洗心洞箚記 / 卷上・第百八十條
陸稼書等、仕淸而登顯職、尊朱學、實非尊之也、爲抑王子良知之敎而已、曷爲抑王子良知之敎耶、是淸君臣別有意在焉、識者當默而識之矣、故稼書等只阿上之意、以終至於吐無稽之言、然非其本心、只以生死利害之心未脫也、非可嘆之甚乎、且龍溪心齋近溪末流之弊雖固多、然以之不可少焉、在孔門傳其正宗者、顏曾二人而已耳、子夏子路等之再傳、皆有弊焉、以之罪子夏子路等則不亦刻乎、故吾恕二王與羅之三子、以此也、
新字:陸稼書等、仕清而登顕職、尊朱学、実非尊之也、為抑王子良知之教而已、曷為抑王子良知之教耶、是清君臣別有意在焉、識者当黙而識之矣、故稼書等只阿上之意、以終至於吐無稽之言、然非其本心、只以生死利害之心未脱也、非可嘆之甚乎、且竜渓心斎近渓末流之弊雖固多、然以之不可少焉、在孔門伝其正宗者、顔曽二人而已耳、子夏子路等之再伝、皆有弊焉、以之罪子夏子路等則不亦刻乎、故吾恕二王与羅之三子、以此也、
書き下し
陸稼書等、清に仕へて顕職に登り、朱学を尊ぶも、実は之を尊ぶに非ざるなり。王子良知の教を抑へんが為のみ。曷為れぞ王子良知の教を抑ふるや。是れ清の君臣、別に意の在る有り。識者当に黙して之を識るべし。故に稼書等は只上の意に阿り、以て終に無稽の言を吐くに至る。然れども其の本心に非ず、只生死利害の心未だ脱せざるを以てなり。嘆ずべきの甚だしきに非ずや。且つ龍渓・心斎・近渓の末流の弊、固より多しと雖も、然れども之を以て少んずべからず。孔門に在りて其の正宗を伝ふる者は、顔・曾の二人のみ。子夏・子路等の再伝は、皆弊有り。之を以て子夏・子路等を罪せば、則ち亦刻ならずや。故に吾、二王と羅との三子を恕するは、此を以てなり。
現代語訳
陸稼書(陸隴其)らは清に仕えて高い職に登り、朱子学を尊んだが、実はそれを尊んだのではない。王子(王陽明)の良知の教えを抑えるためにすぎなかった。なぜ王子の良知の教えを抑えたのか。それは清の君臣に別の意図があったからである。見識ある者は黙ってそれを察するがよい。だから稼書らはただ上の意向にへつらい、ついにはでたらめな言葉を吐くに至った。しかしそれは本心ではなく、ただ生死や利害にとらわれる心からまだ抜け出ていなかったためである。まことに嘆かわしいことではないか。また、龍渓(王畿)・心斎(王艮)・近渓(羅汝芳)の末流の弊害はもとより多いが、それを理由に彼らを軽んじてはならない。孔子の門で正統を伝えたのは、顔回と曾子の二人だけである。子夏や子路らの再伝の弟子には、みな弊害がある。それを理由に子夏や子路らを罰するなら、それもまた酷ではないか。私が二人の王氏と羅氏の三人を許すのは、このためである。
解説
この章句が説くこと
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