格言聯璧 / 學問類・士は學有りと雖も行を本と爲す
戰雖有陣,而勇為本。 喪雖有禮,而哀為本。 士雖有學,而行為本。 飄風不可以調宮商;巧婦不可以主中饋;文章之士不可以治國家。 經濟出自學問,經濟方有本源。
新字:戦雖有陣,而勇為本。 喪雖有礼,而哀為本。 士雖有学,而行為本。 飄風不可以調宮商;巧婦不可以主中饋;文章之士不可以治国家。 経済出自学問,経済方有本源。
書き下し
戰は陣有りと雖も、而も勇を本と爲す。 喪は禮有りと雖も、而も哀を本と爲す。 士は學有りと雖も、而も行を本と爲す。 飄風は以て宮商を調ふべからず。巧婦は以て中饋を主るべからず。文章の士は以て國家を治むべからず。 經濟は學問より出づれば、經濟方めて本源有り。
現代語訳
戦いには陣立てがあるけれども、勇気が根本です。 喪には礼式があるけれども、悲しみが根本です。 士には学問があるけれども、行いが根本です。 つむじ風で音律を整えることはできません。器用さを誇る女性に一家の台所を任せることはできません。文章だけの人に国家を治めさせることはできません。 世を治める働きが学問から出てくれば、その働きにははじめて根本の源があることになります。
解説
形式と根本の区別を三度繰り返す聯です。戦の陣、喪の礼、士の学はいずれも大切な形ですが、それを支える勇・哀・行が欠ければ中身がありません。次の行は、風が音楽にならず、小手先の巧みさが家を切り盛りできず、文章家が国を治められないと、三つの比喩で実務の難しさを言います。最後に、経済つまり世を経め民を済う働きは学問に根ざしてこそ本物だと結びます。知識や見栄えのよい資料だけでは仕事は動かず、実際の行いと、それを支える学びの両方が要るという教えとして読めます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
学問実践根本経世修身
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