洗心洞箚記 / 卷下・第百三條
忽到鰐津、嘗聞鰐津雖平日無風時、回淵藍染、而盤渦谷轉、巨口大鱗之所游泳出沒、乃湖中至險也、而況風波震激時乎、推篷見水面、則爲所謂地裂天開之勢、奇哉、颶風忽南北兩面吹而軋、故帆腹表裏饑飽不定、是以舟進而又退、退而又進、右傾則左昂、左傾則右昂、如踊如舞、飛沫峻濺、入篷侵牀、實至危之秋也、舟子呼曰、他舟皆知幾、故避之、如某獨誤不能前知焉、而乃至此、呼、命也哉、雖然無面目對客耳、吾察其言意、似不免共葬魚腹之患、因却慰喩舟子曰、爾誤至此命也、則吾輩至此亦命矣、俱無如之何、只任天而已、何足患哉、
新字:忽到鰐津、嘗聞鰐津雖平日無風時、回淵藍染、而盤渦谷転、巨口大鱗之所游泳出没、乃湖中至険也、而況風波震激時乎、推篷見水面、則為所謂地裂天開之勢、奇哉、颶風忽南北両面吹而軋、故帆腹表裏饑飽不定、是以舟進而又退、退而又進、右傾則左昂、左傾則右昂、如踊如舞、飛沫峻濺、入篷侵牀、実至危之秋也、舟子呼曰、他舟皆知幾、故避之、如某独誤不能前知焉、而乃至此、呼、命也哉、雖然無面目対客耳、吾察其言意、似不免共葬魚腹之患、因却慰喩舟子曰、爾誤至此命也、則吾輩至此亦命矣、倶無如之何、只任天而已、何足患哉、
書き下し
忽ち鰐津に到る。嘗て聞く、鰐津は平日風無き時と雖も、回淵藍染にして、盤渦谷転し、巨口大鱗の游泳出没する所、乃ち湖中の至険なり、と。而るを況んや風波震激の時をや。篷を推して水面を見れば、則ち所謂地裂け天開くの勢を為す。奇なるかな。颶風忽ち南北両面より吹きて軋る。故に帆腹の表裏饑飽定まらず。是を以て舟進みて又退き、退きて又進み、右傾けば則ち左昂がり、左傾けば則ち右昂がり、踊るが如く舞ふが如く、飛沫峻しく濺ぎ、篷に入り牀を侵す。実に至危の秋なり。舟子呼びて曰く、他の舟は皆幾を知る、故に之を避く。某の如きは独り誤りて前知する能はず、而して乃ち此に至る。呼、命なるかな。然りと雖も客に対する面目無きのみ、と。吾其の言意を察するに、共に魚腹に葬らるるの患を免れざるに似たり。因りて却って舟子を慰喩して曰く、爾が誤りて此に至るは命なり、則ち吾が輩の此に至るも亦た命なり。倶に之を如何ともする無し、只だ天に任すのみ、何ぞ患ふるに足らんや、と。
現代語訳
たちまち鰐津に着いた。かねて聞いていたところでは、鰐津は普段風のないときでも、淵が渦巻いて藍のように深い色をし、大きな渦が谷のようにうねり、大きな口と鱗をもつ魚が泳いで出没する所で、湖中でもっとも険しい所だという。まして風と波が激しく揺れ動くときはなおさらである。苫をおしのけて水面を見ると、いわゆる地が裂け天が開くような勢いであった。恐ろしくも奇なる光景である。暴風がにわかに南北両方から吹いてぶつかり合う。それで帆の腹の表裏が、へこんだりふくらんだり定まらない。そのため舟は進んではまた退き、退いてはまた進み、右に傾けば左が上がり、左に傾けば右が上がり、踊るように舞うように揺れ、しぶきが激しく降りかかり、苫の中に入って床を濡らした。まことにこの上なく危うい時であった。船頭が叫んで言った。「ほかの舟はみな兆しを察して避けました。私だけが誤って先を見通せず、こんなところに来てしまいました。ああ、運命です。それにしてもお客様に合わせる顔がありません」。私はその言葉の意味を察するに、ともに魚の腹に葬られる災いは免れないと思っているようだった。そこでかえって船頭を慰めて言った。「おまえが誤ってここに来たのが運命なら、私たちがここに来たのもまた運命だ。どちらもどうしようもない。ただ天に任せるだけだ。何を心配することがあろうか」。
解説
この章句が説くこと
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