洗心洞箚記 / 卷下・第百三十三條
陸子曰、後世言寬仁者、類出於姑息、殊不知苟不出於文致、而當其情、是乃實仁也、故吾嘗曰、虞舜孔子之寬仁、吾於四裔兩觀之間見之、又曰、臨安四聖觀、六月間、傾城士女咸出禱祠、或問何以致人歸鄕如此、答曰、只是賞罰不明、陸子經世之才、見於此二條、昔人比陸子於伊尹在華時、而陽明子大功業、做出子靜事功來云、是非無謂也、學者宜留心焉、
新字:陸子曰、後世言寛仁者、類出於姑息、殊不知苟不出於文致、而当其情、是乃実仁也、故吾嘗曰、虞舜孔子之寛仁、吾於四裔両観之間見之、又曰、臨安四聖観、六月間、傾城士女咸出祷祠、或問何以致人帰郷如此、答曰、只是賞罰不明、陸子経世之才、見於此二条、昔人比陸子於伊尹在華時、而陽明子大功業、做出子静事功来云、是非無謂也、学者宜留心焉、
書き下し
陸子曰く、後世寛仁を言ふ者は、類ね姑息に出づ。殊に知らず、苟も文致に出でずして、其の情に当たらば、是れ乃ち実の仁なることを。故に吾嘗て曰く、虞舜孔子の寛仁は、吾四裔両観の間に於いて之を見る、と。又曰く、臨安の四聖観、六月の間、城を傾けて士女咸な出でて禱祠す。或ひと問ふ、何を以て人の帰郷すること此くの如きを致すか、と。答へて曰く、只だ是れ賞罰明らかならざればなり、と。陸子経世の才は、此の二条に見ゆ。昔人陸子を伊尹の莘に在りし時に比し、而して陽明子の大功業は、子静の事功を做し出だし来たると云ふ。是れ謂はれ無きに非ざるなり。学者宜しく心を留むべし。
現代語訳
陸子は言う。「後世、寛大な仁を言う者は、たいてい一時しのぎの甘さから出ている。まったく知らないのだ、かりにも法をこじつけて罪に陥れるのでなく、その実情に当たって処断するなら、それこそが実の仁であることを。だから私はかつて『虞舜や孔子の寛仁は、四凶を四方の辺境に追放したことと、両観(宮門の楼)のもとで少正卯を誅したこととの間に見る』と言ったのである」。また言う。「臨安の四聖観には、六月になると町じゅうの男女がみな出かけて祈る。ある人が『どうして人々がこれほど心を寄せるのか』と問うと、『ただ賞罰が明らかでないからだ』と答えた」。陸子の世を治める才は、この二条に見える。昔の人は陸子を、伊尹が莘の野にいた時(まだ用いられる前)にたとえ、また陽明子の大きな功業は、子静(陸九淵)の事功を実地にやってみせたものだと言った。これは理由のないことではない。学ぶ者はよく心に留めるべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷中問ふ。何を以てか賞罰能く其の功罪に当たることを得ん。曰く、賞罰各其の功罪に当たらんことを欲する者は、政を為す者の心なり。然れども賞罰各其の功罪に当たらんと欲すれば、則ち罰は必ず過ぎて、賞は必ず及ばず。罰過ぎて賞及ばざれば、則ち人心睽く。人心睽けば、則ち国危ふし。故に聖人は其の賞を過ぎて、其の罰を減ず。其の賞を過ぎて、其の罰を減ずれば、則ち賞罰自ら其の当を得。書に曰く、罪の疑はしきは惟軽くし、功の疑はしきは惟重くす。其の不辜を殺さんよりは、寧ろ不経に失せよ、と。是れなり。孔子曰く、惟仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む、と。蓋し人の善を好むは、毎に及び難く、而して人の悪を悪むは、必ず過ぎ易し。惟仁人は人を愛すること深し。故に好悪能く其の実に中る。賞罰の能く其の功罪に当たるも、亦然り。
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『童子問』卷中治道の要を問ふ。曰く、文其の武に勝てば、則ち国祚修し。武其の文に勝てば、則ち国脈蹙まる。賞其の罰に勝てば、則ち刑罰清くして、民心安し。罰其の賞に勝てば、則ち刑罰乱れて、民心揺らぐ。
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『韓非子』外儲説右下第三十五夫れ賞は之を勧むる所以にして、毀存す。罰は之を禁ずる所以にして、誉加はる。民中立して由る所を知らず、
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『韓非子』初見秦第一賞を言ひて則ち与へず、罰を言ひて則ち行はず、賞罰信ならず、故に士民死せざるなり。
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『韓非子』外儲説右下第三十五一。賞罰共にすれば則ち禁令行はれず。何を以て之を明らかにする。之を明らかにするに造父・於期を以てす。
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孫子・行軍篇數々賞する者は、窘するなり。數々罰する者は、困しむなり。先に暴にして後に其の衆を畏るる者は、不精の至りなり。来たりて委謝する者は、休息を欲するなり。
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