洗心洞箚記 / 卷下・第百三十二條
吳草廬辨朱陸之學曰、朱子之敎人也、必先之讀書講學、陸子之敎人也、必使眞知實踐、讀書講學者、固以爲眞知實踐之地、眞知實踐者、亦必自讀書講學而入、二師之爲敎一也、而二家庸劣之門人、各立標榜、互相詆訾、至于今學者猶惑、甚矣道之無傳、而人人易惑難曉也、吳子此辨乃破的之論、而決非調停之謂也、然推陸子之意、以德性爲主本、而問學則特爲栽培灌漑之意、亦不可掩也、一條曰、田地淨潔、又曰、假寇兵、資盜糧、二條曰、只是兒童之學、三條曰、求師友之心、豈可不汲汲也、四條曰、一擇交、二隨身規矩、此皆冠乎讀書、然而五條曰、束書不觀、游談無根、及爾後四條、看經看註、與看古書之云、其未嘗空讀書之功、於是又可見矣、
新字:呉草廬弁朱陸之学曰、朱子之教人也、必先之読書講学、陸子之教人也、必使真知実践、読書講学者、固以為真知実践之地、真知実践者、亦必自読書講学而入、二師之為教一也、而二家庸劣之門人、各立標榜、互相詆訾、至于今学者猶惑、甚矣道之無伝、而人人易惑難暁也、呉子此弁乃破的之論、而決非調停之謂也、然推陸子之意、以徳性為主本、而問学則特為栽培灌漑之意、亦不可掩也、一条曰、田地浄潔、又曰、仮寇兵、資盗糧、二条曰、只是児童之学、三条曰、求師友之心、豈可不汲汲也、四条曰、一択交、二随身規矩、此皆冠乎読書、然而五条曰、束書不観、游談無根、及爾後四条、看経看註、与看古書之云、其未嘗空読書之功、於是又可見矣、
書き下し
呉草廬朱陸の学を辨じて曰く、朱子の人を教ふるや、必ず之に読書講学を先にす。陸子の人を教ふるや、必ず真知実践せしむ。読書講学は、固より以て真知実践の地と為し、真知実践は、亦必ず読書講学よりして入る。二師の教へを為すこと一なり。而るに二家庸劣の門人、各々標榜を立て、互ひに相詆訾し、今に至るまで学者猶ほ惑ふ。甚しいかな道の伝ふる無くして、人人惑ひ易く暁り難きや、と。呉子の此の辨は乃ち的を破るの論にして、決して調停の謂に非ざるなり。然れども陸子の意を推せば、徳性を以て主本と為して、問学は則ち特に栽培灌漑の意と為すも、亦掩ふべからざるなり。一条に曰く、田地浄潔と。又曰く、寇に兵を仮し、盗に糧を資すと。二条に曰く、只だ是れ児童の学と。三条に曰く、師友を求むるの心、豈に汲汲たらざるべけんやと。四条に曰く、一に交を択べ、二に身に随ふ規矩と。此れ皆読書に冠らしむ。然り而して五条に曰く、書を束ねて観ずんば、游談根無しと。及び爾後の四条、経を看註を看ると、古書を看るとの云ひは、其の未だ嘗て読書の功を空しくせざること、是に於いて又見るべし。
現代語訳
呉草廬(呉澄)は朱陸の学を論じて言う。「朱子が人を教えるときは、必ずまず読書と講学をさせた。陸子が人を教えるときは、必ず真に知り実践させた。読書と講学はもともと真に知り実践するための土台であり、真に知り実践することもまた必ず読書と講学から入る。二人の師の教えは一つである。それなのに両家の凡庸で劣った門人たちが、それぞれ看板を掲げて互いにそしり合い、今に至るまで学ぶ者はなお迷っている。はなはだしいことだ、道が伝わらず、人々が迷いやすく悟りにくいことは」。呉子のこの論はまさに的を射たものであって、決して両者をとりなすための言ではない。しかし陸子の意を推し量れば、徳性を根本とし、問学(学問)は特にそれを育て潤す役目としていたことも、また覆い隠せない。第一条に「田地を清らかに」と言い、また「賊に武器を貸し、盗人に食糧を与える」と言い、第二条に「子どもの学問にすぎない」と言い、第三条に「師友を求める心が切実でないことがあろうか」と言い、第四条に「一に交わりを選べ、二に身に付ける規律」と言う。これらはみな読書より先に置かれている。しかし第五条に「書を束ねて読まなければ根のない空談になる」と言い、それ以後の四条で経書を読み注を読み、古書を読むことを言うところから、陸子が決して読書の功を空しくしなかったことが、ここでまた見て取れる。
解説
この章句が説くこと
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