洗心洞箚記 / 卷下・第百二十八條
朱子曰、學之一字、實兼致知力行而言、又曰、博學審問愼思明辨篤行、皆學之事、又曰、學者工夫、惟在居敬窮理二事、能窮理則居敬工夫日益進、能居敬則窮理工夫日益密、又曰、涵養中自有窮理工夫、窮其所養之理、窮理中自有涵養工夫、養其所窮之理、兩項都不相離、才見成兩處便不得、又曰、旣涵養、又須致知、旣致知、又須力行、亦須一時並了、非謂今日涵養、明日致知、後日力行也、又曰、窮理且令有切己工夫、若只泛窮天下萬物之理、不務切己、卽遺書所謂遊騎無歸、就右六條中、觀朱子所云之學也居敬也窮理也涵養也致知也、則皆合一內外之道、而未嘗見有其末學一偏之弊也、且如其曰兩項不相離、才見成兩處便不得之、與非謂今日涵養、明日致知、後日力行、及遺書所謂遊騎無歸、誠親切叮嚀、爲後人慮之也深矣、學者宜免兩項相離成兩處、徒託窮物理、而如遊騎無歸之罪、以報朱子之賜、是善學也、
新字:朱子曰、学之一字、実兼致知力行而言、又曰、博学審問慎思明弁篤行、皆学之事、又曰、学者工夫、惟在居敬窮理二事、能窮理則居敬工夫日益進、能居敬則窮理工夫日益密、又曰、涵養中自有窮理工夫、窮其所養之理、窮理中自有涵養工夫、養其所窮之理、両項都不相離、才見成両処便不得、又曰、既涵養、又須致知、既致知、又須力行、亦須一時並了、非謂今日涵養、明日致知、後日力行也、又曰、窮理且令有切己工夫、若只泛窮天下万物之理、不務切己、即遺書所謂遊騎無帰、就右六条中、観朱子所云之学也居敬也窮理也涵養也致知也、則皆合一内外之道、而未嘗見有其末学一偏之弊也、且如其曰両項不相離、才見成両処便不得之、与非謂今日涵養、明日致知、後日力行、及遺書所謂遊騎無帰、誠親切叮嚀、為後人慮之也深矣、学者宜免両項相離成両処、徒託窮物理、而如遊騎無帰之罪、以報朱子之賜、是善学也、
書き下し
朱子曰く、学の一字は、実に致知・力行を兼ねて言ふ、と。又曰く、博学・審問・慎思・明辨・篤行は、皆学の事なり、と。又曰く、学者の工夫は、惟だ居敬・窮理の二事に在り。能く理を窮むれば則ち居敬の工夫日に益々進み、能く敬に居れば則ち窮理の工夫日に益々密なり、と。又曰く、涵養の中に自ら窮理の工夫有り、其の養ふ所の理を窮む。窮理の中に自ら涵養の工夫有り、其の窮むる所の理を養ふ。両項都て相離れず、才かに両処と成るを見れば便ち得ず、と。又曰く、既に涵養すれば、又須らく致知すべし。既に致知すれば、又須らく力行すべし。亦須らく一時に並び了るべし。今日涵養し、明日致知し、後日力行すと謂ふに非ざるなり、と。又曰く、窮理は且く己に切なる工夫有らしめよ。若し只だ泛く天下万物の理を窮めて、己に切なるを務めずんば、即ち遺書に所謂遊騎の帰する無きなり、と。右の六条の中に就きて、朱子の云ふ所の学や居敬や窮理や涵養や致知やを観れば、則ち皆内外を合一するの道にして、未だ嘗て其の末学一偏の弊有るを見ざるなり。且つ其の両項相離れず、才かに両処と成るを見れば便ち得ずと曰ふが如きと、今日涵養し、明日致知し、後日力行すと謂ふに非ずと、及び遺書に所謂遊騎の帰する無しとは、誠に親切叮嚀にして、後人の為に之を慮ること深し。学者宜しく両項相離れて両処と成り、徒らに物理を窮むるに託して、遊騎の帰する無きが如きの罪を免れて、以て朱子の賜に報ゆべし。是れ善く学ぶなり。
現代語訳
朱子(朱熹)は言う。「学という一字は、じつは知を極めることと力を尽くして行うことの両方を兼ねて言っている」。また言う。「広く学び、詳しく問い、慎重に考え、明らかに見分け、篤く行う。これはみな学のことである」。また言う。「学ぶ者の工夫は、ただ敬に身を置くことと理を窮めることの二つにある。理をよく窮めれば敬に居る工夫は日ごとに進み、敬によく居れば理を窮める工夫は日ごとに緻密になる」。また言う。「心を涵養するうちにおのずと理を窮める工夫があり、養っているその理を窮めるのである。理を窮めるうちにおのずと涵養の工夫があり、窮めたその理を養うのである。二つはまったく離れない。少しでも二つの別の場所になったと見たら、もういけない」。また言う。「涵養したら、さらに知を極めねばならず、知を極めたら、さらに力を尽くして行わねばならない。それも同時に一緒にやり遂げねばならない。今日は涵養し、明日は知を極め、あさっては行う、という意味ではない」。また言う。「理を窮めるには、まず自分の身に切実な工夫をさせよ。ただ広く天下万物の理を窮めるだけで、自分に切実なことに努めなければ、それこそ『遺書』(程氏遺書)にいう、帰る所のない遊撃の騎兵である」。右の六条について、朱子の言う学・居敬・窮理・涵養・致知を見ると、どれも内と外を一つにする道であって、後世の末学のような偏った弊害はまったく見られない。とりわけ「二つは離れない、少しでも二か所になったと見たらいけない」と言い、「今日涵養し、明日致知し、あさって行うという意味ではない」と言い、また『遺書』の「帰る所のない遊撃の騎兵」を引くところは、まことに親身で丁寧であり、後の人のために深く心配してくれている。学ぶ者は、二つを引き離して別々にし、むやみに物の理を窮めることにかこつけて、帰る所のない騎兵のようになるという罪を免れ、それによって朱子の恵みに報いるべきである。それが善く学ぶということである。
解説
この章句が説くこと
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