洗心洞箚記 / 卷下・第百三條
壬辰之夏六月、予以閑逸無事、發浪華至伏水、而之江州、泛湖以訪中江藤樹先生遺跡於小川村焉、小川村在西江比良嶽北、先生我邦姚江開宗也、謁其墓、想像其容儀道德、淚墜沾臆、其書院雖存、而今無講先生之學者、其門人之苗裔業醫者、乃監守之、如守祧然、予於是賦詩、詩曰、院畔古藤花盡時、泛湖來拜昔賢碑、餘風有似比良雪、流滅無人致此知、
新字:壬辰之夏六月、予以閑逸無事、発浪華至伏水、而之江州、泛湖以訪中江藤樹先生遺跡於小川村焉、小川村在西江比良嶽北、先生我邦姚江開宗也、謁其墓、想像其容儀道徳、涙墜沾臆、其書院雖存、而今無講先生之学者、其門人之苗裔業医者、乃監守之、如守祧然、予於是賦詩、詩曰、院畔古藤花尽時、泛湖来拝昔賢碑、余風有似比良雪、流滅無人致此知、
書き下し
壬辰の夏六月、予閑逸無事なるを以て、浪華を発して伏水に至り、江州に之き、湖に泛びて以て中江藤樹先生の遺跡を小川村に訪ふ。小川村は西江比良嶽の北に在り。先生は我が邦姚江の開宗なり。其の墓に謁し、其の容儀道徳を想像して、涙墜ちて臆を沾す。其の書院存すと雖も、而も今先生の学を講ずる者無し。其の門人の苗裔の医を業とする者、乃ち之を監守し、祧を守るが如く然り。予是に於て詩を賦す。詩に曰く、院畔の古藤花尽くる時、湖に泛び来たりて昔賢の碑を拝す。余風は比良の雪に似たる有り、流滅して人の此の知を致す無し、と。
現代語訳
壬辰の年(天保三年)の夏六月、私は暇で用事もなかったので、浪華(大坂)を発って伏水(伏見)に至り、近江に行き、湖に舟を浮かべて、中江藤樹先生の遺跡を小川村に訪ねた。小川村は湖西の比良山の北にある。先生は我が国における姚江(陽明学)の開祖である。その墓に参り、先生の姿や道徳を思い浮かべて、涙が落ちて胸を濡らした。書院は残っているが、いまは先生の学を講じる者がいない。門人の子孫で医を業とする者が、祖先の廟を守るようにこれを管理しているだけである。私はそこで詩を作った。「書院のほとりの古い藤の花が散り尽くすころ、湖に舟を浮かべて来て昔の賢人の碑を拝む。残された遺風は比良の雪に似ているが、流れ消えて、この知(良知)を致す人はいない」。
解説
この章句が説くこと
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易経・蠱卦父の蠱を幹すとは、意考を承くるなり。母の蠱を幹すとは、中道を得るなり。父の蠱を幹すとは、終に咎无きなり。父の蠱を裕かにすとは、往くも未だ得ざるなり。父を幹して誉れを用うるとは、承くるに徳を以てするなり。王侯に事えずとは、志則るべきなり。
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『大和俗訓』自序ここを以て、人の誹をうれひざるなるべし。今われ犬馬のとしすでにやそぢにせまり、なす事なくて此世くれ行くなべに、こよみのぢくあらはれたるごとくなれば、やがて草木と同じく、はかなくくちはてなんとうらめしくて、わが身のざえのつたなきをわすれ、みだりにつとめて筆をおこし侍る。老らくの身は、心も目もたどたどしければ、いかなるひが事を書きけんもうしろめたし。世の中に、われと志を同じくする人もありて、此書のあやまりおほくしてひがひがしきことをよく改めつくりて、世をさとし給はば、まことにねがはしきほいにかなへるなるべし。
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