言志四録 / 言志耋録 第一条 学に三等有り
學。一也。而等有三。初學文。次學行。終學心。然初之欲學文。既在吾心。則終之學心。乃是學之熟也。有三而無三。
新字:学。一也。而等有三。初学文。次学行。終学心。然初之欲学文。既在吾心。則終之学心。乃是学之熟也。有三而無三。
書き下し
学は一なり。而して等に三有り。初めは文を学び、次は行を学び、終りは心を学ぶ。然れども初めの文を学ばんと欲するも、既に吾が心に在れば、則ち終りの心を学ぶは、乃ち是れ学の熟するなり。三有りて三無し。
現代語訳
学問は一つである。しかし段階には三つある。初めは文(書物や言葉)を学び、次に行い(実践)を学び、最後に心を学ぶ。とはいえ、初めに文を学ぼうとする思いが、すでに自分の心にあるのだから、最後に心を学ぶというのは、学問が熟したということにほかならない。三つの段階があって、しかも三つの区別はない。
解説
『言志耋録』の本文はこの学問論から始まります。学びには文・行・心の三段階がある。まず書物で学び、次に行いで学び、最後に心そのものを学ぶ。けれども、書物を読みたいと思う発心がすでに心の働きなのだから、最後の「心を学ぶ」は、初めからあったものが熟したにすぎない。だから三段階はあっても、別々の三つではない、というのです。心を学問の根本に置く点に、一斎の陽明学的な傾きが見えます。知識、実践、あり方を別物として積み上げるのでなく、一本の筋として深めていく。仕事の習熟を考えるときにも、その筋を意識させてくれる一条です。
この章句が説くこと
学問心学実践熟達三等
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