去の必要から生まれた規範を今も守ろうとすれば、個人が犠牲になる。そして教育が徳ではなく行儀を教えるという指摘。中身を育てずに形だけを整えさせる教育への批判で、明治の修身教育が念頭にあると読めます。相対性を説く思想が、そのまま社会批判の刃になっている箇所です。

この章句が説くこと

道徳相対定義教育慣習

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる