学則 / 答屈景山書
不佞懲其若是。凡每値非有師友之素而來相問難者。一切不置對。是不佞之常也。不佞往歲作蘐園隨筆。其時。識見未定。爭心未消。然隨筆之作。自書以自翫。聊以消間。初非以示人也。獨奈誤墮剞劂之手。遂公諸海內。海内諸君子。因謂不佞好辯者。非不佞之心也。今觀來喩。亦在不置對之例。雖然。足下既以無爭心見告。而君家先生。乃不佞自髫年時私心所鄉往。則何必恝然乎。亦唯人心如面。不佞豈能喩諸足下哉。但言不佞所以取李王之故以酬來意。如其取舍。乃在足下。唯足下擇之。
新字:不佞懲其若是。凡毎値非有師友之素而来相問難者。一切不置対。是不佞之常也。不佞往歳作蘐園随筆。其時。識見未定。争心未消。然随筆之作。自書以自翫。聊以消間。初非以示人也。独奈誤堕剞劂之手。遂公諸海内。海内諸君子。因謂不佞好弁者。非不佞之心也。今観来喩。亦在不置対之例。雖然。足下既以無争心見告。而君家先生。乃不佞自髫年時私心所郷往。則何必恝然乎。亦唯人心如面。不佞豈能喩諸足下哉。但言不佞所以取李王之故以酬来意。如其取舎。乃在足下。唯足下択之。
書き下し
不佞其の是くの若きを懲り、凡そ師友の素有るに非ずして来たりて相問難する者に値ふ毎に、一切対を置かず。是れ不佞の常なり。不佞往歳蘐園随筆を作る。其の時、識見未だ定まらず、争心未だ消えず。然れども随筆の作は、自ら書して以て自ら翫び、聊か以て間を消すのみにして、初めより以て人に示すに非ざるなり。独り奈んせん、誤りて剞劂の手に堕ち、遂に諸を海内に公にす。海内の諸君子、因りて不佞を弁を好む者と謂ふ。不佞の心に非ざるなり。今来喩を観るに、亦た対を置かざるの例に在り。然りと雖も、足下既に争心無きを以て告げられ、而して君家の先生は乃ち不佞が髫年の時より私心に郷往する所なれば、則ち何ぞ必ずしも恝然たらんや。亦た唯人心の面の如き、不佞豈に能く諸を足下に喩さんや。但だ不佞の李王を取る所以の故を言ひて以て来意に酬いん。其の取舍の如きは、乃ち足下に在り。唯足下之を択べ。
現代語訳
私はこうした弊を戒めとして、師弟や友人の間柄もないのにやって来て問い詰める人に出会うたびに、一切答えないことにしている。これが私の常である。私は先年『蘐園随筆』を著したが、その頃は見識がまだ定まらず、争う心もまだ消えていなかった。しかし随筆というものは、自分で書いて自分で楽しみ、いささか暇をつぶすためのもので、もともと人に見せるつもりはなかった。ところがどうしたことか、誤って版木屋の手に渡り、とうとう世間に公刊されてしまった。世の諸先生はそれで私を議論好きだと言うが、それは私の本心ではない。いまお手紙を拝見すると、これも答えない場合に当たる。とはいえ、あなたはすでに争う心はないと告げておられ、しかもあなたの家の先生(杏庵)は私が幼い頃から心ひそかに慕ってきた方であるから、どうして冷淡に突き放せようか。ただ、人の心は顔のように違うのだから、私があなたを説き伏せられるはずもない。ただ私が李・王(李攀龍・王世貞)を採る理由を述べて、お手紙の趣旨に応えたい。採るか捨てるかはあなた次第である。どうかあなたが選んでいただきたい。
解説
この章句が説くこと
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