酔古堂剣掃 / 集豪・胸中に三斗の墨無くんば
士大夫胸中無三斗墨,何以運管城?然恐醞釀宿陳,出之無光澤耳。
新字:士大夫胸中無三斗墨,何以運管城?然恐醞醸宿陳,出之無光沢耳。
書き下し
士大夫胸中に三斗の墨無くんば、何を以てか管城を運らさん。然れども恐らくは醞釀して宿陳すれば、之を出だすに光澤無からんのみ。
現代語訳
士大夫の胸の中に三斗の墨がなければ、どうして筆(管城)を運ばせることができるでしょうか。けれども、それを醸したまま古びさせてしまうと、取り出したときに光沢がなくなってしまうのが心配です。
解説
学識は蓄えるだけでなく、生きたまま使ってこそ光ると説いた一則です。三斗の墨は、胸の中に蓄えた豊かな学識のたとえです。管城は筆の異名で、胸に墨がなければ筆は動かないと言います。しかし後半で、醸して寝かせたまま古くしてしまえば、いざ使うときに艶がなくなると戒めます。宿陳は、古くなって新鮮さを失うことです。知識はため込むことが目的ではなく、折に触れて使い、磨き直してこそ輝きを保ちます。学んだことを仕事や会話の中で使ってみることが、知識を新しく保つ秘訣なのでしょう。

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