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国語 / 晋語七

韓獻子老,使公族穆子受事於朝。辭曰:「厲公之亂,無忌備公族,不能死。臣聞之曰:『無功庸者,不敢居高位。』今無忌,智不能匡君,使至於難,仁不能救,勇不能死,敢辱君朝以忝韓宗,請退也。」固辭不立。悼公聞之,曰:「難雖不能死君而能讓,不可不賞也。」使掌公族大夫。

新字:韓献子老,使公族穆子受事於朝。辞曰:「厲公之乱,無忌備公族,不能死。臣聞之曰:『無功庸者,不敢居高位。』今無忌,智不能匡君,使至於難,仁不能救,勇不能死,敢辱君朝以忝韓宗,請退也。」固辞不立。悼公聞之,曰:「難雖不能死君而能譲,不可不賞也。」使掌公族大夫。

書き下し

韓献子(かんけんし)老ゆ。公族穆子(ぼくし)をして事を朝に受けしめんとす。辞して曰く、「厲公の乱に、無忌(むき)公族に備わりて、死する能わず。臣之を聞く、曰く、『功庸(こうよう)無き者は、敢えて高位に居らず』と。今無忌、智は君を匡(ただ)す能わずして、難に至らしめ、仁は救う能わず、勇は死する能わず。敢えて君の朝を辱めて以て韓宗を忝(はずかし)めんや。請う退かん」と。固く辞して立たず。悼公之を聞きて、曰く、「難に死する能わずと雖も能く譲る。賞せざるべからざるなり」と。公族大夫を掌(つかさど)らしむ。

現代語訳

韓献子(韓厥、晋の正卿)が年老いて引退することになり、長子の公族大夫穆子(韓無忌)に朝廷で職を継がせようとした。穆子は辞退して言った。「厲公の乱のとき、わたしは公族大夫の列にありながら、君のために死ぬことができませんでした。わたしは『功績のない者は、高い地位にいてはならない』と聞いております。いまわたしは、知恵は君を正すに足りず、君を災難に至らせてしまいました。仁は君を救うに足りず、勇は死ぬに足りませんでした。どうして君の朝廷を辱め、韓の一族の名を汚すことができましょう。どうか退かせてください。」穆子は固く辞退して位に就かなかった。悼公はこれを聞いて言った。「君の難に死ぬことはできなかったが、位を譲ることはできた。賞さないわけにはいかない。」そして穆子に公族大夫を統べさせた。

解説

晋の重臣韓厥(献子)が引退するにあたり、長子の韓無忌(穆子)に卿の位を継がせようとしたが、無忌が固辞した章である。無忌は厲公が殺されたとき公族大夫の職にありながら死ななかったことを恥じ、「功庸無き者は高位に居らず」と言って、知・仁・勇のいずれも足りなかったと自らを責めた。悼公はこれを聞き、死ねなかったことより譲れたことを評価して、公族大夫を統べる役に就けた。卿の位は弟の韓起(宣子)が継ぎ、のちに晋の正卿となる。『春秋左氏伝』襄公七年は、無忌が病を理由に弟に譲ったと伝え、その譲りを仁として記している。自分の過去の不足を理由に地位を辞することは、責任の取り方の一つである。それを見て罰でなく別の役で報いた悼公の判断もあわせて読むべきで、退く人を切り捨てない長のあり方が示されている。

この章句が説くこと

国語晋語譲責任韓氏

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