講孟余話 / 萬章下 首章
始條理者智之事也、終條理者聖之事也、智譬則巧也、聖譬則力也、智ト聖ト是全章ノ綱領ナリ、智ハ射ノ巧ニシテ、即所謂致知也、聖ハ射ノ力ニシテ、即所謂力行ナリ、知ト行ト二ツニシテ一ツ、一ニシテ二ツ、王陽明知行合一ノ說、固ヨリ自ラ當ル所アリト云トモ、是等ノ所ニ至テハ、知先ニシテ行後トセサレハ明ナラス、凢ソ人ノ志ヲ勵マシ行ヲ砥スルニ、学問ノ工夫ヲ捨テ、唯行事一偏ニノミ拘泥スル時ハ、的ヲ準セズシテ強弓ヲ引キ長箭ヲ放ツカ如シ、其達スル愈遠クシテ、其中ル愈疎ナリ、故ニ知ヲ以テ先トセサルコトヲ得ス、是行ヲ主トシテ学ヲ廃スル者ノ誡トスヘシ、又讀書明理ノミヲ專務トシテ、曾テ實行實事ノ上ニ於テ、毫モ砥勵スル所ナキ者ハ、的ノ大小遠近悉ク詳審スト云トモ、未タ曾テ弓ヲ把テ体ヲ習シタルコトナキカ如シ、一旦矢ヲ放ツ、其遠キニ及フコト能ハサルハ、論ナキノミ、故ニ行ヲ以テ重トセサルコトヲ得ス、是学ヲ主トシテ行ヲ廃スル者ノ誡トスヘシ、
新字:始条理者智之事也、終条理者聖之事也、智譬則巧也、聖譬則力也、智ト聖ト是全章ノ綱領ナリ、智ハ射ノ巧ニシテ、即所謂致知也、聖ハ射ノ力ニシテ、即所謂力行ナリ、知ト行ト二ツニシテ一ツ、一ニシテ二ツ、王陽明知行合一ノ説、固ヨリ自ラ当ル所アリト云トモ、是等ノ所ニ至テハ、知先ニシテ行後トセサレハ明ナラス、凢ソ人ノ志ヲ励マシ行ヲ砥スルニ、学問ノ工夫ヲ捨テ、唯行事一偏ニノミ拘泥スル時ハ、的ヲ準セズシテ強弓ヲ引キ長箭ヲ放ツカ如シ、其達スル愈遠クシテ、其中ル愈疎ナリ、故ニ知ヲ以テ先トセサルコトヲ得ス、是行ヲ主トシテ学ヲ廃スル者ノ誡トスヘシ、又読書明理ノミヲ専務トシテ、曽テ実行実事ノ上ニ於テ、毫モ砥励スル所ナキ者ハ、的ノ大小遠近悉ク詳審スト云トモ、未タ曽テ弓ヲ把テ体ヲ習シタルコトナキカ如シ、一旦矢ヲ放ツ、其遠キニ及フコト能ハサルハ、論ナキノミ、故ニ行ヲ以テ重トセサルコトヲ得ス、是学ヲ主トシテ行ヲ廃スル者ノ誡トスヘシ、
書き下し
「条理を始むる者は智の事なり、条理を終ふる者は聖の事なり。智は譬へば則ち巧なり、聖は譬へば則ち力なり」。智と聖と是れ全章の綱領なり。智は射の巧にして、即ち所謂致知なり。聖は射の力にして、即ち所謂力行なり。知と行と二つにして一つ、一にして二つ。王陽明知行合一の説、固より自ら当たる所ありと云へども、是等の所に至りては、知先にして行後とせざれば明らかならず。凡そ人の志を励まし行を砥ぐに、学問の工夫を捨て、唯行事一偏にのみ拘泥する時は、的を準せずして強弓を引き長箭を放つが如し。其の達する愈々遠くして、其の中る愈々疎なり。故に知を以て先とせざることを得ず。是れ行を主として学を廃する者の誡とすべし。又読書明理のみを専務として、曾て実行実事の上に於て、毫も砥励する所なき者は、的の大小遠近悉く詳審すと云へども、未だ曾て弓を把りて体を習はしたることなきが如し。一旦矢を放つ、其の遠きに及ぶこと能はざるは、論なきのみ。故に行を以て重しとせざることを得ず。是れ学を主として行を廃する者の誡とすべし。
現代語訳
「音楽の始まりを整えるのは智のはたらき、終わりを整えるのは聖のはたらきである。智はたとえれば弓の技、聖はたとえれば弓の力である」。智と聖、これがこの章全体の要である。智は弓を射る技であり、いわゆる「知を致す」こと、聖は弓を射る力であり、いわゆる「力めて行う」ことである。知と行は二つであって一つ、一つであって二つである。王陽明の知行合一の説はもとより当たっているところがあるが、この箇所については、知が先で行が後としなければはっきりしない。およそ人が志を励まし行いを磨くのに、学問の工夫を捨てて行動だけにこだわるのは、的に狙いを定めずに強い弓を引き長い矢を放つようなものだ。遠くまで飛ぶほど、当たりはいよいよ外れる。だから知を先にせざるをえない。これは行動を主として学問を捨てる者への戒めとすべきである。また、書を読み道理を明らかにすることだけを務めとして、実際の行いや実務の上で少しも自分を鍛えない者は、的の大小や遠近をことごとく詳しく調べても、一度も弓を手にとって体を慣らしたことがないようなものだ。いざ矢を放てば遠くまで届かないのは言うまでもない。だから行を重んじざるをえない。これは学問を主として行動を捨てる者への戒めとすべきである。
解説
この章句が説くこと
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