司馬法 / 天子之義
大敗不誅,上下皆以不善在己。
書き下し
大敗には誅(ちゅう)せず、上下皆不善は己に在りと以(おも)う。
現代語訳
大敗を喫しても罰しない、上下の者は皆、不首尾の原因は自分にあると考える。
解説
大きな敗北を喫しても罰することなく、上の者も下の者も皆、うまくいかなかった原因は自分にあると考えるという、現代のノーブレーム文化にも通じる句である。犯人捜しをして誰かを罰したところで失敗の再発は防げず、むしろ関わった一人ひとりが我が事として振り返ることの方が次につながる。うまくいかなかったときに人を責めるか自らを省みるかが、その後の立て直しの速さを左右する。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
ノーブレーム反省再発防止
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史記 秦本紀繆公客礼を以て之を礼し、戎を伐つの形を問ふ。三十六年、繆公復た益孟明等を厚くし、兵を将ゐて晋を伐たしむ。河を渡りて船を焚き、大いに晋人を敗り、王官及び鄗を取り、以て殽の役に報ゆ。晋人皆城守して敢へて出でず。是に於て繆公乃ち茅津より河を渡り、殽中の尸を封じ、為に喪を発し、之を哭すること三日。乃ち軍に誓ひて曰く、「嗟士卒、聴きて譁しき無かれ、余誓ひて汝に告ぐ。古の人は謀るに黄髪番番たるに則れば、則ち過つ所無し」と。以て蹇叔・百里傒の謀を用ゐざりしを申思す。故に此の誓を作り、後世をして以て余が過ちを記さしむ。君子之を聞き、皆為に涕を垂れて、曰く、「嗟乎、秦の繆公の人に与すること周きや、卒に孟明の慶を得たり」と。三十七年、秦由余の謀を用ゐて戎王を伐ち、国を益すこと十二、地を開くこと千里、遂に西戎に霸たり。天子召公過をして繆公を賀するに金鼓を以てせしむ。
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尚書・秦誓公曰く、「嗟(ああ)!我が士よ。聴きて嘩しくすること無かれ。予誓ひて汝に群言の首を告ぐ。古人言へる有り、曰く、『民は自ら是くの若くするを訖せば、盤しむこと多し。
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『呻吟語』内篇・修身・腳を放ちて行けば日日長進を見る頭を回らせて看れば、年年過差有り。腳を放ちて行けば、日日長進を見る。
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『家道訓』巻之四・用財上一士として、財利をむさぼり、吝嗇にして廉恥の志なく、親戚故旧の貧窮をめぐまず、われにしたしき人、我が采地の農人などの飢饉を見ても、心つよくしてすくはず。親戚朋友の礼義をつとめず。或は、あたふべき者にあたへず、取るまじき物をとり、人の財を用ひてつぐのはず。もしこの事我が身に一もあらば、是をいましむべし。人のよきあしきを見るも、皆我が身のかがみなり。善を見ては是を学び、悪を見ては我が身にも是ありやとかへりみるべし。如此すれば、人の善悪を見て、皆我か身の益となる。人の悪しきを謗らずして、我が身を省るべし。およそ鰥寡孤独貧窮にしてたよりなきもの、我が分にしたがひ、力の及ぶほどはすくふべし。これをすくふに財ををしむべからず。
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「人を愛して親しまずんば、其の仁に反れ。人を治めて治まらずんば、其の智に反れ。人を禮して答えずんば、其の敬に反れ。行いて得ざる者有れば、皆諸を己に反求す。其の身正しければ天下之に歸す。詩に云う、『永く言、命を配し、自ら多福を求む。』」
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『講孟余話』公孫丑下 第四章牛羊の喩へ甚だ好し。牛羊は人家に畜ふ所にして、一日も牧と芻となければ済まざるは人々知る所なり。況や民庶に至りては牛羊の比すべきに非ず。而るに窮民街に叫び、餓莩途に充つれども、却つて是れを知らず、是れを顧みず、是れ大いに怪しむべきに非ずや。是れ他なし、民を視ること牛羊に如かず、民を親しむこと牛羊に如かざるに由るなり。噫、民を牧する者、能く牛羊を牧するの心を以てせば、不仁の譏りを免れんか。若し夫れ罪を知りて改めざる者は、真に如何ともすべからざるの人なり。人の患は罪を犯して罪を知らざるにあり、是れ誠に憐むべし。今他人ありて其の罪を告げ知らしむ、其の人自ら罪を知る、而るに猶ほ且つ改めず、然れば則ち又更に告ぐべき様なし。世間を歴観するに此くの如きの人甚だ多し。共に忠孝仁義の美なるをも知り、不忠不孝不仁不義の悪なるをも知りつれども、其の行を省みれば、一つとして忠孝仁義に似たることなき者あり。是れ罪を知りて改めざる者にして、孔距心・宣王の流なり。