導師導古典を学びたいすべての人に 法人向けワークシート法人向けワークシート

士道要論 / 士心・外へ走る学問と心を正す学問

心をとりきめたりとも人倫の道に遠ければこゝにいへるすぢとは大にたがへり、されど、後世の學、あるいは禮樂文章をもて學とし、或博覽强記をもて學とし、或訓詁考據をもて學とす、これらも學のかたはしなれど、もぱら是をもて學とせば、外に馳するの弊ありて、己を治め人を治るの本だてとは成がたかるべし、いまこれらの學にむかへていへれば、心の學とはいふなり、もとより禪學とはちがひ、又陸象山、王陽明などのいへるすぢともたがへり、近世一種の心學といへるものあり、愚夫愚婦のためには手近きをしへといふべけれど、士大夫の學には柔和すぎてよからず、こゝにいへる心の學は前後の論をみてしるべし、とにもかくにも、心よりよからずば何でもよきことはあらじ、孔孟の學も心をはなれていづくよりかいできたらんや、ゆへに孟子に、學問之道無他。求其放心而已矣。とあり、眞の學問といはゞ、心を正し意を誠にするより外はあるまじ、しかわあれど、目あてなくていたづらに心のみをもとめなば禪學ともなるべし、邪術ともなるべし、されば、私心をもとむべからずして、道心をこそもとむべけれ、

新字:心をとりきめたりとも人倫の道に遠ければこゝにいへるすぢとは大にたがへり、されど、後世の学、あるいは礼楽文章をもて学とし、或博覧強記をもて学とし、或訓詁考拠をもて学とす、これらも学のかたはしなれど、もぱら是をもて学とせば、外に馳するの弊ありて、己を治め人を治るの本だてとは成がたかるべし、いまこれらの学にむかへていへれば、心の学とはいふなり、もとより禅学とはちがひ、又陸象山、王陽明などのいへるすぢともたがへり、近世一種の心学といへるものあり、愚夫愚婦のためには手近きをしへといふべけれど、士大夫の学には柔和すぎてよからず、こゝにいへる心の学は前後の論をみてしるべし、とにもかくにも、心よりよからずば何でもよきことはあらじ、孔孟の学も心をはなれていづくよりかいできたらんや、ゆへに孟子に、学問之道無他。求其放心而已矣。とあり、真の学問といはゞ、心を正し意を誠にするより外はあるまじ、しかわあれど、目あてなくていたづらに心のみをもとめなば禅学ともなるべし、邪術ともなるべし、されば、私心をもとむべからずして、道心をこそもとむべけれ、

書き下し

心をとりきめたりとも人倫の道に遠ければこゝにいへるすぢとは大にたがへり、されど、後世の學、あるいは禮樂文章をもて學とし、或博覽强記をもて學とし、或訓詁考據をもて學とす、これらも學のかたはしなれど、もぱら是をもて學とせば、外に馳するの弊ありて、己を治め人を治るの本だてとは成がたかるべし、いまこれらの學にむかへていへれば、心の學とはいふなり、もとより禪學とはちがひ、又陸象山、王陽明などのいへるすぢともたがへり、近世一種の心學といへるものあり、愚夫愚婦のためには手近きをしへといふべけれど、士大夫の學には柔和すぎてよからず、こゝにいへる心の學は前後の論をみてしるべし、とにもかくにも、心よりよからずば何でもよきことはあらじ、孔孟の學も心をはなれていづくよりかいできたらんや、ゆへに孟子に、學問之道無他。求其放心而已矣。とあり、眞の學問といはゞ、心を正し意を誠にするより外はあるまじ、しかわあれど、目あてなくていたづらに心のみをもとめなば禪學ともなるべし、邪術ともなるべし、されば、私心をもとむべからずして、道心をこそもとむべけれ、

現代語訳

心を定めたとしても、人として守るべき道から遠ければ、ここで言う筋とは大きく違います。ところが後世の学問は、礼楽や文章を学問とし、あるいは広く見て強く覚えることを学問とし、あるいは訓詁(字句の解釈)や考証を学問としています。これらも学問の一端ではありますが、もっぱらこれを学問とすれば、心が外へ向かう弊害があって、己を治め人を治める根本にはなりにくいでしょう。いまこれらの学問に向けて言うので、心の学と呼ぶのです。もとより禅学とは違い、また陸象山や王陽明などの言う筋とも違います。近ごろ一種の心学というものがあり、愚かな男女のためには手近な教えと言えますが、士大夫の学問には柔和すぎてよくありません。ここで言う心の学は、前後の論を見れば分かります。ともかく、心からしてよくなければ、何事もよいことはないでしょう。孔子・孟子の学も、心を離れてどこから出てきたでしょうか。それで孟子に「学問の道は他にない。その放れた心を求めるだけだ」とあります。真の学問と言うなら、心を正し意を誠にする以外にはないでしょう。とはいえ、目当てなくむやみに心だけを求めれば、禅学ともなり、邪術ともなるでしょう。だから私心を求めてはならず、道心をこそ求めるべきです。

解説

礼楽や博識、字句の解釈だけを学問とすると心が外へ走り、己を治め人を治める本にならないと述べ、心を正し意を誠にすることを真の学問としています。ただし目当てなく心だけを求めれば禅や邪術に傾くので、私心ではなく道心を求めよとも戒めます。現代の管理職にとっても、知識や資格を積むだけでは人は動きません。自分の判断が損得や好き嫌いという私心に偏っていないか、組織の筋道にかなっているかを折に触れて点検することが、ぶれない判断の軸になります。

この章句が説くこと

士道要論斎藤拙堂学問心の学道心私心

関連する章句

『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。

本の中身を見る
本2冊(人生の方程式・人生の教科書)+師導1か月=700円本を見る