士道要論 / 士心・恒心と労心、士に求められる務め
とありて、死生の際にのぞんでも貧苦艱難の場に居てもうごかざるこゝろなり、勞心とは、孟子に或勞心。或勞力。勞力者食人。勞心者食於人。食於人者治人。食人者治於人。とありて、民をふびんに思ひてきづかふこゝろなり、されば、恒心は士の節操なり、勞心は士の經濟なり、たゞし經濟は民人社稷を司どるものゝ、行ふべきことにて、其職ならでさし出るはいかにと疑ふべけれど、左にあらず、おほよそ、士たるものは四民の首に居て、耕やさずして食ひ、織らずして衣るものなれば、などか耕し織るものゝ、勞にむくゆるの術なかるべけんや、されど、孟子に窮獨善其身。達兼善天下。とありて、同じ士にも窮達のたがひあれば、其時によりて行ひのたがひもあるべし、その位にあらでその政をはかるは、孔子もいましめたまひてさし出ることはよからず、されど、天下を兼ね善くする術も常に心得おかではにはかに行ふことはかなふまじければ、古へをかうがへ道をまなび、文武に達し置べし、これみな天下をよくする術にて、窮達たがひはあるまじ、呂東萊の官箴に、勞心不如勞力とありて、士の心を勞して職分をつくすこと、
新字:とありて、死生の際にのぞんでも貧苦艱難の場に居てもうごかざるこゝろなり、労心とは、孟子に或労心。或労力。労力者食人。労心者食於人。食於人者治人。食人者治於人。とありて、民をふびんに思ひてきづかふこゝろなり、されば、恒心は士の節操なり、労心は士の経済なり、たゞし経済は民人社稷を司どるものゝ、行ふべきことにて、其職ならでさし出るはいかにと疑ふべけれど、左にあらず、おほよそ、士たるものは四民の首に居て、耕やさずして食ひ、織らずして衣るものなれば、などか耕し織るものゝ、労にむくゆるの術なかるべけんや、されど、孟子に窮独善其身。達兼善天下。とありて、同じ士にも窮達のたがひあれば、其時によりて行ひのたがひもあるべし、その位にあらでその政をはかるは、孔子もいましめたまひてさし出ることはよからず、されど、天下を兼ね善くする術も常に心得おかではにはかに行ふことはかなふまじければ、古へをかうがへ道をまなび、文武に達し置べし、これみな天下をよくする術にて、窮達たがひはあるまじ、呂東萊の官箴に、労心不如労力とありて、士の心を労して職分をつくすこと、
書き下し
とありて、死生の際にのぞんでも貧苦艱難の場に居てもうごかざるこゝろなり、勞心とは、孟子に或勞心。或勞力。勞力者食人。勞心者食於人。食於人者治人。食人者治於人。とありて、民をふびんに思ひてきづかふこゝろなり、されば、恒心は士の節操なり、勞心は士の經濟なり、たゞし經濟は民人社稷を司どるものゝ、行ふべきことにて、其職ならでさし出るはいかにと疑ふべけれど、左にあらず、おほよそ、士たるものは四民の首に居て、耕やさずして食ひ、織らずして衣るものなれば、などか耕し織るものゝ、勞にむくゆるの術なかるべけんや、されど、孟子に窮獨善其身。達兼善天下。とありて、同じ士にも窮達のたがひあれば、其時によりて行ひのたがひもあるべし、その位にあらでその政をはかるは、孔子もいましめたまひてさし出ることはよからず、されど、天下を兼ね善くする術も常に心得おかではにはかに行ふことはかなふまじければ、古へをかうがへ道をまなび、文武に達し置べし、これみな天下をよくする術にて、窮達たがひはあるまじ、呂東萊の官箴に、勞心不如勞力とありて、士の心を勞して職分をつくすこと、
現代語訳
とあり、死生の際に臨んでも、貧苦艱難の場にいても動かない心のことです。労心とは、孟子に「或いは心を労し、或いは力を労す。力を労する者は人に食われ、心を労する者は人に食らう。人に食らわるる者は人を治め、人に食う者は人に治めらる」とあって、民を不憫に思って気づかう心のことです。ですから、恒心は士の節操であり、労心は士の経済(世を治め民を救う務め)です。ただし経済は、民や社稷(国家)を司る者が行うべきことで、その職でもないのに出しゃばるのはどうか、と疑うかもしれません。けれどもそうではありません。おおよそ士たる者は四民(士農工商)の首にいて、耕さずに食べ、織らずに着る者なので、耕し織る者の苦労に報いる方法がなくてよいはずがありません。とはいえ、孟子に「窮すれば独りその身を善くし、達すれば兼ねて天下を善くす」とあって、同じ士でも窮達(不遇と栄達)の違いがあるので、その時によって行いも違うでしょう。その位にいないでその政治を論ずるのは、孔子も戒められており、出しゃばるのはよくありません。けれども、天下を兼ねて善くする方法も、常に心得ておかなければ急に行うことはできないので、古を考え、道を学び、文武に達しておくべきです。これらはみな天下をよくする方法であり、窮達の違いはないでしょう。呂東萊の官箴に「心を労するは力を労するに如かず」とあって、士が心を労して職分を尽くすことが、
解説
この章句が説くこと
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『新論』國體下大廈崇甍、靡麗を窮極し、工商の徒、間民及び僧徒を仰ぎて以て自ら衣食する者も、亦尠からずと為す。乞丐の類、其の業を世々にし、以て子を抱き孫を長ずる者、天下其の幾何なるを知らず。博徒閭閻に横行するもの、又其の幾何なるを知らず。巫毉卜筮に仮りて、以て民を誑き財を要むる者、幾何なるを知らず。俳優雑劇、又幾何なるを知らず。其の冗も亦甚だし。而して天下の米穀を銷耗する所以の者、酒・餅餌・麺の類の若き、已に枚挙すべからず。米穀都会に雑遝し、四方より運輸して、火災の燬く所、波濤の没する所も、亦枚挙に勝へず。其の農功を妨ぐる所以の者、茶・蔫の若き、紅茜・蕉・梨の属の若きも、亦勝げて数ふべからず。夫れ浮食の民彼の如く其れ衆く、米穀を糜し農功を妨ぐること此の如く其れ夥しくして、年穀も亦甚だしくは豊穠ならず。然るに天下常に穀の多きに困しみ、粒米狼戻して、天下貧に困しむ者、亦異とすべきなり。
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『新論』國體下凡そ天下の物偏重有れば、則ち其の軽からざる者も亦猶軽きがごとし。故に百物の偏重にして、貨幣の偏軽、百物の偏貴にして、米穀の偏賤なる、是れ其の勢の尤も見易き者なり。而して武士都会に聚処し、終歳用ゐる所、一毫と雖も市に資らざるを得ず。愈々賤き穀を以て、愈々軽き金に易へ、愈々軽き金を以て、愈々貴き物を償ふ。其の費固より給せず。而して其の養ふ所の倍卒も、亦皆奢侈に習ひ、養ふに薄俸を以てすべからず。陪卒を罷めて歳々奴隷を買ふ。(俚語に所謂年季なる者是れなり。)奴隷も亦奢り、亦多く之を畜ふを得ず。故に時に臨みて之を市井に傭ふ。市井も亦奢り、雇銭日に貴く、亦其の給し難きを患ふ。而して其の居家の冗費、妻妾の奉、玩好の用、日に一日より厚く、終歳の入、出づる所を償はず。富人に就きて乞貸し、習ひて以て俗を成す。邦を有ち土を有つと雖も、亦富民に仰給せざる莫し。豪姦大猾、貨財の権を操り、王公を股掌の上に愚弄す。是に於てか天下の富遂に市人に帰す。
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『新論』國體下夫れ武人土を離るれば、其の勢多く卒を養ふを得ず。故に間民を市井に雇ひて、以て騶従に充て工役に供す。間民都城に充斥し、緩急用ゐるべからずして、坐して粱肉に飽く。其の冗為るや大なり。天下の仏寺殆ど五十万、僧尼及び奴隷を通計すれば、其の幾百万なるを知らず。(唐の傅奕高祖に上書して言ふ、僧尼をして匹配せしめば、即ち十余万戸と云云。武宗仏寺を廃し、其の上都及び東都は二寺を留め、節鎮は各々一寺を留め、寺四千六百余区、招提蘭若四万余区を毀ち、僧尼の帰俗する者二十六万五百人、良田数千万頃、奴婢十五万人を収む。之に拠れば則ち唐国の土地の大にして、其の仏寺の多き、神州の十分の一に及ばず。然るに時人尚ほ以て夥しと為す。則ち神州の仏寺も亦盛んなりと謂ふべし。)
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『新論』國體下今夫れ天下米穀の賤くして貨幣の乏しきを患ふ。米穀乃ち賤きに非ざるなり、貨幣乃ち乏しきに非ざるなり、而して百物の甚だ貴きなり。設し斗米の価銀五銭にして、一衣裘も亦五銭ならしめば、則ち斗米以て一衣裘に易ふべし。今木綿の裘と雖も、六七斗を鬻ぐに非ざれば則ち其の直を償ふ能はず。是れ衣裘の貴きにして、穀の賤きに非ざるなり。穀なる者は取りて以て腹に充つるのみ。之を銷すこと限り有り。百物は新を競ひ奇を闘はせ、愈々出でて愈々窮まり無し。乃ち一婦の首飾にして中農一家の産に当たるに至る。銷すこと限り有る者を以てして、愈々出でて窮まり無き者を逐ふ。百物の皆貴き所以にして、米穀の独り賤き所以なり。
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『新論』國體下古者百事簡易にして、四民勤動し、其の営求する所の者は、功を通じ事を易ふるに過ぎず。之を生ずること甚だ広くして、用途甚だ狭し。朝廷漸く奢靡を尚ぶに及び、国家の用を貶して、以て婦女の玩好に供し、異化の徒横肆して、天下の財を傾けて、以て堂宇を造り、天下の穀を糜して、以て浮冗を食はしむ。藤氏権を専らにして、権勢の家、私儲を営み私人を蓄へ、荘園天下に遍く、其の正税を出だして以て王事に供する者幾ばくも無し。而して権勢の私人、所謂守護地頭なる者、又財穀を私儲して富厚世を累ね、国郡に拠有して、天下の富遂に武人に移る。然れども兵なる者は民社を鎮むる所以なり。天下の武士各々私卒を養ふ、亦未だ冗食と為さず。故に古者天下乱ると雖も、而も未だ甚だしくは貧に苦しまざるなり。今天下治平にして、上下皇皇として、唯だ貧を是れ患ふる者は何ぞや。天下の財を理むること其の道を得ざればなり。
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『新論』國體下且つ夫れ都会も亦多く無用の穀を儲ふる能はず。故に都会の穀と雖も、亦以て都会の人を食はしめて稍余り有るに過ぎざるのみ。其の実は甚だしくは多からざるなり。凡そ盈縮の数、其の実は甚だしくは相遠からずして、其の勢は相霄壌たるが如き者有り。之を啖ひて飽く者に譬ふ。既に腹に充つれば、稍一分を多くすれば、則ち甚だ余り有るが如し。未だ飽くに及ばざれば、一分を少なくすれば、則ち大いに足らざるが如し。是れ其の過不及の差為ること眇少なるのみ。然れども其の足らざる者を取りて、之を余り有る者に比すれば、盈虚の相去ること、大いに相懸たるが如き者は勢なり。故に曰く、天下の穀未だ嘗て多からず、而して都会の穀も亦未だ甚だしくは多からざるなりと。

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