洗心洞箚記 / 卷下・第百三十二條
因思後之敎者、不法孔子、則必誤人矣、今使自悟而入焉者、必修而後學道、則自生不屑之心、使自修而入焉者、必悟而後學道、則亦起不及之歎、是非誤人乎、雖然平準聰明之與質朴、則彼少而此多矣、然則流于讀書一偏者十之七、宜哉、朱子之敎滿布乎天下、而陸子之敎有隱見焉、然後之豪傑節義之士、多出於陽明子之門、則此豈非陸子之餘澤乎、且明亡淸興、出羣之才而倡朱學者、皆多啓發於陽明子者也、然阿時之好惡、攻王而擊陸、終成一代風、如陸淸獻者其撰也、然其太極論、是全襲良知之說以製者也、故謂之陽朱陰王可也、
新字:因思後之教者、不法孔子、則必誤人矣、今使自悟而入焉者、必修而後学道、則自生不屑之心、使自修而入焉者、必悟而後学道、則亦起不及之嘆、是非誤人乎、雖然平準聰明之与質朴、則彼少而此多矣、然則流于読書一偏者十之七、宜哉、朱子之教満布乎天下、而陸子之教有隠見焉、然後之豪傑節義之士、多出於陽明子之門、則此豈非陸子之余沢乎、且明亡清興、出羣之才而倡朱学者、皆多啓発於陽明子者也、然阿時之好悪、攻王而撃陸、終成一代風、如陸清献者其撰也、然其太極論、是全襲良知之説以製者也、故謂之陽朱陰王可也、
書き下し
因りて思ふに、後の教ふる者、孔子に法らずんば、則ち必ず人を誤らん。今自ら悟りて入る者をして、必ず修めて後に道を学ばしめば、則ち自ら不屑の心を生じ、自ら修めて入る者をして、必ず悟りて後に道を学ばしめば、則ち亦及ばざるの歎を起こす。是れ人を誤るに非ずや。然りと雖も聡明と質朴とを平準すれば、則ち彼は少なくして此は多し。然らば則ち読書一偏に流るる者十の七なり。宜なるかな、朱子の教へは天下に満布して、陸子の教へは隠見有り。然れども後の豪傑節義の士、多く陽明子の門より出づ。則ち此れ豈に陸子の余沢に非ずや。且つ明亡び清興りて、出群の才にして朱学を倡ふる者、皆多く陽明子より啓発せらるる者なり。然れども時の好悪に阿りて、王を攻め陸を撃ち、終に一代の風を成す。陸清献の如きは其の撰なり。然れども其の太極論は、是れ全く良知の説を襲ひて以て製する者なり。故に之を陽朱陰王と謂ひて可なり。
現代語訳
そこで思うに、後世の教える者が孔子に倣わなければ、必ず人を誤らせるだろう。いま自ら悟って入る者に、必ず修めてから道を学ばせれば、自然と取るに足らぬと見下す心を起こし、自ら修めて入る者に、必ず悟ってから道を学ばせれば、やはり及ばないという嘆きを起こす。これは人を誤らせることではないか。とはいえ聡明な者と質朴な者をならして見れば、前者は少なく後者は多い。そうであれば読書一辺倒に流れる者が十人に七人である。もっともなことだ、朱子の教えが天下に満ちわたり、陸子の教えが見え隠れするのは。しかし後の豪傑や節義の士は、多く陽明子の門から出た。これこそ陸子の残した恵みではないか。また明が滅び清が興ってから、抜きん出た才で朱子学を唱えた者も、多くは陽明子から啓発された者である。それなのに時勢の好みに迎合して、王(陽明)を攻め陸(象山)を撃ち、ついに一代の風潮となった。陸清献(陸隴其)のような者はその代表である。しかし彼の太極論は、まったく良知の説を借りて作ったものである。だからこれを、表は朱子学で裏は王学、陽朱陰王と言ってよい。
解説
この章句が説くこと
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『洗心洞箚記』卷上・第百六十三條殊に其の太極論を推究するに、他特に太極の二字を以て良知の二字に易ふるのみ。故に今試みに復た良知の二字を以て太極の二字に易ふれば、則ち依然として姚江の口角筆勢にして、紫陽末派の辞気に非ざるなり。明眼の君子孫湯の如きは、定めて当に我に先だちて之を観破すべし。故に陸氏姚江を攻撃して余力を遺さずと雖も、断じて之を陽朱陰王と謂ひて可なり。人如し然りと為さずんば、則ち只陸隴其の学と謂ひて可なり、朱学と謂ふは不可なり。朱学の純は、薛氏及び胡敬斎、溯りては許魯斎・真西山の如き、或は庶幾からん。其の他、呂晩村・張楊園の如き諸先輩も、皆亦陸氏の類なり。人如し心を平らかにし気を易くして、其の諸家の書を読みて、以て其の意を究めば、則ち当に吾に左右袒するの心有らざるを知るべきか。
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『洗心洞箚記』卷上・第百八十條陸稼書等、清に仕へて顕職に登り、朱学を尊ぶも、実は之を尊ぶに非ざるなり。王子良知の教を抑へんが為のみ。曷為れぞ王子良知の教を抑ふるや。是れ清の君臣、別に意の在る有り。識者当に黙して之を識るべし。故に稼書等は只上の意に阿り、以て終に無稽の言を吐くに至る。然れども其の本心に非ず、只生死利害の心未だ脱せざるを以てなり。嘆ずべきの甚だしきに非ずや。且つ龍渓・心斎・近渓の末流の弊、固より多しと雖も、然れども之を以て少んずべからず。孔門に在りて其の正宗を伝ふる者は、顔・曾の二人のみ。子夏・子路等の再伝は、皆弊有り。之を以て子夏・子路等を罪せば、則ち亦刻ならずや。故に吾、二王と羅との三子を恕するは、此を以てなり。
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『洗心洞箚記』卷上・第百八十條文成の学、之を当時に伝ふる者は、鄒文荘の若き、欧陽文荘の若き、羅文恭の若き、皆粋然として疵無き者なり。沿ひて鹿忠節・蔡忠襄・孟雲浦・黄石斎に及び、謹んで宗旨を守り、而して蕺山劉先生、闡揚洗滌し、尤も厥の成を集む。実に有明一代の道統を扶翼し、名教を主持するの帰為り。而して近ごろの文成を宗述する者、孫蘇門・李二曲・黄黎洲の諸先生の若きは、率ね皆修持邃密にして、経済通明なり。侍御、尽く挙げて之を貶抑せんと欲するも、亦能はざるなり。且つ侍御の宗とする所の者は、陳清瀾の学蔀通辯と、近今の□□□・応潜斎・張武承の言の如きに過ぎざるのみ。彼の生平の行誼を以て、前哲に視べて何如と為すや。余の深く侍御の為に惜しむ者は此れなり。三魚堂集出でてより、奉じて枕秘と為す者、益々復た簧鼓を恣にし、戈矛を逞しくし、文成を排撃するに非ざれば功と為さざる者の若し。然れども文成の緒言は幾ど絶え、而して朱子の学も、卒に未だ明らかなること有らざるなり。是れ豈に侍御の初志ならんや。嗚呼、良知喪びて、害の世道人心に中る者深し。即ひ強ひて之を縄すに居敬窮理を以てするも、其の色荘口講と為らざる者は鮮し。
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『洗心洞箚記』卷上・第百六十三條道の要は、陽明先生より前は、未だ天下に明らかならず、而して陽明先生を経て、始めて天下に明らかなり。吾何を以て之を知る。世に朱学の純儒と称する所の薛敬軒・陸稼書二子の言を以て之を知る。薛氏曰く、「道は濂洛関閩に至りて明らかなり。今其の書存すと雖も、吾道の要何くに在るかを知らず」と。而して其の学を語る、未だ間支離の疵有るを免るること能はざるなり。陸氏の学を論ずるは、則ち却つて知行並び進むと為し、而して其の太極論は、諸を浚渺に求めずして、諸を吾が心に求め、易簡直截にして、更に向来支離の病無し。吾意ふに薛氏の学徳未だ必ずしも陸氏の下に在らず、而して陸氏の識見も、亦未だ必ずしも薛氏の上に出でざるなり。而して薛氏要無きを歎ずること彼の如く、陸氏要を握るを語ること此の如きは、則ち陸氏豈に陽明先生に開明せられて、陰に要を良知に得たる者に非ずや。然らずんば則ち薛氏嘗て要無きの歎有るべからず、而して其の支離の疵を免るること、当に陸氏の先に在るべし。故に曰く、道の要は、陽明先生より前は、未だ天下に明らかならず、而して陽明先生を経て、始めて天下に明らかなりと。
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『洗心洞箚記』卷下・第百二十七條能く之を観れば則ち事事言言、都て心に帰す。而して陸子の説と分毫も異ならざるなり。然れども陸子は則ち其の言常に峻なるのみ。朱子の如きは則ち温にして厳なり。是れ性の然らしむる所にして、人力の及ぶ所に非ざるなり。而して朱陸異同の争ひは、其の門人の勝心より起こる。斯の義や徐存斎黄石斎、周巣軒施愚山の諸先生弁白して尽くせり。吾も亦た何ぞ贅せん。只だ吾が輩旦暮利欲の中に展転して、知覚せざるの瞽聾を治めずして、自ら朱子を学ぶと謂ふと雖も、朱子の霊、決して受けず。自ら陸子を学ぶと謂ふと雖も、陸子の霊も、亦た決して受けず。然らば則ち之を目して俗学と謂ふの外名号無し。吁、愧づべし、又悲しむべし。
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『洗心洞箚記』卷下・第百二十九條書を観ること果して虚心平気なるか。庸人の言と雖も、義に協ふ者は則ち果して之を容るるか。伝ふる所と雖も、疑ひ有れば則ち審択を加ふるか。夫れ末学の弊は、大人君子の言と雖も、棄てて土苴の如くす。則ち何ぞ敢へて庸人の言を容れん。何ぞ敢へて其の伝ふる所の疑はしき者を審択せんや。然らば則ち朱子公正寛弘の胸臆と、氷炭黒白の如く然り。此にして門戸を立つるは、客気勝心の祟りに非ずや。心を遺れて以て記覧誦説に従事するか。書を束ねて読まず、坐して空妙を談ずるか。前なれば則ち卑陋に流れ、後なれば則ち釈老に堕つ。朱学の弊は彼に似、陸学の弊は此に似たり。倶に聖学に非ず。是れ乃ち朱子の恐るる所にして、陸子も亦慮る所なり。経を廃して史を治むるか。王道を略して霸術を尊ぶか。古今を極論して心を察せざるか。汎観博取するか。若し此の数の病有らば、則ち陳同甫の流にして、程朱の子弟に非ざるなり。然れども程朱の名を借りて、陰に同甫の学を襲ふ者、比比として有り。此れ朱門の罪人に非ずして何ぞや。嗚呼、吾朱子の言を引きて、末学の弊を歴数す。豈に他有らんや。只だ後進終に朱学の本色を知る能はずして、善人の世に殖えざらんことを恐る。故に云云す。誠意もて学を為すの人に非ずんば、孰か能く其の心を察識せんや。
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