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新論 / 國體下

且夫都會亦不能多儲無用之穀、故雖都會之穀、亦不過以食都會人而稍有餘已、其實不甚多也、凡盈縮之數、其實不甚相遠、而其勢有如相霄壤者、譬之啖而飽者、既充腹矣、而稍多一分、則如甚有餘、未及飽矣、而少一分、則如大不足、是其過不及之爲差眇少耳、然取其不足者、比之有餘者、盈虚之相去、如大相懸者勢也、故曰天下之穀未嘗多、而都會之穀亦未甚多也、

新字:且夫都会亦不能多儲無用之穀、故雖都会之穀、亦不過以食都会人而稍有余已、其実不甚多也、凡盈縮之数、其実不甚相遠、而其勢有如相霄壤者、譬之啖而飽者、既充腹矣、而稍多一分、則如甚有余、未及飽矣、而少一分、則如大不足、是其過不及之為差眇少耳、然取其不足者、比之有余者、盈虚之相去、如大相懸者勢也、故曰天下之穀未嘗多、而都会之穀亦未甚多也、

書き下し

且つ夫れ都会も亦多く無用の穀を儲ふる能はず。故に都会の穀と雖も、亦以て都会の人を食はしめて稍余り有るに過ぎざるのみ。其の実は甚だしくは多からざるなり。凡そ盈縮の数、其の実は甚だしくは相遠からずして、其の勢は相霄壌たるが如き者有り。之を啖ひて飽く者に譬ふ。既に腹に充つれば、稍一分を多くすれば、則ち甚だ余り有るが如し。未だ飽くに及ばざれば、一分を少なくすれば、則ち大いに足らざるが如し。是れ其の過不及の差為ること眇少なるのみ。然れども其の足らざる者を取りて、之を余り有る者に比すれば、盈虚の相去ること、大いに相懸たるが如き者は勢なり。故に曰く、天下の穀未だ嘗て多からず、而して都会の穀も亦未だ甚だしくは多からざるなりと。

現代語訳

しかも都会も、使い道のない穀物を多く蓄えておくことはできない。だから都会の穀物といっても、都会の人を養ってやや余りがある程度にすぎず、実際にはそれほど多くはない。およそ満ちているか欠けているかの数は、実際にはそれほど隔たっていないのに、その見え方は天と地ほども違うことがある。たとえば食べて満腹になった人のようなものだ。すでに腹が満ちていれば、わずか一分多いだけでひどく余っているように感じる。まだ満腹に至っていなければ、一分少ないだけで大いに足りないように感じる。これは過不足の差がごくわずかだということにすぎない。しかし足りない者を取り上げて余っている者と比べれば、満ち欠けの差がひどくかけ離れているように見えるのは、形勢のせいである。だから、天下の穀物はこれまで多かったことはなく、都会の穀物もまたそれほど多くはないというのである。

解説

正志斎は、都会の米も実は多くないと念を押し、満腹の人と空腹の人のたとえで、実際のわずかな過不足が見かけ上は天地ほどの差に感じられる仕組みを説く。数量の実態と、人の感じ方や見え方としての「勢」とを区別する議論である。米価の暴落や高騰が、実際の需給のわずかな差から生じうることを直観的に捉えた経済分析といえる。現代の市場でも、需給のわずかな偏りが価格や人々の不安を大きく揺らすことがある。印象に流されず、実際の量と見かけの勢いを分けて考える姿勢として学ぶことができる。

この章句が説くこと

経済需給米価実態判断新論

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